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うたかたさん

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コメディによるコメディ

18/06/24 コンテスト(テーマ):第157回 時空モノガタリ文学賞 【 コメディ 】 コメント:0件 うたかた 閲覧数:113

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「コメディってなに?」
 僕は君の問いかけに明確に答えることはできなかった――


 何気ない日常にはたくさんの『コメディ』と呼ばれるものが存在している。それはテレビやラジオ、インターネットにおける画像や音声、映像作品にとどまらず、私たちの家族や友人、あるいは通りすがりの人にでさえ適応される、人と人とのかかわりの中で繰り広げられているものなのである。
 そんな『コメディ』とやらを僕は正しく認識もしないで今まで過ごしできた。なぜなら、『コメディ』は簡単には認識できないものであると僕は思うのだから。
 ある日の放課後、君はみんなを笑わせようと、あるお笑い芸人の動画を見せてきた。その場にいた五人はその映像に注目した。しかし、三十秒ほどの動画は誰も笑わせることはできなかったのだ。唯一笑いを起こすことができたのは、その映像が終了したことによる静寂だけであった。その集まりが解散された後、君は僕に向かって

「なんでみんな笑わなかったのかな、あんなに面白いのに」

 そんなことを悲しそうに言っていた。当たり前だ、みんなにとってはその映像は面白くなかったのだから、君にとっては面白かったのかもしれないが。
 ここでこの一連の流れを『コメディ』として考え直してみると、ある二つのことがわかる。
 一つは『コメディ』は人によって受け止め方が異なる、ということである。君はその映像――ここではこれを『コメディ』ととる――を面白いものであると考えている。しかし、他の五人にとってはそれは面白くないものであったのだ。ゆえに『コメディ』とは人によって面白い面白くないの考えが分かれ、あるいはその『コメディ』が面白さを狙ったものではなくても――当たり前ではあるが――それに対する人々の考えからは一様ではない、ということがはっきりした。
 もう一つは『コメディ』はさらなる『コメディ』を呼ぶ(引き起こす)可能性をもっている、ということである。先に決めたように君が流した映像を『コメディ』と捉えたとき、それ自体が笑いを起こすことがなくても、それによって作り上げられた雰囲気や環境が笑いを起こしたのだ。ここでさらに『コメディ』の範囲を広げ、その雰囲気や環境を『コメディ』と捉えるのならば、『コメディ』によって作り上げられる『コメディ』が成立する。単に面白く人を楽しませる物事だけが『コメディ』というならばこれは『コメディ』の範囲外なのかもしれない。しかし、実際にこの状況を考えてみたとき、ある一つの『コメディ』が出発点となって繰り広げられる一連の出来事をすべて『コメディ』としてしまっても何ら問題ないと僕は思う。したがって、『コメディ』はそれが行われている瞬間だけにとどまることなく、様々な場面や時を超越する形で新たな『コメディ』を展開・提供しているのである。
 これは君が引き起こした出来事から考えた単なる一つの『コメディ』捉え方に過ぎないのであるが、あの時の僕にはここまでの思考を展開する余裕はなかった。
 しかし、君の『コメディ』の本質を問うたであろうその言葉への返答は、今もできそうにない。
 単に『コメディ』を物事の瞬間としてとらえるのであれば答えはすぐにでも出そうである。しかし、『コメディ』による様々な展開は大きな広がりをみせ、一つの解釈をすることはできないであろう。
 その意味で『コメディ』は日常に溢れているのである。


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