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上村夏樹さん

はじめまして、上村と申します。 公募に挑戦するワナビです。突発的にショートショートを書きたくなる面倒くさい生き物。 最近、初めて買って読んだ詩集で泣きそうになるという、やはり面倒くさい生き物。 物書き、そして読者のみなさん、よろしくお願いします!

性別 男性
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きおくのーと

18/06/18 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:2件 上村夏樹 閲覧数:265

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 健一は小学校に通えないの。
 今までそう言われてきたけど、今日こそ通えない理由を聞いてみようと思う。
 台所からニンジンを刻む包丁の音が聞こえてくる。規則正しいリズムのするほうへ向かうと、カレーのいい香りがした。
「あら。健一、どうかしたの? カレーだから、つまみ食いはできないわよ?」
 夕飯の支度をしていたお母さんは、ちらりと僕を見た。
「……お母さん。どうして僕は小学校に通っちゃだめなの? 僕もみんなと学校で遊びたい」
 たずねると、お母さんは困ったように笑った。
「わるーい病気がね、健一のことをいじめるからだよ。健一の病気が治ったら学校に行こうね?」
「僕、病気じゃないもん! ほら見て、元気!」
 腕をぐっと曲げて、力こぶをつくる。
 僕を見るお母さんの笑顔は、ちょっぴり疲れているように見えた。

 お母さんは大人なのに、少し子どもっぽい顔をしている。でも、僕は若くて美人だと思っているので気にしてない。それに、いつも優しくしてくれる。誰がなんと言おうと、自慢のお母さんだ。
 でも一つだけ、お母さんは僕に意地悪をする。小学校に通わせてくれないんだ。難しいことはよくわからないけど、僕が病気だからだめなんだって。
 病気だって言うけど、僕はさっきお母さんと一緒にスーパーに出かけた。別に体が弱いから外に出ちゃいけないわけじゃないし、体だって自由に動かせる。いたって健康
 僕はこんなに元気なのに、どうして小学校へ行けないの?
 お母さん。
 僕の病気ってなに?

「健一! ちゃんと片づけないと駄目じゃない!」
 お母さんが散乱しているおもちゃを指さした。さっき僕が遊んだやつだ。
「ごめん、お母さん。今から片づけようと思ったんだ」
「嘘つくんじゃないの! これくらいのことできないでどうするの!」
 お母さんは「とにかく、片づけを終わらせないと晩ご飯は抜きだからね!」と僕を叱って、お仕事に出かけた。
 最近、お母さんは怒りっぽくなった。普段は優しいし、ニコニコしているんだけど、ときどき急に怒鳴ったりする。
 たぶん、お母さんは一生懸命お仕事しているから疲れているんだ。僕はできるだけ迷惑をかけないようにしないといけない。今度からは言われる前にちゃんと片づけよう。
 たまにふと思うときがある。
 僕が病気だから、お母さんは大変なのかなぁって。
 もしそうなら、僕は病気を治してお母さんに楽をさせてあげたい。
 どうすればいいのかな。
 ……昔はもっと病気のこと、わかっていた気がする。

 お母さんは夜にお酒を飲むようになった。お酒はウーロン茶みたいな色をしていて、氷の入ったグラスについである。
 お酒を飲む日、お母さんは決まって泣いた。
 そして、悲しい声でグチをこぼす。
「……私、もう疲れたよ。お父さん」
 からん、と氷が溶ける音がした。
 僕のお父さんは、僕が赤ちゃんの頃に家出したらしい。
 お母さんは一人で僕を育ててくれている。疲れたって言っていたのは、お仕事や家事が大変だからだ。
 きっとお父さんがそばにいてくれたら、お母さんは泣いたりしない。お酒も飲んだりしないと思う。あんなに頑張って働かなくてもいいはずだし、二人いれば、僕の面倒を見るのも大変じゃなくなる。
 お父さんがいないせいで、お母さんが泣いている。だから、僕はお父さんが嫌いだ。
 せめて僕が病気じゃなければ、お母さんに迷惑をかけなくてすむのに。
 どうすれば病気は治るの?
 そもそも、本当に病気なの?
 わからない。
 ……僕の病気って、なんだっけ?

「健一。お母さん、ちょっとスーパーに行ってくるね」
 お母さんは「今日は健一の好きな肉じゃがだよ」と笑顔で言って、買い物に出かけた。僕は家で留守番だ。
「よし、手がかりを探すぞ!」
 僕はお母さんの部屋に入った。
 お母さんは僕の病気のことをなにか隠している。僕は病気のヒントがお母さんの部屋にあるんじゃないかと思い、こっそり調べることにしたのだ。
 お母さん。勝手に部屋に入ってごめんなさい。
 でも僕、これ以上お母さんに迷惑かけたくないんだ。病気のことを知って、治すための努力をしたい。だから、許してくれるよね?
 机にある本棚を見る。並んでいる本は難しいタイトルばかりで、なんの本かよくわからない。かろうじて「心」とか「治」という漢字は読めるけど……きっと僕が読んでも理解できない。勉強ができる人が読む本だ。
 本棚はあきらめて、次に引き出しを開ける。
「あれ? これ、ノートだ……」
 タイトルは、ひらがなで「きおくのーと」。しかも、名前を書く欄には「さいとうけんいち」と書いてある。間違いない。僕の名前だ。
 僕はこんなノート知らないし、字だってこんなに上手じゃない。そもそも、こんなノートを書いた記憶もない。
「なにが書かれているんだろう……」
 怖い気持ちもあったけど、おそるおそるページをめくった。


 〇月×日
 どうやら俺は頭がおかしくなったらしい。妻の顔も、名前も、声も、愛しい仕草も……彼女に関わる一切の情報が思い出せないのだ。
 医者いわく、妻が事故死したショックに心が耐え切れず、脳がその事実を拒んだ弊害らしい。妻に関わるすべての情報を強制的に遮断して、事故死のショックを忘れるべきだと脳が判断したのだろう。
 ああ、ちくしょう。どうして忘れてしまったのか。
 愛する妻のことを忘れるくらいなら、どんな痛みでも背負って生きたかった。
 そう思えるのは、胸を叩く痛みが消えたからだろうか。
 俺は……自分で思っていたよりも、ずっと弱い人間だったようだ。

 △月■日

 忘れてしまう、という表現は、どうやら適切ではなかったようだ。
 俺の記憶は遡行していくらしい。簡単に言えば、記憶が昔に戻っていくということだ。今はだいたい大学生くらいの記憶だと思う。俺と妻が出会ったのは、会社に就職して三年目のこと。妻のことを知らないのは当然だった。
 このままだと、過去をすべて忘れてしまう。俺は記憶遡行していく自分が過去を忘れないように、日記をつけようと思う。
 だって、もう経験したくないんだ。大切な人との思い出が、時の経過とともに剥がれ落ちていく地獄を。
 失われた記憶はきっと、もう二度と戻らない。
 そして次第に精神も幼くなり、最後は脳が死ぬのだろう。
 怖い。
 闇に飲まれて一人ぼっちになってしまうような……俺が俺でなくなってしまうような感覚が、とても。

 ●月□日

 僕のお母さんは若くてきれいだ。いつも明るくて優しい。小学校に通わせてくれないのは嫌だけど、それ以外は自慢のお母さん。
 でも最近、ちょっと疲れているときがある。僕が心の病気だからいけないのかな?
 そういえば……お母さんとそっくりな人、どこかで会った気がする。
 全然思い出せない。
 でも、なんだか忘れてはいけないような気が――。


「健一?」
 突然、声をかけられた。
 慌てて振り向くと、お母さんが驚いた顔をしていた。
「そのノート……読んだの?」
「うん。僕、自分の病気のこと知りたくて……勝手に入ってごめんなさい」
「……そっか。健一の病気は心の病気でね。ゆっくりと時間をかけないと治らないの。小学校に行けないのも、いろいろと事情があって……ごめんね。大変だけど、お母さんと一緒に頑張って病気をやっつけよ?」
「うん、頑張る! 頑張って、お母さんに迷惑かけないようにする!」
 お母さんは「いいの。子どもは親に迷惑をかけるものなのよ」と髪の毛を耳にかけながら笑った。
 遠い記憶の果てに、その仕草を見たことがあった。
 僕の大切な人……顔も、名前も、声も思い出せないけど、その人が髪を耳にかける仕草だけは、ぼんやりと思い出せた。
「ねぇ。よく覚えてないんだけど、お母さんは僕の大切な人に似ている気がするんだ」
「けん……いち?」
 お母さんは目を見開いた。
 その優しい両目に涙がたまっていく。
「その大切な人っていうのが思い出せないんだけど……ねぇ。お母さんは、どうしてその人にそっくりなの?」
 尋ねると、お母さんは泣きながら笑った。
「それはね……私が健一の大切な人から生まれた娘だからだよ」
 大きな目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
 僕は笑った。
 だってお酒を飲んでいるときの泣き顔と違って、お母さんが子どもみたいに嬉しそうだったから。
「お母さん、なに言ってるの? 難しくてよくわかんない」
「そう、だね……お母さん、変なこと言っちゃったね……っ!」
 お母さんにぎゅっと抱きしめられた。いつもやってもらっているのに、なんだか今日は懐かしいや。
 結局、ノートに書いてあったことはよくわからなかったけど。
 ひとまず僕は、大切な人を思い出すことにした。


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このストーリーに関するコメント

18/07/13 クナリ

「もう疲れたよお父さん」が刺さりすぎますね…!!
そりゃ疲れますよね……!未婚のまま一人っぽいし!
ショートショートの魅力溢れる、流れ、転換、まとまりでした!

18/07/14 上村夏樹

>クナリさん

コメントありがとうございます!
私も親を世話する経験をしたわけではありませんが、きっと心が疲れるでしょうし、気持ちを吐き出さないと自分がダメになっちゃうのかなぁと想像しながら書きました。楽しんでいただけてなによりです!

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