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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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魔女っ子キララ

18/07/10 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:4件 秋 ひのこ 閲覧数:220

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「だから電話でもお話ししましたように、母にテレビ出演なんて無理です」
 自宅の居間で、玲子はふたりの男性と向き合っていた。隣には夫の聡真(そうま)がいる。
「VTR出演だけでも駄目ですか」
 30の玲子たちとそう歳は変わらないテレビ局からきた男が、熊のような身体を乗り出した。
「我々がお母様の施設に機材を持って伺いますし、それほど負担にはならないかと……」
 熊の隣で痩せぎすの男が、媚びを売るように微笑む。
 あくまで固辞を貫く玲子をようやく諦め、男ふたりは半ば呆れ顔で帰って行った。

「しつこかったね」
 聡真が言い、玲子は苛立ちを顕にカップを片づける。手元が狂い、男たちが置いていった企画書の上に飲みかけの紅茶がこぼれた。
〈『魔法少女キララ』のオリジナル女優が当時を語る! マル秘映像大放出!〉
 エプロンドレスを着た少女がフリルだらけのお椀型の傘を肩にかけて微笑む。1965年放映の子供向け番組『魔女っ子キララ』の写真である。主人公キララを演じたのが、玲子の母、君江。当時8歳。
 それから50年以上の時を経て、最近『魔法少女キララ』としてアニメ化。大ヒットしている。そこで、今春放送予定のアニメ特番に向け君江に出演依頼がきたのだ。
「30年以上前に女優を引退したばあさんを引っ張り出してどうしようっていうの」
 聡真が台拭きを持ってきた。
「お義母さんには話してみた?」
「まさか。言ったところでわかるわけないし」
 君江は現在61。若年性アルツハイマーで手に負えなくなり、去年やむなく施設に入れた。

 母の施設は家から車で45分かかる山中にある。空気が綺麗だの自然が多いだのより、その距離感が決め手となった。近過ぎれば頻繁に顔を出さねば誰かに責められそうで、遠過ぎれば会わない理由を正当化できてしまう。
「母さん」
 玲子は『魔法少女キララ』のDVDにかじりついている母の背に声をかける。
 記憶、というものが抜け落ちていく母は、食事も排泄も着替えもまともにひとりでできない。一方で、自分が「キララ」だったことは鮮明に覚えているらしく、アニメキャラに自身を重ねているようなのだ。
 テレビではちょうどキララが呪文を唱えて傘をくるくる回す場面で、母もぼそぼそと呪文を口にし、キララと同じ傘をくるくる回す。先月、おもちゃ屋で見つけた子供用の玩具をプレゼントした。以来、母はフリルだらけの小さな傘を決して手放さない。
 キララがぴょーんと建物から飛び降りた。傘を使い、ゆるやかに下降しながらふわふわと飛ぶ。
 まったねー、とキララが笑う。
「まっらねー」
 母が滑舌悪く繰り返した。放っておくと日がな一日DVDを観ている。
「キララ」
 玲子は渋々呼び方を変えた。母が目をぱっちり開けて振り返る。
「こえからもりのおしろえいくの」
 子供っぽい作り声で、母は言った。
「そうなの、森のお城へ行くの。何しに?」
 母の顔が物に衝突したかのごとく硬直した。口をぱくぱくさせ、目が泳ぐ。答えを探している。玲子は内心舌打ちした。会話のさじ加減が未だにわからない。あー、あー、と地声を出す母の肩にそっと手を置いた。
「お姫様に会いに行くんじゃないの?」
「そうよ、おひめさまにあいにいくの」
 当たり前じゃない、と人を見下すような視線で睨みつけ、肩に置いた手をぞんざいに振り払う。キララは、こんな性格じゃない。
 年々、母は「母の」キララになっていく。気難しく我がまま、短気で強情な魔女っ子に。キララだろうが君江だろうが、玲子はもうどっちでも良かった。

 帰宅すると、聡真がすでに帰っていた。慣れた調子でフライパンをゆすっている。
「ただいま。焼きそば? おいしそう」
「お義母さん、今日はどうだった?」
「いつも通り。キララだった」
 玲子はあからさまに尖った声を出す。感情を抑えられないのは聡真に甘えている証拠だという自覚はあった。
「何もかも、いつも通り」
 苛々と上着を脱ぎ捨て、仏頂面で椅子に座る玲子の前に、かつおぶしが踊る焼きそばと生春巻きを聡真がそっと置いた。どちらも、玲子の好物。
 聡真は黙って向かい側に座り、少し考えた後、自分の皿から春巻きをひとつ玲子の皿に移した。
「次の休みは、俺も一緒に行くよ」

 玲子は、「キララ」が嫌いだ。
 病気になるずっと前から、母は「天才子役」というはるか大昔の輝きを大事に大事に抱えて生きてきた。
 29で結婚を機に女優を引退したの、と本人は語るが、その頃にはとっくにお茶の間からは忘れ去られていた、と離婚した父は語った。
 子守唄も、鼻歌も、家の中で母が口ずさむのは『魔女っ子キララ』の主題歌。ことあるごとに「エイっ」と指を振り魔法を使う仕草をする。所構わず傘をくるくる回し呪文を唱える。玲子の友だちの前でも親戚の前でも、「まったねー」と茶目っ気たっぷりにくるりときびすを返す姿は、痛々しいを通り越して名前すらつけられない感情が胸を染めた。
 その感情は、重いしこりとなって今も身体の奥に沈んでいる。
 母がキララを誇りに思えば思うほど、玲子はいい加減にして、と叫びたくなる。いい加減にして。架空のキャラクターをいつまでも引きずらないで。あなたはもう女優ですらない、主婦でスーパーのレジ打ち。それだけ。

「ぴょーん、ぴょーん」
 母が芝生の上で機嫌よく傘を手にジャンプする。
 今日は聡真が一緒にいる。ふたり並んでベンチに座り、まるで小さな子供を見守るように、中庭で遊ぶ母を眺める。
「あ」
 母の動きが止まる。次いで、うーうーと妙な声を出す。
 玲子の喉が嫌な具合に詰まった。
 しばらくすると母はうなることを止め、またるんるんと踊り出す。
 能面のような顔で立ち上がりかけた玲子の腕に手をかけ、聡真が優しく言った。
「俺が行くよ」
「でも」
「うん、スタッフさんに引き渡すだけだから」
 聡真が母に歩み寄り、何か話しかけ建物を指差す。母は渋るが、聡真が「行くぞー」と拳を突き上げると、母もはしゃいで「ごー」とスキップした。聡真がちらりと玲子を見て、短く微笑む。
 その瞬間、熱い塊が胸の奥から爆発的にこみ上げ、玲子は唇を引き結び頭を深く垂れた。
 母は、粗相した。それも、大きい方。
 オムツはしている。でもしていようがいまいが、母には関係ないし、排泄の意味もわかっていない。
 身体を折り曲げ、嗚咽をぐっとこらえる。
 聡真に「わかってもらえる」ことが辛くてたまらない。
 母が「わからない」ことがおぞましくてたまらない。

 帰宅し、ふと聡真の部屋に足を踏み入れてみた。
 本棚に漫画や小説の類は一切なく、代わりに新書や専門書が溢れている。架空の世界を嫌う玲子と嗜好が似ているが、わざと合わせてくれているのではないかと思う時もある。
 そんなつもりはなかったが、気がつけばさりげなくその証拠を探そうとしていた。何かないか。昔の漫画、映画化された安っぽい小説。何か、夫の正しさを剥がすもの。
 机の上に、アルツハイマーに関する本が数冊積み上げられていた。
 昼間こらえた涙が目の奥で再び熱を帯びる。そのまま動けずにいると、後ろから聡真がやってきた。
「何してんの? 探し物?」
 その顔をまじまじと見つめ、言った。
「出来杉君、と呼んでいい?」
「何、急に」
「夫として出来過ぎてるから。理想の夫過ぎて、立派過ぎて私にはもったいないから。私は聡真に甘えてる。そのことが申し訳なさ過ぎて、すごくつら」
 言い終わる前に、両頬を大きな掌でぎゅっと寄せて押し潰された。
「卑屈モード、オフ」
 聡真が平たい表情で見下ろしてくる。その手を振り払い、続けた。
「あの人はせめてわかるべきなの。私たちが貴重な休みの重なりを施設で潰していることも、自分たちの子作りを保留にしてることも、あの人はせめて。でないと聡真――」
 再び、容赦なく両頬を押さえつけられる。
「考え過ぎない、落ち込み過ぎない、責め過ぎない、はい復唱」
「かんあえすいない、おいこいすいない、しぇえすいない」
 聡真がようやく手を放し、やわらかく笑った。
 玲子も少し、聡真のために笑った。
 出来杉君だって、架空の男の子だ。それを持ち出した玲子の矛盾を、夫はきっと気づきもしない。



 その電話が鳴ったのは、桜が一斉に開花した日曜の朝だった。
 職員によると、ちょっと目を離した隙にベランダから飛び降りたというのだ。例の呪文を唱え、何の恐れも迷いもなく、傘をかかげてぴょーんと。
 施設の応接室で真っ青な顔で状況を説明する職員を前に、玲子の心は冷たく鎮まる朝の湖水のように落ち着いていた。
 母はもう、「君江」ではなかった。遠い日にたった3年演じただけの「キララ」になっていた。61で逝くのは早過ぎる、だが、これはこれで良かったのかもしれない。
 医者の話では、今後「キララ」の記憶すらなくなっていくとのことだった。君江でもなくキララでもないなら、一体何になるというのか。
  
 警察から返してもらい、玲子は折れてしまったキララの傘を棺に入れた。市販のアニメ版キララの衣装も入れる。
「母さん、『まったねー』」
 顔の半分が包帯で隠れた母に、玲子はキララお決まりの台詞を捧げる。
 まったねー。
 肩越しにそう言って、キララはくるりと傘を回し、ひょいと風に乗って去って行く。

 小さい頃、傘を片手に公園のベンチや車止めのブロックから呪文を唱えてジャンプした。傍らで母が、手を叩いて喜んでいた。
 玲子もまた、キララだった時代があった。

 またね、母さん。
 今夜だけは、古い実写版のDVDを観て、呪文を唱えて、魔法が使える気になってから眠ろう。そう、思った。


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このストーリーに関するコメント

18/07/12 クナリ

出口なく錯綜する心情が、痛々しく伝わってきました。
加齢や社会生活など、人が生きる上での問題は多用で、重すぎますね。
人生という旅の終わりがいつもハッピーエンドならいいのですが……。

18/07/13 秋 ひのこ

クナリさま
こんにちは。
本当に、しかも共有してみんなで解決できるものでもなく、結局ひとりひとりが向き合うしかない問題なので、なかなかどれが正解かわかりません。
「死」でまとめる終わり方は安直ですが、魔女っ子になりきっているお母さんと主人公にとっては、ある種のハッピーエンドかな、とも思います。これが現実だと自殺はできず自然に亡くなるまで延々苦しみは続くのでしょうけれど……。
丁重なコメントをありがとうございました!

18/08/01 冬垣ひなた

秋 ひのこさん 拝読しました。

良い思い出でも、昔を引きずったまま生きて行くことに変わりはない。そんな母に翻弄される玲子さんの気持ちが痛いほどに伝わってきました。架空のキララとは対照的に、現実の幕切れはあまりにあっけなく、人生の儚さを感じます。
社会問題を捉えながら救いを感じさせるのは、秋さんの優れた観察眼と表現力があってのものだと思いました。素晴らしい作品でした。

18/08/03 秋 ひのこ

冬垣ひなたさま
こんにちは。
自分で物語を書くと暗い方向へ行きがちなのですが、基本的にハッピーエンドがすきです(^^;)
この話ははじめから「悲劇」にするつもりはまったくなく、冬垣さんが仰るように「救い」を感じ取っていただけたなら本望です。
丁重な感想をいただきありがとうございました。とても嬉しかったです!

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