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カンブリアさん

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わたしノオト

18/07/10 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:1件 カンブリア 閲覧数:280

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 もしも叔父と、もうすこし遅く出会っていたならば、たとえば中学生、いや、小学校に入りたての頃からだって、もしかしたらあんな関係にはならなかったかもしれない。
 父とは十五歳も離れていて、むかしは恥かきっこなんて言ったらしいが、ともかく叔父は、高校のときには山奥の実家からわたしたちの家に下宿していて、そののちに私のものとなった部屋はずっと彼のものだったのだ。
 事故で死んだのは、高校生のときのことだった。
 ありふれた、とはいえ当事者にとっては唯一のものである、トラックの暴走事故。
 当然、現場を自分で見たわけではないが、ひどいものだったらしい。
 死後、叔父の書いたノートを見た。
 生前は、けっして見せてくれなかったのだ。
 こんな風に始まっていた。

 ……
 気がつくと、眼前には、一冊のノオトが置かれているらしい。
 これはわたしのものである。
 そのような覚えなどないのだとしても、間違いなくわたしのノオトなのだ、今は、(おそらく)今には、今以外の時は、ない、とすれば、産まれる前でも、また、死んだ後でも。
 ……
 
 なんだか、おかしな文章だった。
 だいたい意味が分からないが、実にそのあたりがそれらしかった。
 叔父は、物心ついたころからいた人は、とても静かで、でも、ときおり変なことを言う人で、たとえば、
「虹ってねえ、根元では四角いんだって。でもある方向から見たときだけ丸いんだよ」
 なんて言っていたのだ。
「虹は、死んだ人の国へ行く橋なんだよ」
 そうなんだ。わたしも乗れるかな。 
 ノートは続いていく。
 
 ……
 今しかないのだから、今読み始める。
 そっと付いていない表紙を開いてみる。
 そこに書かれているのは、読み始めてみると、それとも、構想ではないのだろうか。
 筋を追っていくと、まず何語なのかわからなくなってくるとも言える。
 メモでないことはないだろうか?
 まず、目に飛び込んでくるとすれば、様々な色がある。
 大きな灰色の石のいくつも転がる、河原の、打ち捨てられて、きっといく日も経ているであろう、死骸、内臓を、それはおそらくは、産卵を終え、きっと熊なのであろうが、まだ饐えた灰色を帯びた、骨も見えて、脊椎も、目玉の抜け落ちた、たぶん鮭であろう、からだの、オレンジ。
 淡く、霞んで、産み落とされたばかりの、おそらくは、まだ雪も融けて間もない、太陽の、まだよちよち歩きの、まるでそこにいないみたいな、透き通った青に相応する、おそらくは十にもならない、手足もまだ伸びぬ、華奢な、ほそっこい脚の、無意味に懸命に駆ける、どこか無表情の、少女の着る安手のぺらりとどぎついジャンパーの、ラメの入った桜色。
 うっすらと、大地の、あるいは、猛りぬめる炎の、わずかな裂け目から、ゆっくりと産み落とされ、また放たれた、ヤマメ住むとっぷりと清き沢の、静かな苔の、緑と、親指が折れてもわからぬほどに、必死で駆けてきて、頭を撃ち抜かれて、倒れて、左後ろのポッカリと割れた、口の開いた、野ざらしの骨のような白。
 わたしのどれもが知っている色。
 ……

 この女の子は、わたしなのだろうか。
 たしかにこんな服がずいぶん好きでいつも着ていたように思う。
 読んでいると、わたしがどんどん幼くなって、それと同時に小さくなって、どんどんバカになって、寂しくなって、思わず声をあげてしばらく泣いてしまう。

 ……
 その間を文字が流れていく。
 わたしの知っている音楽がすべて鳴っている。
 見たことのないだろう文字もあるが、どれもわかっている。
 長い物語なのだ。
 構想の段階で、すでに、寿命のうちに読み切ることは不可能であった。
 たとえば、ある章では弔いが描写されている。
 葬儀のためには、ふさわしい場所を探さねばならない世界。
 世界の墓場。
 死が死を迎えるという終わりの日。
 またあるときは誕生。
 無からの誕生、あるいは無の誕生。
 誕生という概念の親。
 イメージ、あるいは、現実よりも確かなものに、必死で追いながら、それでも字はかすれ、とぎれとぎれで、マテリアルは書かれ、様々な、血液であったり、おそらくこれは膿か脳漿か、もしくは苔の汁、魚の臓物、イカの墨、もちろんインキだってあり、透明なものもあり、またはエーテル、銀、液体水晶、果実、ある種の昆虫、糸と針、大陸、あらゆるもので記され、いつしか話は展開していて、そもそも記されてなどいないものが大半なのだ。
 読みつづけてゆく……ある奇妙な丸い世界で、あらゆるものが空に落ちていくのだが、すぐさま空自体が落ち始めると言うので……初めから落ちながら産まれたものが、落ちることに関しての神話を、極めて平和な、この落下を寿ぎ、歌い……
 神にも崇める神があり、また神を司る神もあり……
 高木の思考が書かれ、読むためには木にならねばならず……
 ……

 次第に文章と、わたしが溶け合っていくようだった。
 むずかしいけれど、木に、木になるのは分かりやすかった。
 犬のルフ。あのバカな子。
 ルフは、いつもうるさくて、おしっこをもらして、あるときお腹を壊して、すごくたくさん血を吐いて、ねえ、どうしてあのときだけ何も言わなかったの?
 どうしていつもみたいにきゃんきゃん言わなかったの?
 痛いよ痛いよって言ってくれたら、わたし、最後にたくさん撫でてあげたのに。
 ルフは木になった、お墓に植えたのだったか?
 それは誰のお墓だろう?
 わたしのお墓だったかもしれない。
 木になったルフなら、赤い花か、あるいは青い花が咲いたかもしれない。

 ……
 混乱を極めるのが内容だった。
 追っていく、意味を、その意味などは……。
 次第にあらゆるものが溶けていくだろう。
 述語、主語、あるいはシニフィアンとシニフィエ、混ざり合うものもあり、そうでもないものもない。
 いや、すでに、意味ではなく、色のように、スペクトル、あるいは、味のように、音のように、心のように、ある記号だけでなく、記号という存在の枠そのものが枠となっていっただろう。
 ……

 おじさん、わかんないよ。
 トウヤおじさん。
 おじさんはでも、いつも優しかったよね。
 いつも書いたもの、見せてくれた。
 宿題も教えてくれた。
 絶対怒ったりしなかったよね。
 わたし、いつもおじさんのこと好きだった。
 今だって好きだよ?

 ……
 心?
 もう、すでに読んでさえいないのだった、語り手であるわたし、そうだ、わたしの音も、何もかも、
 わたしのおとが、
 いまでは
 意識だけ、
 この、意識だけはいまで、読んでいる
 「あなた」だけが
 何者かであるのだった。
 あなた。
 そうなのだ。
 わたしがあなたなのだ。
 あなたが読んでいるからこそ、わたしが起きている。
 ……

 わたしがおじさんを読んでいるの?
 それとも、おじさんが?
 それとも、べつの、だれかなの?

 ……
 あなたもまた、
 あなたのおと。
 静かに宇宙の裂け目から瞳を見える。
 ……見える、たしかに見える。
  おじさん、空がいくつかの角砂糖になっているけど色がよくないんだよ。
 宇宙の読者。あなたの読者。
 ……そこに、大きな瞳、あらゆる色と緑の、宇宙よりも大きな瞳。
 白と黒の稲妻が裂けている。
  ……かたちがせかいをたもてていない。 
 明滅。
  グリッド。
  うれしいんだけど、とても悲しいんだ。
 そう、残っている、
 本当に残っているのか。
  いつまで?
 何を今が見ているのであろうか?
 こうした、 見られることと見ること、 読まれることと読むことが一つになる、
 ならば、
 何かが、あなたが、生きている、
  いや、読んでいる、あなただって、ねえ、おじさん、
 わたしで、それは、ない、間違い、か?
  間違いなんてないって、言ってくれたよね。
 問うことなどできる……
  そうなんだね。そうか。
  ありがとう、思い出したよ、もう、大丈夫……。

「まさか、鏡花ちゃんがさ、死んじゃうなんてさ」
 トウヤは、仏壇の前でひとりごちた。
 悲しく明るい笑顔の写真。
 ノートをそっと仏前に置く。
 家は静まりかえっている。
 トウヤの姪が、高校生の娘が死んだのなら、当然のことだ。むごたらしい、あまりにむごたらしく。
「俺がさあ……」
 口を開いた瞬間、涙が止まらなくなった。
「俺がさぁ、代わってあげられたらなぁ……!」
  
  
 沈黙の後、音が鳴ることはない。
 仏壇の前におかれたノート。
 それから年月は過ぎていく。いつしか、父も、母も、仏壇も、叔父も、ノートも、家も、日本も、地球も、宇宙も何度かなくなった。
 覚えているものはない。
 だれも、なにも。
 いや、ほんとうにそうだろうか?
 ここにあなたがいる。
 あるいは、あなたなどおらず、永劫も半ばを過ぎて、ノオトだけがひとりで、静かに、そっと自らを記し始めたのかもしれない。


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このストーリーに関するコメント

18/07/28 文月めぐ

拝読いたしました。
人間は死んでしまっても、記録は残る。そんなことを考えさせられる物語でした。
不思議な文章がつづられたノオトですが、切なくなるような言葉でした。

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