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Fujikiさん

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ブルーな海底から晴れ空を仰ぐ

18/07/14 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:0件 Fujiki 閲覧数:419

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 瑞樹の見ている世界を見るには、ひとまず一番近くの水族館に足を運んでほしい。水族館の水槽にはたいてい青のライトが使われている。透明な水を青く見せ、幻想的な雰囲気を演出するためだ。水を抜いてみたら背景の壁が明るい水色をしていることも多い。魚が文句を言わない限りピンクや蛍光イエローの水槽があってもいいはずだけど、青が圧倒的に多数である。
 そんな水槽の前に立ってみよう。通路が暗ければなおいい。青い光を浴び、濃紺の影を投げかけながらサメやエイ、大型魚が悠々と泳いでいる。外ではセミの合唱が鳴り響く真夏の日でも、見ているだけで静寂でひんやりとした海底にいるかのような錯覚に襲われる。でも現実を忘れる前に同じ水槽の中に緑色がないか探してほしい。おそらく黒か灰色に近いくすんだ色をした海藻が岩にへばりついているだろう。それが緑だ。次は赤色を探してほしい。ヒトデでもミノカサゴでも何でもいい。青が主役の水槽では、赤は精彩を欠き、茶色がかった陰気な脇役に過ぎない。それこそが、瑞樹がふだん見ている世界である。
 色覚障害があるからといって、瑞樹自身が不便を感じたことは一度もない。小学一年生のときに母さんに眼科医に連れていかれるまでは、人と見えかたが違うなんて思いも寄らなかった。医者の話を聞きながら背中を丸めてこちらの顔を見る母さんの反応を瑞樹は今でも憶えている。深くため息をつく母さんの胸のあたりに暗いブルーのもやが湧き立った。瑞樹はそのことを母さんにも医者にも黙っておくことにした。
 ブルーの濃さは失望の度合いによって変わる。失望が強いほど暗く、濃くなる。瑞樹の見たところ、たいていの人は違った色調のブルーをいつも胸に浮かべている。ビーチがきれいな亜熱帯の島に住んでいるからといって、誰もが常に陽気で楽天的なわけではない。高校一年に上がったときには、同級生の女子の胸にほとんど夜の闇に近いブルーが見えた。自殺してしまうのではないかと心配になったほどだ。
 彼女の名前が「小橋川さやか」であることは朝のホームルームの出席点呼で憶えていた。担任の教師が名前を呼ぶと、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声が返ってくる。窓際の席に座る小橋川さやかは授業中はうわの空でいることが多く、放課後にはよく一人で残って運動場に面した窓の外を眺めていた。野球部が練習をしている運動場の上には青空が広がり、金属バットにボールが当たる澄んだ音が響いていた。
 窓の外を見る小橋川さやかの横顔は瑞樹の網膜に焼きつき、目を閉じても青い残像が常にちらついた。突き出た頬骨と切れ長の冷たそうな目のせいか、教師や他のクラスメイトたちは彼女が反抗的で無関心な性格だと思っているようだった。きっと授業もクラスも見下しているに違いない。科目を教える教師たちは、彼女が平然と授業を無視していてもいちいち注意すらしなかった。でも瑞樹だけは、クールな表情の裏でビクビクと震え、絶えずゆらめく彼女の濃紺のブルーを知っていた。
 彼女に最初に話しかけるのには勇気を要した。ある日、人気が少なくなる昼休みを狙い、瑞樹は教室の空気を入れ替えるふりをして小橋川さやかのいる窓際にさりげなく近づいた。彼女はバナナとリンゴだけの簡単な昼食を食べ終え、音楽を聴いているところだった。
「ねえ、さやかさんってさ、いつも窓から何見てんの?」
 小橋川さやかは耳にイヤフォンを差したまま、瑞樹のほうを見上げた。見慣れない生き物を見るような表情である。
「色盲なんだって?」瑞樹の質問を無視して彼女はそう訊ねた。瑞樹の目の噂を同じ中学出身の生徒たちが勝手に広めていたことには気づいていた。だが面と向かって訊かれるのは初めてだった。
「色が見えないわけじゃない」
「白黒じゃないの?」細い声ながら、彼女の口調には鋭さが感じられる。何の脈絡もなく話しかけてきた瑞樹に警戒しているのかもしれない。
「ううん、色はちゃんと見えてる。信号だって見分けられる。見えかたが人と違うだけ」
「どんなふうに?」
「ブルーがよく見える。何つーか、水族館の中にいるみたいな」
「悪くないね。水族館の青い感じ、すごい好き。もう何年も行ってないけど」
「今度の連休にでも家族で行ってきたら?」
「親が離婚調停中だから、そんな空気じゃない」
 沈黙が降りる。家庭の問題が彼女のブルーの原因なのかと瑞樹は考える。話が途切れないようにあわてて言葉を返した。
「い、一応、うちも母子家庭。だからどうしたってわけでもないけど」
 瑞樹の母さんは最初から未婚だったから、瑞樹は父親の顔を知らない。瑞樹の目は父方の遺伝子によるものに違いないと母さんはよく愚痴をこぼした。障害なんかもらっちゃって、と酒に酔うたびにくだを巻く口ぶりは瑞樹の存在自体が母さんにとっての障害であるかのように聞こえた。
 小橋川さやかの濃いブルーが一瞬淡くなったような気がした。瑞樹に気を許したわけではないが、少なくとも敵ではないと感じてくれたようだ。あとは「一緒に行かない? 水族館」というダメ押しの一言を口に出せば済むはずだった。だが肝心の言葉が喉仏のあたりにひっかかって出てこない。急に呼吸のしかたまで忘れ、瑞樹は魚みたいに口をパクパクさせることしかできなかった。話が終わったと思ったのか、小橋川さやかは再びイヤフォンを両耳にはめ、瑞樹に背を向けて机に突っ伏した。会話は終了。それでも瑞樹は言葉を交わせただけで有頂天だった。
 その日から、小橋川さやかは毎晩瑞樹の夢に現れるようになった。夢の中の彼女は群れからはぐれたトビウオである。黒光りする体を弾ませながら光の満ちた海面に何度も跳び上がる。瑞樹はヒラメかカレイらしく、海底から彼女の様子を見上げることしかできない。振り向いてほしい。下に降りてきてほしい。瑞樹は視線を送りながらそう念じている。それでも小橋川さやかは陽光を満たして輝く金色の鏡のような水面と戯れ続けるばかりだった。
 彼女の闇のようなブルーを少しでも軽くするためには、腹を割って何でも話せる相手が必要だ。彼女に心を開いてもらうには正面突破しかない。そう結論を出すまでに瑞樹は二週間の熟慮を要した。最初に話しかけた日と同じくらい快晴の放課後、瑞樹は一人で窓辺にたたずむ小橋川さやかの席へまっすぐ近づいていった。ズボンの尻ポケットの中にはコンビニで買っておいた水族館のチケットを二枚忍ばせてある。懸賞でペアチケットが当たったのだと説明するつもりだった。一緒に行く相手がいないし、だからといって券を無駄にするのはもったいないし、都合がつくときでいいんだけど、もしよかったら――瑞樹は頭の中でセリフを予行演習したあと、深呼吸をして彼女に話しかけた。
「あ、あのさ、さやかさん……」
 ところがそのとき、いきなり話を遮って何かが窓から飛び込んできた。黒い縫い目のある汚れた白い球。野球のボールだ。
「ごめん! ケガしなかった?」と、野球部の男子の声が下から響いてきた。
 一瞬、瑞樹は自分の目を疑った。小橋川さやかの胸に立ち込めていた濃いもやが突然晴れ、朝の太陽のような白くまぶしい光を煌々と放ちはじめたのだ。うん、大丈夫、と甘ったるい声で返事をする彼女から瑞樹は顔をそむけた。彼はすべてを理解した。彼が気に病むほど黒々としていた彼女のブルーは、思いを寄せる相手に近づくのをためらう悩み、遠くから見ていることしかできない自分自身の臆病さに対する憤り、どうしていいか分からない初恋の戸惑いと苦しみから来ていたのだと。その証拠に小橋川さやかが満面の笑顔で投げ返したボールを受け取った男子が立ち去ると、白い光はたちまち消えて暗雲のようなブルーが戻ってきた。そばに瑞樹がいることすら忘れて窓の外を見つめ続ける彼女の胸のうちでは、感情が幸福の頂点と絶望の底のあいだを激しく揺蕩している。ブルーの振れ幅こそ極端ではあれ、彼女もまた恋する十代の少女に過ぎなかったのだ。
 男子の名前は川野日出雄といった。クラスは違うけれども同じ一年だ。部活で日に焼けた顔は瑞樹の目には茶色にも深緑にも見えた。瑞樹は朝晩彼と同じバスに乗りはじめ、貧弱なコミュニケーション能力を最大限に発揮して話しかけるきっかけを作った。話してみると日出雄は親しみやすい気さくな性格だった。女子にモテそうな顔立ちと体型だが、さいわいガールフレンドはいなかった。
 一学期の終わりが近づいたある日、瑞樹は日出雄を水族館に誘った。
「たまたまチケットが何枚か当たったんだ。他にもクラスメイトを一人誘ってるんだけど、夏休みの最初の土曜日に三人で一緒に行かない?」
「そのクラスメイトって誰?」と、日出雄が聞き返した。
「日出雄は知らないと思う。小橋川さやかって女子」
「瑞樹のカノジョか?」
「違う。俺はただのクラスメイト。その子、水族館にすごく行きたがってたんだ。じゃ、これ日出雄のぶんのチケット。当日、高校の前のバス停で待ち合わせな」
 日出雄の手の中に半ば無理やりチケットを押し込んで瑞樹はバスを降りた。小橋川さやかに対しても同じようにチケットを渡してある。あとは当日、二人がバス停に着いたところで、自分は急用で行けなくなったという連絡をするだけだ。瑞樹はこれで小橋川さやかの胸のブルーを消せる、あるいは少なくとも薄くすることができると確信していた。彼女の気持ちを楽にできるなら、自分は脇役になっても構わなかった。
 人の心を見通せる瑞樹の目には、見えないものが一つだけある。彼自身の心の色だ。底の見えない沖合の海のような深いブルーを顧みることのないまま、瑞樹は視線の先にある陽光だけを見つめていた。金色に輝く光は彼の目をくらませ、胸のあたりでうずく痛みをしばし忘れさせた。


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