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向本果乃子さん

目をとめて読んでいただき嬉しいです。読者としても、自分には書けないジャンル、アイデア、文体がたくさんあって、楽しみながらも勉強させて頂いてます。運営、選考に携わる皆さんにはこのような場を設けて頂き感謝しています。講評はいつも励みになります。

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哀しい人

18/07/02 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:10件 向本果乃子 閲覧数:488

時空モノガタリからの選評

亡くなった父への、一言では語れないほどの複雑な思いがリアルでした。実際の家族というものは、程度の差こそあれ様々な相反する感情が共存するものなのだなとしみじみ感じます。他人よりも一度こじれると難しい問題があるのかもしれません。発見されたカセットテープの存在は、親子としての情愛を交わした瞬間も確かにあったことに気づかせるものですが、人の心は時間をかけ徐々に変容していくものであることを考えると、そう簡単にハッピーエンドにはならなかったであろうことも容易に想像されます。そんな中、自らの心中の父の負の影響を払拭し、生まれてくる子供への愛情を誓う未来へ向けた決意は、今の主人公にできる唯一の建設的な解決策なのかもしれません。

時空モノガタリK

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 家の中にいても波の音が聞こえる。
「ここに住んでたんだよね」
 海辺にある平屋の一軒家。
「すごい物の量」
「週末で片付けるのは無理だね」
 溜息をつく妹の頭に白髪を見つけた。三つ下の妹は三十七になる。自分たちがそんな歳になったなんて信じられない。でも七十の父が心筋梗塞で亡くなったのだから確かに月日は流れたのだ。
「お母さんが死んで一年もたなかったね」
「別れて何年も経つのにやっぱりショックだったのかな」
 母は昨年癌で亡くなった。離婚しても連絡はとりあっていたのに、入院中父は一度も見舞いに来なかった。現実から目をそらす弱い人だった。
「一歳のお姉ちゃんが階段から落ちた時もヒステリックにお母さんを責めて自分は出てっちゃったんでしょ?」
「病院連れてくこともせずにね」
「怖かったんだろうね」
「しょうもないね」
 私たちは笑った。本当にしょうもない人だった。
「ほとんど苦しまず一瞬で逝ったみたいだから…よかったよね」
 妹の言葉に頷く。
「俺は雪山で一人死ぬから捜索するなって言ってた時なかった?」
 私たちは吹き出した。人一倍慎重で臆病な父が雪山に登ること自体あり得ない。
「癌で闘病とか絶対無理な人だったよね。痛みや死が怖くて発狂するよ」
「世の中案外うまくできてる」
 認知症になって徘徊したり、大病して精神的におかしくなったり、孤独死して白骨死体でみつかったり…ずっとそんな心配をしてきた。だから父が人のいる場所で倒れそのまま亡くなったと聞いた時、ほっとしたのも事実だ。葬儀は私たちだけで行った。父は兄弟とも縁を切っていたし友達がいるはずもない。いたとしても私たちに連絡する術はない。
「何から片そう」
 離婚してから父はここで一人暮らしていた。父が死ぬまで私も妹も訪れたことのなかった家だ。メールでだけ繋がっていた私たちに、父は頻繁に自分のことを書いてきた。美術館へ行った、講演会に行った、クラシックコンサートに行った…自分が豊かで文化的な生活をしていると伝えたかったのだろう。自分にしか興味のない人だった。たまに私たちが自分のことを書いてもほとんど返信はなかった。私が結婚したとか夫とウェブデザイン会社を作って独立したとか。妹が昇進したとか趣味の書道で賞をもらったとか。たとえ返信があっても「よかったですね」くらいだった。決して褒めることはなかった。そして張り合うように自分のことを書いてくる。親は子供の幸せや成功を喜ぶと思っていたけれど違った。娘より常に立派でありたい人だった。相手を見下してでも優位にいると思うことでしか自分を保てない人だった。人を褒めたら負けだと思っていたのかもしれない。自分だけを愛していたのになぜ結婚して子供を作ったのか。聞けないうちに死んでしまった。
「昔の物たくさんあるね」
 妹が言う。元の家にあった家具など捨てずに使っていたようだ。
「あまりいい思い出ないな」
 苦笑気味の私に妹は仕方ないよと言う。
「住んでた家が懐かしいとかないもん。あの頃の気持ちが蘇って心が沈むだけ」
 思いつきで浪費する父のせいか、何の統一感もない家具が溢れ、細かい物がやたら多い混沌とした家だった。それが今ここに再現されている。それは甘い郷愁を誘うのではなく、父が投げた物があたって開いた襖の穴や、姉妹で隠れるように息を潜めていた子供部屋や、タバコの匂いの染みついたトイレを思い出させる。
「小学生の時、玄関の外で立ったまま朝ご飯食べて学校行ったことなかった?」
 朝から父の機嫌を損ねてしまった私のせいで姉妹そろって玄関に出された私たちは、母がこっそり持ってきたトーストを食べて学校へ行った。妹は泣いていて、私は怒りで顔を真っ赤にしていた。私たちは姉妹でも父の理不尽な言動への対応は正反対だった。妹はいつもじっと我慢して堪えていた。私は恐れながらも怒ってあらがった。結果、父はさらに猛り狂った。それで妹はさらに泣いた。私の怒りは沸々と煮えたぎった。母は娘二人を大学まで行かせるために我慢し続けた。馬鹿にされ軽視され肋骨を折られても我慢した。私と妹は経済的に自立した女になると心に決めた。
「ちょっと外の空気吸いにいかない?」
 息苦しくなって私は言った。
「そうしよう」
 妹も同じ思いだったのだろう。
 三月の夕方四時過ぎ、外はまだ明るかった。
「日が伸びたねえ」
 私たちはゆったりと海辺を歩いた。夏には多くのサーファーや海水浴客で賑わうこの場所も、三月のこの時間には閑散としている。
「寂しかっただろうね」
 外に出ても結局父のことを考えてしまっていたのは妹も一緒だったらしい。
「自分しか愛せない小心者の寂しがり屋か」
「最後までそんな自分認めなかっただろうけど」
「気づいてもなかったでしょ。周りが理解できないほど頭が良すぎるから俺は孤独なんだ、と思ったまま死んでいったはずだよ」
「ある意味幸せな人だね」
「…残念な人だよね」
 私の言葉に妹は「だよねー」と言って波打ち際に駆け寄った。手を海水につけて「冷たっ」なんて言っている。私が近づくと、海のずっと先を見ながらぽつりと言った。
「私、結婚迷ってるんだ」
 妹はもう六年も一緒に暮らしている人がいた。
「やっぱり自信ないんだよね」
 私は右手を自分の腹部にあてる。そこにある命について誰にも話せずにいた。この歳で授かるとは思ってなかった。でもここに命があると知った時、自分でも驚いたことにとても嬉しかった。震えるほど嬉しかったのだ。だけど冷静になると母になる自信がなかった。だったらなぜ私は結婚したのか。
「父親みたいな男の人ばかりじゃないよ」
「わかってる。六年も暮らせば全然違うってわかる」
 それでも不安なのもわかる。信じられないのは相手ではなく、自分だ。それでも結婚したのはなぜだったか。それなのにこの命を産むことを簡単に決められないのはなぜなのか。常につきまとう自分への不信。決して褒めることがなかった父の自分たちへの評価が絶対ではないと、私も妹も頭ではわかっているのに。
「いい娘にもなれなかったのに、いい妻や母になれるなんて思えないんだよね」
 妹の言葉があまりにもそのまま私の思いだったので笑ってしまう。
「笑うところ?」
 苦笑する妹にごめんと謝る。
「私たちは全然似てないのに、やっぱり同じ環境で育った姉妹なんだなと思って」
 
 私たちはそのまま海に沈む太陽を見た。それはとても美しい光景だったのに、酷く寂しかった。

「これお姉ちゃんのじゃない?」
 父の家に戻り、気を取り直して片付けを始めた妹の手に、私が中学時代にお年玉で買った赤いカセットデッキがあった。
「嘘でしょ、なんであるの?」
「何かテープ入ってる」
 妹が再生ボタンを押す。
「動くの?」
 テープが伸びているのか、少し間延びした質の悪い音に私たちは耳を澄ます。
 波の音をかき消して、若い父親の歌声が響いた。顔を見合わせる私たちの耳に流れ込むのは、さっちゃんという童謡を娘二人の名前に置き換えて歌う父の調子っぱずれな歌声と幼い私たち二人の弾んだ笑い声。
 こんなの知らない、覚えてない。いつ録音したのかもわからない。なぜ父がそのテープを持っていて、私のカセットデッキに入っているのかもわからない。父は聞いていたのだろうか。幼い娘たちの前で歌う自分の声と姉妹の笑い声を。
 短いテープが終わり、波の音しか聞こえなくなった部屋に嗚咽が響いた。
 妹が先だった。そして私が続く。いったん喉につまった塊が漏れる。何で?どうして?
 父の死を知った時も葬儀の時もずっと泣けなかった。結局わかり合えないまま逝った父への苛立ちと少しの安堵しか覚えなかった。
 哀しい人だ、と初めて父のことをそう思った。
 どうしてあんな父でも許して会いに行けなかったのか。でも、できなかった。怖かったのだ。父が自分のこと以上には娘を愛していないことを再認識させられるのも、否定され軽視され傷つけられるのも怖かった。
 死ぬまでわかり合えることのなかった父に伝えたかったのは、ずっと恨みや怒りばかりだと思っていた。でも本当に伝えたかったことは『お父さんを愛したかった。そして愛してほしかった』それだけだったのかもしれない。お父さんに褒めてもらえる娘になりたかった。
 今では突っ伏して号泣している妹も、同じなのかもしれない。
 でも、もしそれを生きている間に伝えられていたとしても、ドラマのような感動の最終回にはならなかったこともわかっている。鼻で笑うか、何も聞かなかったように自分の話をするだけだったろう。そんな哀しい人だった。

 涙も涸れた私たちは、瞼を腫らし鼻を真っ赤にした化粧の剥げた酷い顔を見合わせて、お互いを指さして笑った。

 私はきっと望むような母親にはなれない。時には感情的になったり、自分の思いを押しつけたり、苛々して声を荒げてしまうこともあるだろう。でもこれだけは絶対に伝えよう。あなたが大好きでいとおしくて大切だと。いつだってあなたの味方でいると。そしてあなたのいいところは全部ちゃんと言葉にして褒める。あなたのことは何があっても絶対に諦めたりしない。投げ出したりしない。理想の母親になれなくて何度もこんなはずじゃなかったと思うかもしれない。だけどあなたを愛し、あなたの幸せを祈ってる。それだけは何度でも伝えよう。あなたのお父さんと一緒にお母さん頑張るから、だから私たちのところへ生まれてきて。

「今度は日の出を見ようよ」
 妹が吹っ切れたようなすがすがしい顔で言った。
「うん、一緒に見よう」
 私の顔も憑き物が落ちたようにすっきりしているに違いない。
 遠くから、優しく打ち寄せる波の音が聞こえている。


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このストーリーに関するコメント

18/07/06 クナリ

願いと後悔の繰り返しの中で生きながら、全てが過ぎ去ったあとでしか感じられないこともあるのだろうな、と思いました。
感情の錯綜に、読みごたえがありました。

18/07/17 みゆみゆ

私とは育った環境が違うのに、読むほどに共感しました。淡々と語られるストーリーが、ラストにかけてグッと血の通っていく様に読み応えがあります。ほんの短いあいだにどんどん芯が強くなっていく主人公の描き方がいいですね。苦労や葛藤を昇華させていく強さや素直さは美しいし、生きる力だと思いました。波の音が聞こえるのもいいですね。様々を象徴しているようで、読みながら、本文以外にも掻き立てられる想像が心地良く響いてきました。とても良い小説でした。

18/08/27 光石七

入賞おめでとうございます!
拝読しました。
父親への複雑な思い、新たな家族を得ることへの不安。心情描写が繊細かつ丁寧で、リアルな重みをもって胸に迫ってきました。
カセットテープを聞いた後の未来への決意にも心が揺さぶられます。
素晴らしい作品でした!

18/08/28 凩吹之介

この父親はうちの父のような人で、娘は性別こそ違えど私のようです。それだけに人物描写の的確さが分かり、見事であるなあと感じるとともに深く共感しました。

18/08/30 待井小雨

拝読させていただきました。
一言では言い表せない父親への複雑な思いが痛いほど伝わってくる物語でした。
カセットテープに歌声が録音してあった、というあたりで胸が詰まりました。いい父親だとは決して言えないけれど、やはり娘を想っていたのだろうな……と思いました。

18/09/03 向本果乃子

コメント書いていただき、感謝しています! 本当にありがとうございます。
お礼が大変遅くなり申し訳ありません。

クナリ様
感情の錯綜を読み取っていただきありがとうございます。願いと後悔の繰り返しの中で生きる。本当にそうですね。そして全てが過ぎ去ってからしかわからないこともある。虚しい気持ちにもなりますが、その中で精一杯生きることの美しさがあるのかもしれない、などとクナリ様のコメントをきっかけに私もまた色々と考えることができました。ありがとうございます。

18/09/03 向本果乃子

コメント書いていただき、感謝しています! 本当にありがとうございます。
お礼が大変遅くなり申し訳ありません。

みゆみゆ様
育った環境の違う主人公に共感してもらえて嬉しいです。短い物語の中での主人公の変化まで読み取っていただきありがとうございます!苦労や葛藤を昇華させていく強さ素直さが美しい生きる力だと書いていただき、それを読んで、私が書きたかったことかもしれないと思いました。波の音にも気づいていただけて本当に嬉しいです。ありがとうございました

18/09/03 向本果乃子

コメント書いていただき、感謝しています! 本当にありがとうございます。
お礼が大変遅くなり申し訳ありません。

光石七様
心理描写を繊細でリアルに感じていただけて嬉しいです!主人公の複雑な思いや気持ちの揺れや変化を、読みながらリアルな重みをもって感じていただけたなら、これほど嬉しいことはありません。ありがとうございました!

18/09/03 向本果乃子

コメント書いていただき、感謝しています! 本当にありがとうございます。
お礼が大変遅くなり申し訳ありません。

凩吹之介様
主人公と似た境遇の方にリアリティを持って読んでいただけて、共感までしてもらえたこと、とても嬉しくて言葉にならないほどです。コメントしていただけたことに心から感謝しています。本当に本当にありがとうございました!!

18/09/03 向本果乃子

コメント書いていただき、感謝しています! 本当にありがとうございます。
お礼が大変遅くなり申し訳ありません。

待井小雨様
一言では言い表せない複雑な父親への思いを読み取り感じていただき、ありがとうございます。ただ憎んでしまえたら楽なのにと思うような、そんな父親と娘たちの複雑な感情を読み取り共感し胸詰まらせていただけたこと、とても嬉しいです。ありがとうございます!

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