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若早称平さん

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小説家の洞窟

18/07/12 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:3件 若早称平 閲覧数:368

時空モノガタリからの選評

小説を紡ぐという行為の中で、作者が時に直面しなければならないであろう停滞と再生の物語ですね。遠く離れた異国の島の洞窟の暗闇は、作家がまだ見ぬ自らの心の奥底の無意識の領域であり、見知らぬ遭難者の残した壁面小説は、同時に小説家である主人公自身の心の奥底に眠っている書くことへの強い原初的な渇望の表れなのかもしれないと想像しました。モノガタリという形式をとる夜に見る夢が、夢見手の心を映し出し、自身の内面をストーリーという形で客観視することを可能にすると仮定するなら、作家と夢と現実が交錯していく内容の壁面小説との出会いは、小説家として再生するために必然的な契機だったのではないかと想像するからです。人生にはこうした出会いが転機となってドラスティックな変化が起こる時があるのかもしれませんね。文章もよどみなく、安定した文章力を感じました。

時空モノガタリK

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 もともと書くのが早い方ではなかったが、ここまで書けなくなったのは作家になってから、いや、小説を書き始めてから初めてのことだった。机に向おうが散歩をしていようが食事中だろうが、寝ても覚めても小説のことを考えているのになにも書けない。アイディアが浮かばない。とうとう雑誌のページに穴をあけ、八つ当たりのように仕事用のノートパソコンを壊したとき、妻であり、編集者でもある一実からしばらく休んで旅行にでも行ったらどうかと提案された。
 手渡されたのはパスポートと、以前彼女が行ってみたいと話していた東南アジアの国行きの航空券だった。
「一緒には行かないのか?」
「だって私といるとあなたはどうしても仕事のことを考えてしまうでしょ? それじゃ気分転換にならないじゃない」
 決まっていた仕事をキャンセルし、てきぱきと旅行の準備をする彼女の姿を見て、そんなに一緒にいると息が詰まるのか? 邪魔なのか? と訝しむくらいに僕のメンタルは崩壊していた。
 追い出されるようにタクシーに乗せられ、三時間後には異国の地で途方に暮れる僕がいた。


 数日間を異国の港町で過ごした。一実の言う通りなるべく仕事のこと、小説のことを考えないように。ここはガイドブックにも箇条書きでしか記されていないような小さな町で、観光地らしき場所もない。そんな町で僕は、朝市で朝食を食べ、海沿いを散歩し、時には釣りをし、夜はバーで一杯飲んで寝るという日々を送っていた。締め切りの追われ、講演会で地方を飛び回っていた頃には考えられない。頭が、心が浄化されていくような日々だった。

 ある日、いつものようにホテルの近くのバーでビールを飲んでいると、一人の男が声を掛けてきた。白い髭をたっぷりと蓄えた初老の男は僕が日本人であることを知ると、興奮気味に片言の英語で捲し立てた。外国人、ましてや日本人などほとんど訪れることのないこの町から出ることなく彼は数十年漁師をしているという。
 男は以前漁をしていて見つけた不思議な場所へ僕を連れて行きたいと言った。それは町から沖に数十キロ行ったところにある無人島の洞窟だそうだ。なんの変哲もない島で、いい漁場でもない。地元の人間でも誰も行かないような洞窟に外国語で何か書いてある。それをもし読めるのなら読んでみてほしい。白い髭についたソースを手で擦りながら男はそう言った。もしも来てくれるのなら明日の早朝船着き場で待っていると。

 ホテルのベッドで仰向けになり、明日のちょっとした冒険に胸を膨らませた。誰も訪れることのない無人島に残された謎のメッセージ、もしかしたら小説のネタになるかもしれない。一実はそういうのはいいからとにかく一生懸命休んできなさいと言っていたが、この冒険がスランプ脱出のきっかけになるのならばそれにこしたことはないだろう。早起きしなくてはならないというのに、僕は遠足前の子供のように高ぶった気持ちを抑えることができず、いつまでも眠りにつくことができなかった。

 水平線に日が昇る。僕はそれを眠気と船酔いと戦いながら眺めていた。アドナンと名乗る昨夜の白髭の男は船の手すりにもたれてぐったりとする僕の姿を腹を抱えて笑っていた。四方八方見渡す限り海だ。もしアドナンが僕を騙し、誘拐とか脅迫とか強盗とか殺人を企んでいるとしたらひとたまりもない状況だった。
「アト一時間ホドデ島二ツク」
 僕の不安を知ってか知らずか、飲み水を差し出しながらアドナンは言った。船の進行方向に目を向けても青い空と青い海しか見えない。ようやく目的の島が見えた頃には僕の胃の中は空っぽになっていた。

 想像していたよりも大きな島だった。浜はなく、切り立った崖に囲まれている。木々がうっそうと茂っていてとても人が生活できるような雰囲気はなかった。
「コノ反対側ニ洞窟アル」
 アドナンの目つきが変わった。この辺りは海流が複雑で操縦を誤ると座礁する恐れがあるらしい。そこまでして見せたいものなのだろうか? 僕は吐き気を堪えながら島の海面を注視していた。ゆっくりと、洞窟が姿を現す。思ってたのと違った、というのが本音だった。海面にあって船で中に入れるようなものだと思っていたが、実際は海面から二メートルくらいの高さの岩肌にぽっかりと大穴が空いている。
「あそこ?」
 僕が指差すとアドナンは大きく頷いた。彼は何度もここに足を運んでいるらしく洞窟の手前に停船させると、洞窟から伸びるロープをたぐり寄せた。
「前二来タトキ作ッテオイタ」
 アドナンはリュックを背負うとロープをつたって僕を先導した。元々運動不足な上、船酔いで残りの体力が一桁くらいの僕はアドナンの手を借りてなんとか洞窟の縁へ手をかけた。数時間振りに踏みしめる地面の感触に感慨深いものを感じながら。

 直径が約二メートル、奥は暗くて見えないがそんなに深くもなさそうな洞窟だった。入り口は岩肌にぶつかる波のせいで濡れていて滑りやすくなっている。足下に注意しながら少し奥に入るとひんやりとした空気に変わったのが分かった。
「今灯リヲツケル」
 アドナンのランタンに照らされた洞窟内の姿に僕は言葉を失った。壁と天井一面に文字が、日本語がびっしりと刻まれた異様な光景がそこにはあった。僕は初め写経かなにかの類いだと思った。ところがアドナンの期待に満ちた視線を背中で感じながらじっくりと読んでいってみると、
「小説だね、これは」僕は確信を持ってそう言った。
 アドナンからランタンを受け取り、物語の出発点を探す。洞窟の入り口の右側から始まり、ぐるりと一周して入り口左から天井に向かっている。きっと壁だけでは収まりきらなかったのだろう。洞窟のちょうど真ん中の天井で文字は途切れていた。
「ドンナコトガ書イテアル?」
 一言でいえばラブストーリーだった。ある日夢で見た女性に偶然出会って恋をする。なかなか声を掛けられない主人公はその女性の夢を見るたびに声を掛ける練習をする。そんな話だった。
「アドナン、お願いがあるのだけれど。もし可能ならば、僕はここで一晩過ごしたいのだけどどうだろうか? 明日迎えに来てくれると助かる。もちろん手間賃は払うよ」
 日没まではまだ時間があったが、来た時間を考えるとそろそろ出発しなくてはならない時間だった。一度戻って日を改めて来るまで続きを読むのを待ち切れない。それになによりひどい船酔いを何度も経験したくはなかった。僕は日本で小説家をやっていることを明かし、どうしても今この小説を最後まで読みたいという熱意を伝えた。
 アドナンは頭を下げる僕に黙って背を向け船へ戻った。付いていくべきなのか逡巡していると彼は毛布と食べ物とノートを持って戻って来た。
「オ金ハイラナイ。ソノ代ワリコノ話ヲ英訳シテクレ」
 僕は彼から受け取った水をぐいっと飲み、親指を立てた。

 アドナンが去り、日没を過ぎると今までに経験したことのないような静寂と暗闇がやって来た。波の音しかしない。洞窟の入り口から星空を見ようとしたが、海に落下する危険を感じて断念した。

 いつしか主人公はどちらが夢でどちらが現実か分からなくなり、夢のつもりで女性に声を掛けてしまう。それが功を奏して二人は結ばれる。ハッピーエンドで洞窟の小説は締められていた。

 僕は気に入った場面をもう一度読み、そしてアドナンがくれた毛布の上に仰向けになった。どんな人物がどんな理由でこれを書いたのだろうか? 組んだ腕を枕に暗闇に向って想像する。町の描写や言葉使いなどから察するに昭和の中頃に書かれたのではないかと思う。文法の誤りや誤字脱字もある。岩に刻んでいるのだから修正ができないとはいえプロの文章ではない気がした。
 試しに余白の部分に同じように石で文字を書いてみたが、単なる悪戯とか軽い気持ちで書けるような手間と労力ではなかった。旅行者が記念に書いたというよりは、遭難者が最期に己の生きた証を残そうと刻んだものという方が納得がいく。それくらい執念というか情熱に溢れた作品だった。
 ふと、今自分は小説に囲まれて寝ているのか。そんなことを思った。もしも僕がここで最期を迎えるとしたらどんな小説を書くのだろう? そもそも小説を書くだろうか? 誰に向けて? なんの為に? そんなことを考えていてはっとした。いつから僕にとって小説は書きたいものではなくて書かなきゃいけないものになってしまったのだろう? 初めて小説を書いた日、新人賞に応募した日、書籍化が決まり一実と抱き合って喜んだ日、そんな日々が走馬灯のように浮かんでは消え、残ったのはただ、小説を書きたいという感情だった。
 
 結局僕は洞窟内で一睡もせず、アドナンのために拙い英語の翻訳を書いた。朝日とともに迎えに来た彼にそれを渡し、今日日本へ帰ることを告げた。
「イツカアナタノ小説モ読ンデミタイ」
「いつか必ず」そう約束し、アドナンと固い握手を交わした僕は船酔いのダメージを残したままホテルへ向った。


 成田空港へ着くとすぐに一実に電話をした。帰ったらすぐに執筆に取りかかりたいから準備をしておいてくれ。それだけ言って電話を切ったあとで、少し感じが悪かったかもしれないと反省し、タクシーの中から謝罪のメールを打った。すぐに返って来たメールは「別に気にしてないわよ。むしろそれでこそ私の夫だと思ったわ」という本気なのか皮肉なのか判別しにくいものだった。

 勢い良く玄関で靴を脱ぎ、ドタドタと書斎に走る僕を咎めることもなく一実は「おかえりなさい」と言った。机に向いデスクランプをつけた僕は、深呼吸を一つして「ただいま」と応えた。一実はきっと僕の背中を見て微笑んでくれている。そんな確信があった。


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このストーリーに関するコメント

18/07/12 クナリ

静かな洞窟の中に、凄絶な感情が響き渡るようでした。
原点回帰は心がけさえすればできるというものではなく、元々とても難しいことではないかと思います。
小説に囲まれるという衝撃的な体験の余波が、伝わってくるようでした。

18/07/28 文月めぐ

拝読いたしました。
スランプからの脱出を望む主人公、彼の小説への執念が伝わってくる物語でした。
私自身がスランプに陥ったときにはぜひまた読みたいなと思いました。

18/08/28 光石七

入賞おめでとうございます!
拝読しました。
洞窟内に小説を刻んだ遭難者の執念、洞窟で過ごしたことで主人公が取り戻した純粋な執筆衝動。
読みやすいシンプルな文章の中、主人公の感情がストレートに伝わってくる質の高い物語であると同時に、小説を書くとはどういうことか、どう向き合うべきか、示唆してくれるお話でもあり、現在執筆休止中の私は二重に心を揺さぶられました。
素晴らしい作品をありがとうございます!

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