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腹時計さん

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ホーム・スイート・スイート・ホーム

18/07/13 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:0件 腹時計 閲覧数:197

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 俺は小さい頃、ヒットマンになりたかった。
友達から借りた漫画の中で、黒コートを着こなすヒットマンは、まるで世直しのごとく、悪者を倒していた。冷酷だけれど実は情に厚く、圧倒的に強いヒットマンにあこがれるのは、何の力もない子どもとしては当然のことだと思う。
 貧しい家庭に生まれつき、母はあまり家にいなかった。飲んだくれの父はずっと家にいて、モンスターを家の中に飼っているようだった。
 身をすくめ、モンスターをこっそりにらみつけることしかできなかった俺は、現実から逃れ、妄想に没頭していた。そうしていれば、空腹も、みじめさも、忘れられた。
 
 弱きを助け、強きをくじく、それがヒットマン。
 幼かった俺は、銃を持って、住んでいたぼろアパートごと、壊してしまいたかった。
 が。
 三十路を超えた今、なんてことはない、俺は不動産会社勤務の一会社員である。
 やや猫背で、コレステロール値をそろそろ気にしだすような、平凡な痔持ちの男になった。


 義務的に仕事を終え、足を動かし、電車に乗って帰宅する。義務的にほほえんで、ただいまと言う。平和で怠惰な生活。それはすべて、妻のせいであると俺はわかっていた。
 妻は家庭的で、優しく、俺より学歴が上だった。その聡明さを愛したはずが、今は憎い。ただ憎い。俺はなんでこんな女といるのだろう。何もかもが自分より優れている。専業主婦にも関わらず、趣味で料理教室を開き、雑誌の取材を受けたことだってある。
 家庭に居場所のない男が浮気するのは、現代社会においてごくあたりまえの風潮になりつつあるが、俺は違う。浮気なんてばからしいことはしない。ばかなこととまでは言わないが、ばからしい。
 夫婦とは家と同じ、いわば契約なのだ。登記を経て成立し、その権利を主張できる。使用し、利益を得る権利だ。不法行為があれば賠償させられる。家は大事にしなければならない。大切に、傷まないように、壊れないように。家は無人だと荒れてしまうから、人がいなくてはならない。そして、処分する権利だって行使できる。
 家にはまこと、面倒な制約がつきまとうが、それでも人は家を買う。不動産を手に入れては、夢のマイホームだの、不労所得だのと期待する。
 家族もそうだ。
「今日のごはんはなに?」
「生姜焼き。先にお風呂でしょう?」
「いいねえ。じゃあ早く上がらないとね」
 ほほえましい会話。六歳になる娘は居間の隣の和室ですでに就寝している。自分と同じ一重の目を持つ娘は、あまり顔を合わせないパパを見るとひどく怯えるので、本音を言えば寝てくれているほうがかえって快適だった。もちろん、妻や娘には言わないが。
 娘はママの頭脳を受け継いだらしく、紺色の制服をまとって都内有数の私立小学校に通っている。まごつく俺に、妻は都会では私立が当たり前よ、とやんわり言った。いかんせん公立のみで育った田舎者にはよくわからず、妻に一切を任せてしまっている。入学試験の際、親子面接で連れて行かれた小部屋で待ち構える試験官たちの眼鏡がうまい具合にきらりと反射しているのを見て、これはいったい何の茶番だろうかと思ったものだ。

 実のところ、娘とほぼふれあわないような生活をしている理由は、娘が怯えるからとか、俺が田舎くさい人間であるから、というだけではなかった。

「ごはん、どれぐらいいる?」
「半分ぐらいでいいや。時間も遅いし」
 ほどなくしてふっくらと炊きあげられた白米が目の前に並べられる。妻は俺の向かいに座り、にこにこと笑っている。
「いただきます」
「どうぞ−」
 箸に手を掛けたとき、「それ」に気付いた。
 首の後ろが汗ばむ。
 ほほえむ妻の背後の襖の隙間から、わずかに娘の視線を感じる。いつものことだった。二十三時を過ぎ、すでに六歳児が起きている時間を過ぎていても、娘はこっそり俺を見ている。あの細い目だ。俺と同じ、あの冷たいまなざし。じっとりと、片時も逃すまいと言わんばかりに見られている。
 完璧な妻よりも恐ろしいのは、あの娘の存在だった。妻に似れば優しく聡明なだけの幼子だったのだろうが、「あれ」は俺の幼少期を切り取ったようだった。
 俺は心臓をぎゅっと掴まれているような恐怖を押し殺しながら、味噌汁をすすり、生姜焼きにかぶりついた。その目の前には、お隣のマダムとのランチで起きた些細な出来事を話す、無邪気な妻がたおやかに座っている。

 猜疑にあふれた生活の始まりは、絵だった。
 あの娘が四歳の時に保育園で描いてきた絵は、銃を持った娘と、倒れる俺がビビッドな色調で描かれていた。もっとも、二人とも胴体がなくて人間には見えなかったが。
 役者は違えど、かつての俺が夢見ていた光景と同じだった。俺が銃を持ち、その先にはモンスターである母が倒れていた、あのくだらない夢想。細い目をさらに細め、ふくふくとした手で俺の腰にしがみついてきた幼い娘に鳥肌が立った。
 貧乏でも、裕福でも、ヒットマンは現れるのだ。小さな黒い憎しみの心に宿るのだ。
 確かに娘に対して優しくしたこともほとんどない。かといってひどいことをした記憶はないが、不機嫌に当たり散らしたことはあったかもしれない。忙しい、疲れてる、あっち行け、鬱陶しい。そんな言葉しか投げかけてこなかった。
 俺は妻に訴えたことがある。あの銃の絵はおかしい、いつも帰ってくる俺をこっそり見ている、そう言ったが、妻はほうれん草を洗いながらからからと笑った。
「銃? そんな物騒なもの描くわけないじゃない。なにかのおもちゃよ。それにあの子は照れてるのよ。パパが好きだから、ちょっと恥ずかしいのよ」
 男の人って、女の子の気持ちがわかってないんだから、と。泰然としたその姿に、俺は、裏切られたような心地を覚える。
 お前は賢いのに、女なのに、母なのに、なぜ、あの娘の本性がわからない?
「ほんとうはね、かまってほしいのよ。ね、保育園にいた頃だって、ずっとパパの似顔絵描いていたのよ。今だって、毎日パパが帰ってくる時間を尋ねてくるのよ。もうちょっとかまってあげられない?」
 違う。
 あの娘は、そんなふわふわとかわいいものではない。もっと残酷で、冷たくて、怖い。あの娘が異常であることを、お嬢様育ちで疑うことを知らない、お優しい妻は知らないのだ。
 それ以来、俺は家で不機嫌に振る舞うことを一切やめた。頻繁に感じる陰気でじめじめした視線を感じながら、朗らかに笑ってみせる。それでも不気味な視線は続き、帰宅する時間を遅らせても、「あれ」はずっと絡みついてくるのだ。


 そして、今日もやはり残業してから家に帰る。大した小遣いもないのだから、ほかに居場所などない。重い足には枷でもはまっているような気分だ。
 白い壁にはめられた、瀟洒なデザインの扉を開ける。この家は資産家である妻の両親が建ててくれたのだ。ぽんと小遣いを渡すがごとく、都心の広い戸建てを与えてしまう彼らは、もはや宇宙人にしか見えなかった。エコなんちゃらだの床暖房だのが付いている家は快適で、義両親には感謝しているが。
 廊下を抜け、居間に入ろうとすると、電気が付いていないことに気がついた。妻は夜に出かけることなど滅多にない。風呂に入っているときでも、居間の照明は付けっぱなしにしているのだ。
「ママ? いないの?」
返事がない。人の気配を感じない暗闇に、おそるおそる足を踏み入れたとき、がたがたっと音がした。はっと身構える。
「誕生日、おめでとー!!」
「パパ、おめでとっ」
 ぱち、と視界に人工的な照明の輝きがともる。眩しい光の中に、妻と娘が満面の笑みで立っていた。おしゃれな壁には、「たんじょうびおめでとう」という文字がカラフルに躍り、お遊戯会のような折り紙の飾り付けがそこかしこを彩っていた。
 誕生日。そういえば今日は俺の誕生日だ。じわじわと実感する。三十四回目の誕生日。無邪気なサプライズは、俺の心をあたためた。思わず笑みが浮かぶ。
「あり……」
 ありがとう、嬉しいよ。そう言おうとした、その時だ。
 じめじめしたにおいが鼻をかすめた。娘の顔は青白く、新月の一日前のような目は、にんまりと笑みをかたどり、盛り上がった頬の肉に覆われて、さらに細くなっている。娘の手には、なにか細長いものが握られていた。その腕はまっすぐ、俺に向けられている。
 
 ぱあああん

 それは火薬のようなにおいがした。
 気がつけば、転げるように派手に飾り付けられた居間を飛び出していた。引き留める声がしたかは、わからない。玄関を飛び出し、へたり込む。手が、足が、震えている。心臓の拍動が、恐怖を訴えてやまない。

 ヒットマンになりたかった。暗い目をして、じめじめと育った。ずっと教室の片隅で机の角をにらみつけていた。親にも、教師にも、クラスメイトにも、何を考えているかわからない、と遠巻きにされた。不気味な子どもだった。大学に入り、俺は処世術と愛想笑いを覚え、ついに気立ての良い妻と結婚したときは達成感に満たされていたはずだった。
 白いプレゼント箱のような家を振り返る。夜の闇に鮮明に浮かび上がる新築の白壁は、ぬらぬらと輝き、牢獄のように厳かだった。

 激しく動揺したのは一瞬で、今ならわかる。あの破裂音はただのクラッカーだと。娘の力ではなかなか引き抜けず、奇妙なタイミングになっていたが。 突然の逃走をどうやって言い訳するべきか、俺の頭はすでに高速回転を始めている。不動産とは人をそこにはりつける力を持つ。留められ、離れられない。
 俺が大切にしなければならない家。俺が愛さなければならない娘。
 マイホーム、マイスイートガール。
 愛しき我が家よ。


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