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木野 道々草さん

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ナイフとフォーク

18/06/25 コンテスト(テーマ):第157回 時空モノガタリ文学賞 【 コメディ 】 コメント:5件 木野 道々草 閲覧数:329

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 安田(あだ)が、午後七時までに行くようにと所長に言われたのは、Shade Treeという名のレストランだった。通されたテーブルには、高齢の男性が座って待っていた。その人は彼を見ると立ち上がり話しかけた。
「冨森法律事務所の冨森といいます」
 安田は、八十歳くらいだろかと思いながら丁寧に頭を下げた。
「阿田法律事務所の安田と申します」
 二人は名刺を交換すると椅子に座った。

 冨森が料理を注文している間、安田は所長の言葉を思い出していた。『安田君は若いから、いつも文句を言うよね。法律に反しますとか。そんなの分かってるよ。ここは法律事務所でしょ。君と僕しかいないけど』
 その言葉を反芻していると、「前菜でございます」という声とともに料理が運ばれた。「どうも」と冨森が礼を言った。その後、二人のテーブルは会話がなく静かだった。会話はないが、安田は食事が進むにつれ相手に興味を持った。前菜はサーモンと水菜のサラダだった。彼には少し食べにくかったが、冨森は上手にナイフとフォークを使いサラダを口に運んでいた。それに感心して、時折彼は相手のナイフとフォークの動きを目で追った。優雅に動く銀のカトラリーの光沢が美しかった。

 だが肉料理を食べ始めると、冨森のナイフとフォークは動きを止めた。安田が顔を上げる。冨森は目で彼に伝えた――君のナイフとフォークが黒く変色している――彼はそれを見て息を飲み、以前読んだ小説に、銀の変色から料理の毒を検知する場面があったのを思い出した。冨森を見る。相手は彼が言わんとすることを理解した風に頷き、
「さあ、どうでしょうか。ただどちらにしろ、もう食べてしまった。毒を食らわば皿まで。皿は残しても、料理は食べたらどうですか」と冗談とも本気ともつかないことを言った。

 毒を食らわば皿まで――身に覚えのある安田はこれは天罰だと思った。自分は弁護士でありながら法を破り、人を騙す仕事をしてきた。そしてそれは所長に言われたから、自分の意思でやっているのではないと己に言い聞かせてきた。

(しかしそうなのか)

 彼が自問しナイフとフォークを見つめていると、不思議なほどそれらは黒く染まっていった。そのまま目を逸らせずにいると、視界は黒い霧で覆われ始めた。彼はこれが毒で死ぬということなのだと分かった。

(こんな死に方は……嫌だ)

 カチャッ。

 冨森の皿の上にナイフとフォークが揃えて置かれた。冨森がまた目で何か言うと、安田は頷き、自分のナイフとフォークを皿の上に揃えて置いた。すると、彼の視界から黒い霧がさっと晴れていった。

 翌日、安田が事務所に出勤すると所長に呼ばれた。でっぷり太った中年の大男がデスクの上に組んだ腕を乗せ、彼を見上げた。
「安田君、今すぐうち辞めなよ」
「え」
「冨森さんの事務所に誘われたよね」安田が頷くと、所長は笑った。「いいよ、新しい人雇うから」
「でも」
「僕は毒を食ってもしぶとくて、こんなに太るまで食べてきた。もうどうにもならない。けど安田君は僕みたいには太れない。このままだと死んじゃうね。一度首を吊ろうとしたしね」
「……」
「まあ、辛かったけど、最後はコメディ映画みたいにハッピーエンドで終わってよ。それが君に最後に期待したいこと。ああいう映画って、途中で主人公が辛い目に合っても、最後は笑える結末になっている。辛くてもハッピーな結末。うん。その繰り返しが続けば、人生はそれでいいじゃない」
 言いたいだけ言うと、所長は右手で指鉄砲をつくり、安田に向けて一発撃つ真似をした。
「とにかくハッピーに死んでね、安田君」

***

 阿田所長は、部下が事務所を去ったのを確認すると、先ほどの芝居がかった自分に苦笑した。しばらく肩を震わせていたが、落ち着くとデスクの引き出しから縄を取り出した。その縄を結んで輪をつくる。天井を見る。縄をかける場所は、すでに決まっていた。だから迷いなく、その真下に椅子を置く。椅子の上に登った。縄を天井から吊るした。そうして全てが整うと、彼の止まっていた息が吹き返し、ふう、ふうと呼吸を始めた。
「安田は面白いやつだった……俺を初めて見た時、体の余った肉を売れば一儲けできますねと言ったが、あいつは本当に……ただ一言デブだと言えばいいのに……面白いやつだった」
 彼は呟きながら呼吸を整える。
「……この縄は俺の重みに耐えるか」彼は天井から垂れる縄を見た。なぜか、安田がナイフとフォークを持ち縄を切ろうとする姿が浮かんだ。肉が切れないとでも言うように、縄が切れないと安田が泣きそうになっている。
「ふ、ふ、おかしい」
 彼は笑いが止まらず、震える手で輪を首にかけた。
「コメディだ。最後まで笑いが止まらない」

 ふ、ふ、と鼻を鳴らすような短い笑い声は、かなり長いこと事務所の中に聞こえていた。


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このストーリーに関するコメント

18/06/26 木野 道々草

補足:「毒を食らわば皿まで」は、毒が盛られた皿まで(舐める)ということですが、作中の台詞では、毒が盛られた皿まで(食べる)と読めると思います。書いた側としては、できれば両方で読んでいただきたいですが、本来のことわざについて誤解を招くかもしれませんので、補足致します。

18/06/26 冬垣ひなた

木野道々草さん、拝読しました。

悪事は、どこかで歯止めがかからなければ破滅に向かうもの……。安田は踏みとどまることができましたが、心底から悪人になり切れない阿田所長はどこかで後戻りする機会を失ったのでしょうか。ラストが明らかにされていない終わり方も良かったです。

18/06/28 木野 道々草

冬垣ひなたさん、ご感想ありがとうございます。

想像ですが、阿田所長が後戻りする機会を失ったのは、本人のせいだけではないかもしれません。食べなければ生きられないように、生きるために悪事を働いていいということにはならないので、彼をどう書くかは難しかったです。ラストについて肯定的なコメントをいただき、嬉しいです。ありがとうございます。

18/07/26 こぐまじゅんこ

拝読しました。
阿田所長に、ちょっと興味がわきました。
なんでそんな悪事をするようになったのか、阿田所長が主役の小説も読んでみたいです。

18/07/26 木野 道々草

ご感想をいただき、ありがとうございます。
キャラクターに興味を持っていただき、とても嬉しいです。私自身、阿田所長が気に入っていて、本作を投稿後、今度は彼が主役の小説を書きたいと強く思いました。なぜ悪事をするようになったか、それが書けたら面白くなりそうです。挑戦してみます。

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