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かめかめさん

http://ameblo.jp/kamekame1976/ ブログデシセイカツバクロチウ

性別 女性
将来の夢 印税生活
座右の銘 ハワイに行きたいと思ったら、一歩踏み出さないといけない。 ハワイは向こうから近づいてこない。

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爪の垢

18/07/15 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:1件 かめかめ 閲覧数:504

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 貧乏下宿に帰ると部屋のドアにノブがなかった。ノブがついていたところにポッカリと穴が空いている。ドアノブ泥棒だろうか。健太郎は首をひねりながらドアを開けた。
 廊下の灯りが玄関に差しこんで、人の足が二本ニュっと伸びているのが見えた。
 慌てて電気をつけると老人がうつぶせに倒れている。
「大丈夫ですか!? どうしました!?」
 健太郎は老人のそばに膝をつき呼吸を確かめた。息がある。そもそも老人は大きないびきをかいていた。その酒臭いいびきで老人が隣室の住人であるとわかった。薄い壁越しに聞きなれた音だ。
 とりあえずホッとして部屋を確認した。四畳半の和室に一間の押し入れ。壁一面を覆う本棚。部屋にあるのはそれだけだ。本棚の本が崩れていないことに健太郎はもう一度安堵の息を吐く。
 老人がフラフラと起き胡坐した。
「水!」
 目を閉じたまま怒鳴る。健太郎は本棚に置いている食器を取り廊下に出た。下宿人共同の台所で水を汲み戻る。老人に湯呑を握らせると一息で飲み干した。
「メシ!」
 健太郎はまた台所に行き冷蔵庫に入れておいた餡パンを取り老人に食べさせた。
「煙草!」
「すみません、僕は煙草を吸わないんです」
 老人はユラユラ揺れながら半眼で健太郎を睨め上げた。
「誰かいな、あんた」
「隣の部屋の者です。坂井健太郎と言います」
「なんで俺は健太郎の家に居るんかいな」
「さあ、なんででしょう」
 老人は大声でゲラゲラと笑い出した。
「面白いやんか、健太郎。どら、出かけようや」
 老人は健太郎の腕をとり、無理やり立ち上がらせた。
「どこへですか?」
 素直に立ち上がった健太郎を老人はズルズル引っ張っていく。
「いいところや。黙ってついて来んしゃい」
 玄関に脱ぎ散らかしていたサンダルを引っかけて老人は出て行く。健太郎は部屋の鍵を取り出したがドアノブがないことを思い出し、ポケットに戻した。小走りで追ううちに老人がしっかりとドアノブを握りしめていることに気づいた。

 老人は一軒の小料理屋の暖簾をくぐった。
「あら、幸ちゃん。珍しいお連れさんね」
「いい男やろ、惚れるなよ」
 慣れた様子でカウンター席に座る。店は小上がりに四人がけの卓と、カウンターに五席の小さなものだ。客はいない。女将は和服に割烹着姿の五十年配の美人だ。どこか自分の家に帰ったような気持ちになって健太郎はホッと息を吐いた。
「おい、健太郎。早う座れ」
 促されて隣に座ると女将が冷たいおしぼりを渡してくれた。
「ビールでいいかしら」
「あ、いえ、僕はお酒は……」
 老人がのけぞって目を見開く。
「ひょえー! 健太郎は酒を飲まんとや!」
「はあ、すみません」
「年はいくつな」
「二十四です」
「酒の味を知らんで四年も無駄にしたとや。良か。今日知れば良かたい。ビール二本ね」
 健太郎が困って口を開きかけた時には目の前にグラスが置かれ、戸惑っているうちにビールがなみなみと注がれた。
「あの、幸ちゃんさん」
「幸ちゃんさんっちゃ、なんね。幸太で良か」
「幸太さん、僕はお酒は……」
「お兄さん、サバは大丈夫?」
 カウンターの向こうから女将が身を乗り出して尋ねる。
「え、はい。大丈夫です」
「なんね、健太郎は酒はだめでサバは良かとね。ケとバの違いや。良かたい」
 幸太は健太郎にビールを注いだグラスを押し付け、自分のグラスを無理やり合わせチンと音をたてた。
「かんぱーい!」
 一息でグラスを空にして「くあー」と唸る。健太郎に目をやり「飲め飲め」と繰り返す。健太郎は首を振って自分のグラスを幸太の方に押しやった。
「すみません。お酒は」
 暗い目をした健太郎に、幸太は真面目な顔で口を開く。
「なんかあったとね」
 俯いて黙っていると、卓に小鉢が置かれた。サバがどろりとしたタレで煮込んである。健太郎はハッと顔を上げた。女将が笑顔で解説する。
「これね、糠床の糠を使って炊いてるの」
「じんだ煮ですよね」
「ええ、そう。よくご存知ね」
「母が小倉の出身なんです」
 急にハキハキと喋りだした健太郎を観察していた幸太がポツリと尋ねた。
「おっかさんは元気にしとると?」
 健太郎は眉根を寄せ寂しそうな表情で答えた。
「いえ、事故で亡くなりました。六年前に」
「おとっさんは?」
「死んでいます。僕が子供の頃に」
「酒のせいかい?」
 黙って頷く。幸太も黙って自分のグラスにビールを注ぐ。
「おっかさんに献杯しようや」
 健太郎は俯いて返事をしない。
「ここでおっかさんのじんだ煮に会ったとも御縁やないとね」
 縁という言葉は健太郎が胸の内にひっそりと仕舞っている大切なものだ。母が大切にしていたことだ。そのおかげで母の葬儀にはたくさんの人が来てくれた。縁のおかげで健太郎は大人になるまで一人きりになることがなかった。
 幸太がぬるくなったビールを注いで、目の高さに挙げる。金色の液体の中に母の縁を見たような気がして、健太郎もそれにならう。
「献杯」
 亡くなった母のことを思ってグラスを空にした。ビールはとても苦かったが美味かった。
「いい飲みっぷりやなかね。おとっさんの血もしっかり受けついどるんやな」
「そんなことはありません!」
 たった今、酒を美味いと思ったことが恐ろしい。あんなに忌避してきた酒をどうしてこんなに簡単に飲んでしまったのか。
「おとっさんのためには献杯してやらないのかい」
 答える健太郎の語気が荒い。
「そんな価値はありません。あの男のせいで母さんと僕がどれだけ苦労したか!」
 カウンターの下で自分の膝をこぶしで何度も殴る。内出血を起こしそうな勢いだ。
 そのこぶしに、真っ白な優しい手が置かれた。見上げると女将が笑いかけた。
「うちはね、味噌も醤油も小倉のを使ってるのよ。きっとお母さんが食べていた味に近いと思うわ。健太郎さんは何が食べたい?」
 健太郎は戸惑って女将から目をそらした。食べたいものと言われてすぐに思いついたものがあるのだが。
「……オムライス」
 隣で幸太がブウっと噴き出した。
「味噌も醤油も関係ないやないか」
 健太郎は照れたように笑ってみせる。
「あら、幸ちゃん。うちのオムライスには味噌も醤油も関係あるのよ。少し待っててね」
 女将は朗らかな笑顔でカウンターの奥の厨房に入っていった。
「お、うまい。健太郎も早く食えや、じんだ煮」
 幸太がじんだ煮をチビチビつまみながらビールを手酌で飲んでいるのを見て、健太郎は一瞬だけ眉を顰めた。だがすぐに元の穏やかな表情に戻ると、じんだ煮に箸をつけた。
「どうや、おっかさんの味と似とうや?」
 健太郎は黙って頷く。涙が浮かびそうになるのを必死でこらえた。
「健太郎な、もう少しわがままになっても良かとやないね」
「わがままですか?」
「おとっさんのことを怒って話したのは何年ぶりや? おっかさんを懐かしいって思ったのは何年ぶりや?」
 そう言われると、長いこと怒りも寂しさも懐かしさも忘れていたように思えた。
「わがままっていうのはな、自分に優しくしてやることたい。自分の話を自分で聞いてやることたい。健太郎は自由が足らんと。俺のごと、すかーっと、したいことしよったら酒に飲まれることも無か。自分で自分に乾杯してやったら良かとよ」
 父は酒に飲まれた人間だ。アル中治療も何度も途中で逃げ出した。「もう飲まない」と言っては酒瓶を隠し持っていた。いつも不自由そうに生きていた。
 幸太はビールを二本飲み終えて大きなげっぷをした。
「俺はいっつも好きに生きとる。そのおかげでこの通り元気たい。貧乏暮らしでも好きな酒は飲める。美人な女将と好き合える」
「あらま、いつ好き合ったかしら」
 女将が厨房からオムライスを運んできた。オムライス、みそ汁、きゅうりの糠漬けには醤油がかけてある。
 幸太がさっと手を出して、オムライスを大きくえぐって食べた。
「幸ちゃん! 横取りしないの」
 女将に叱られて幸太は「へへへ」と嬉しそうに笑う。
「早よう食え、健太郎。冷めるばい」
 あっけにとられて見ていた健太郎はクスクス笑い出した。
「なんね、なにがおかしかったとね」
「幸太さんはつまみ食いが好きなんですね」
「オムライスとの縁ば大事にしたったい」
 オムライスは美味しかった。ふんわりした玉子が、しっとりしたチキンライスによく絡んだ。ケチャップは手作りらしくトマトの粒が残っていた。
 みそ汁も醤油も知っている味とはかなり風味が違う。母の幼少時を思って幸せな気持ちになった。
「さて、それじゃ帰るか。ごっそうさん」
 幸太が立ち上がると、女将が金額が書かれた紙片を幸太に差し出した。
「健太郎、ちいっと金ば貸しちゃらんね」
「もう、幸ちゃんはいっつもそう言って人にたかる」
「いや、今日は担保があるけん。ほら、健太郎。こればやるけん、金ば貸しちゃり」
 幸太はポケットから丸いドアノブを取り健太郎に差し出した。
「大事なもんやろう。俺が保護しといたけん、無事やったばい」
 いったい何から保護していたやら。幸太の自由な生き方がおかしくて健太郎は涙が出るほど笑った。

 金を払って店を出る。幸太はご機嫌で鼻歌を歌っている。『矢切の渡し』だ。演歌好きな父もよく歌っていた。幸太の鼻歌に合わせてメロディーを口ずさんでみる。演歌など大嫌いだったが今は楽しく思えた。
「幸太さん」
 呼ぶと幸太は足を止めた。
「僕も自由に生きようと思います」
「おう。それが良か。もしわがままの仕方がわからんかったらな」
 幸太が手を突き出す。
「俺の爪の垢ばやるけん。煎じて飲めば良か」
「わがまま言います。いりません」
 幸太は息子を見るような目で笑った。


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このストーリーに関するコメント

18/07/21 クナリ

私の祖母が熊本の炭鉱町出身で、今は東京に住んでいますが、食べ物のことはよくふるさと自慢をしていました(戦争のためにあまり贅沢なことはできなかったらしいですが)。
悲しみを埋めてくれる食は、人の思いが紡いでいくものですね。
特徴的な導入とキャラクタと合わせて、印象深い作品でした。

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