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クナリさん

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あとがきジョニーの思い出

18/06/29 コンテスト(テーマ):第158回 時空モノガタリ文学賞 【 あとがき 】 コメント:0件 クナリ 閲覧数:276

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 あとがき、というものに憧れたことはないだろうか。

 子供の頃、漫画や小説を自分でも書いてみたいと思う人は多いと思う。
 その際、世にある本のあとがきを見て「ああ、本編はもちろん、このあとがきというものを私も書いてみたい」という欲求を抱いたことがないだろうか。
 「あるわけねえだろ」という方はそれで結構。
しかし意外に、こうした思いを抱く方は多いのではないかと私は思っている。
 だって私がそうだったから。

 作品の本編を充分に堪能したのち、作者ご本人が現れて、裏話や日記のようなものをしたためるあとがきは、私にとって大切な読み物だった。
 特に私が好きだったのは、本編では読み手を感動させたり血をたぎらせたりしながら、あとがきではややラフなタッチでハイセンスなボケや笑い話で面白おかしく単行本のラストを飾るタイプのあとがきである。
 自分でも書いてみたいと思ったものの、あとがきというのは「世に出せる本編を製作した人間だけに許される特権」だったから、自分には生涯縁がないだろうなと思っていた。

 しかし。
 ある日、私は知ったのだ。
 同人誌というものを。

 同人誌は、素人が書いて素人が作れる。
 コンビニコピー機大活躍のコピー本はもちろん、印刷所に依頼すればオフセット本の製作も可能だ。
 そうなのだ。
 私にも本が作れ、私にもあとがきが書けるのである。
 しかも同人誌は大抵イベントで頒布する他にも色々頒布方法はありますが。
 相手の顔を見ながら、手渡しである。
「私が散々頭をひねって書いた、でも『こんなんサラッと書いたんですよ』感あふれる軽妙な面白あとがき」を、これからこの人が読むんだ……という興奮を考えるだけでワクワクした。
 単に興奮するのではなく、興奮するところを想像して興奮するのだから、私も捨てたものではない。

 同人誌に縁のある方はご存じと思うが、同人誌特有のあとがきに「対談」というものがある。
 文字通り、その同人誌の作者が、気ままにしゃべくり合った内容を文字に起こして書くのである。
 話の中身は、その本についてだったり、全く本とは無関係だったりする。
 書き手同士の暴走やふざけた妄想を、確信犯的に面白あとがきとして収録するのである。
私はこれがやりたかった。
 しかし悲しいかな、私はぼっちであり、書いた漫画本は個人誌であった。

 私は弱った。
 これでは幼少期からの夢、あとがきが書けない。
夢に見た対談はすぐ目の前にある。
 しかし、友達がいない。致命的であった。

 そんな時、私は天啓にも似た閃きに打たれた。
 できる。
 できるぞ。
あとがきができる。それも対談が可能だ。
 架空の人格を作ればいいのだ。
 私の脳内で、その人格とくっちゃべり、それを対談として収録するのだ。
 しかもそれが脳内人格であると暴露しなければ、ぼっちであることを読み手に悟られることもない。
 私は己の発想にしびれた。
 今思えば、十人ぼっちがいれば十人が思いつきそうな方策だったが、ぼっちだった私は十人が百人でもなんの問題もなかった。
 地球上に一人しか人間がいなければ、その人間の発想は常に前人未到であり、空前絶後なのである。
 ぼっちならではの境地、侮れぬ。
 うるさい。侮れぬの。いいの!

 私のあとがき用人格は、あとがきジョニーと名づけた。
 ジョニーは私の意図を汲み、私の発想を誤解なく受け止めて、私のボケに私の望むツッコミを入れてくれた。
 その阿吽の呼吸たるや、あたかも一卵性の双子、いやそれ以上だったと言えよう。
 縁あって他の方と対談をすることも増えたのだが、どうしたわけか、どんな対談上手の方とも、ジョニーほどの一体感は得られなかった。
 人には個性があり、相性があるのだと思いしった。
 もはやジョニーのいない人生などあり得なかった。
 ジョニーと寝食を共にし、ジョニーと添い遂げることを心に決めた。

 別れは突然訪れた。
 ジョニーは私に、「君は、本当は、俺の存在ほどつまらないものはないと思っているんだよ」と寂しげに告げ、黒い革ジャンの背中にサヨナラをまといながら、常磐線の北千住駅に吸い込まれていった。
 追いかけることは、できなかった。
 それから私は、誰とも対談をしていない。

 近年、SNSで「嘘松」という代物が散見される。
 実際には起こっていないことをあたかも起こったかのように描写した発言に、「それは嘘だろう」とツッコミを入れるものである。
 それが本当に嘘なのかどうかは、私には分かるはずもない。
 ただ時々、世にあまたある嘘松のどこかに、北千住駅で線路を挟んだ向かいのホームで私に背中を向けて立ち、日暮里方面の電車に乗って去っていった、革ジャンのジョニーの背中を探してしまうのである。


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