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かわ珠さん

自分の好きな作家さんの言葉のチョイス、並べ方、区切り方、リズム、テンポに少しでも近付けるような文章が書けるようになりたいです。

性別 男性
将来の夢 世界平和
座右の銘 愛は時空を超える

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だから、僕は走り続ける

18/06/18 コンテスト(テーマ):第1回 時空モノガタリ短編文学賞 コメント:0件 かわ珠 閲覧数:226

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 神様なんて、いない。
 それが、誰よりも神様から才能を与えられた彼の口癖だった。
 彼は陸上短距離競技の選手として圧倒的に優れていた。同世代の選手の中でも、彼がずば抜けた才能を持っていたのは、一目瞭然だった。
 そんな彼が神様なんていない、と断言するのは、その競技人生が怪我との戦いでもあったからだろう。
 彼は選手生命の危機に瀕する大怪我を二度負っている。
 一度目は右足首の靭帯断裂、二度目は左膝の靭帯断裂。
「俺が神様なら、才能を与えて、潰す、なんてそんな意味のないことはしねえよ。なんなんだよ、それ。そんなことをして一体何になるってんだ? まったくの徒労だ。訳がわからない。だから、神様なんて関係ない。俺は俺の力でここまで来たんだ」
 と、彼は嘯く。
 それは慢心でも傲りでもない。彼の練習量は群を抜いて人よりも多かった。その練習量ゆえに、その実力を身に着けることができたのだと、納得できた。もっとも、その練習量ゆえに、大怪我を二度も負ってしまったのだという見方もできるのかもしれないけれども。
 努力をする天才。
 そんな存在を相手に、凡人である僕が届くはずがなかった。彼とは同世代で、中学生の頃から何度もレースで競ったことがあるけれども、一度として彼に勝てたことはなかった。彼とともに走る時、決まって僕の視界には彼の背中があった。いくら手を伸ばそうとも、その背中には届く気がしなかった。すべてを置き去りにして駆け抜けていくその姿は、まるで草原を駆けるガゼルのように美しかった。彼が努力の末に体得したであろう美しいランニングフォームが、僕にそう見せたのだろう。
 それでも、僕が努力をしない理由にはならない。たとえ凡人であったとしても、忘れることのできない景色がある。もう一度経験したい快感がある。自分以外はみんな後方を走っていて、先頭でたった一人、まだ切られていない真新しいゴールテープを切る。あの光景が、快感が忘れられずに、僕は走り続けるのだ。

  ♦

『On your mark』
 アナウンスが鳴って、スターティングブロックに足をかける。隣には彼がいる。今レースの大本命は言うまでもなく彼だろう。今回は調整も上手くいき、万全の態勢だという。それでも、初めから負ける気でこの場に立つ人間なんていない。当然、僕も勝つつもりで身体を沈める。
 トラックは静寂に包まれている。
 スタート直前のこの静けさが好きだ。どんな瞬間よりも、この瞬間が一番自分自身と向き合えている気がする。大きく息を吸って、吐く。心拍はいつもより少し早いか。けれども、今から大一番のレースなのだ。これくらいで丁度いい。
『Set』
 身体を持ち上げる。
 静寂は最も深くなる。深海に沈んでいくようだ。時はゆっくりと、いや、もはや止まってしまったんじゃないか、と思えるほどに静かだ。
 そして、もう息を止めているのは限界だ、と思った瞬間にぱあん、とスタートの合図が鳴る。それと同時に歓声が響き渡る。
 僕は最高のスタートを切った。身体は軽い。脚も自分でも驚くくらいにスムーズに前に出る。上体のブレは少ない。間違いなく僕は今、自分史上最高の走りをしている。
 けれども……というよりも、やっぱりというべきか。
 僕の前を、彼が駆け抜けていく。
 その背中がぐんぐんと離れていく。
 それは、絶望か。それとも希望か。
 きっと、その両方なのだろう。
 彼が怪我をして、練習ができずにリハビリに充てていた時間も、僕はトレーニングを重ねていた。それでもなお、彼には届かないのだ、という絶望。大怪我を乗り越え、再び僕の前を走り、彼は未だ僕の目標であり、憧れであり続けてくれるのだ、という希望。
 その絶望と希望の比率は限りなく五分と五分に近いのだけれども、ほんのわずかに希望の方に傾いている。だから、思わず口元には笑みが浮かんでしまう。
 これを、この瞬間を、僕は望んでいた。待っていた。
 必死に足を前に出す。けれども、その差は縮まらない。むしろどんどん離されていく。
……はずだった。
 それなのに、その背中が徐々に大きくなってくる。これまでに見たことのないビジョン。
 当然だ。彼は走るのをやめてしまっていたのだから。
 彼は完全にその場に立ち尽くしている。けれども、僕が走るのをやめるわけにはいかない。その立ち尽くす彼の横を、僕は駆け抜ける。
 その瞬間、僕は確かに聞いた。
「あぁ、神様……」
 と、彼が呟く声を。
 それですべてを理解した。彼はもう、走れないのだと。
 結局、大会の結果は自己ベスト更新の大会レコードで僕の優勝。そして、彼はそのまま病院へと運ばれていった。

  ♦

 彼が走るのを止めた瞬間の写真がある。あるカメラマンが撮った一枚だ。
 彼は天を仰ぎ、腰に手を当て、少し寂しそうに笑っている。その写真は悲劇の天才を捉えた写真として、有名な一枚となった。けれども、その写真には写らなかった彼の言葉を、声を、僕だけが聞いていた。
 神様なんていない、と断言していた男が漏らしたあの言葉には、どんな思いが込められていたのだろうか。
 恨みか、皮肉か、それとも諦観か。
 僕にはわからない。きっと、世界中の誰だってわからない。彼のみが知るその言葉の意味を詮索したところで意味は無い。
「やあ、優勝おめでとう。お前ならきっと、俺の届かなかった景色が見られるさ」
 と、数日後に見舞ったときに、彼にそう言われた。それが彼の本心なのかどうかはわからない。僕はその言葉よりも、彼の足に巻かれた白いギプスからずっと目が離せなかった。神はなぜ、彼にこの上ない才能を与えておきながら、奪ってしまうのか。それも何度も。それが悔しくて、許せなくて、苦しくて、僕は涙を流す。
「なんでお前が泣くんだよ。怪我をしたのは俺だぜ?」
 そう言って、彼は困ったように笑う。
「うるさい、僕はキミに勝つ、という最大の目標を失ったんだぞ。勝ち逃げされて、素直に喜べるかよ」
 前日、彼は陸上競技からの引退を表明していた。
「それは悪かったと思ってるよ。お前が俺に勝とうと努力をしてきていたことも知ってる。目標を失う辛さも……まあ、わかる。でも、しょうがないじゃん。怪我をしないのも才能さ。俺には陸上の才能がなかった。それだけの話さ」
 違う。彼は才能に恵まれていた。その才能に嫉妬し、見惚れた僕が言うのだから、間違いない。美しいフォーム、しなやかな脚の筋肉、全身のバネ。きっと、陸上競技をしている人間ならば、誰もが彼の才能を認めるはずだ。
「それに、最後のレースでお前は俺に勝った、ともいえる」
「走るのを止めたキミを抜いたって、そんなものに意味は無いよ。ノーカンだ。結局、僕はキミに勝てないままなんだ」
「いや、そうでもないさ」
 と、彼は不敵に笑う。
「どういう意味だ?」
 僕は首を傾げる。
「俺には俺の持っている記録がある。その記録を抜いてみろよ。そうすれば、お前は間違いなく俺を抜いたと言える」
 確かに、彼は日本記録をひとつ持っていた。怪我さえなければ、いずれはもっとたくさんの記録を塗り替えることができたのかもしれないけれども。
 そんな記録を塗り替えたところで、彼に勝ったことにはならないだろう。いずれは彼自身がその記録を塗り替えていたのだろうから。きっと、これは彼の優しさだ。ずっと目標を追いかけてきていた凡人に対する気遣いだ。そんな気遣いを彼にさせてしまったことが申し訳なく、心苦しい。
 僕は伏せていた顔を上げる。
 彼は、自らが走れなくなったというのに、それでもなお僕に道を示し、目標を与えようとしてくれている。ならば、僕は走り続けるしかない。そして、いずれは彼の持つ記録さえも。
「……ああ、わかったよ。キミのその記録、僕が抜いてみせる。キミよりも速く走って。キミが見れなかった景色を、光景を。この目に焼き付けてやる。そして、未知の景色を、感覚をキミに自慢してやるんだ。キミはその話を聞かされながら、せいぜい悔しがればいい」
 そうすることが、彼への恩返しになると信じて。
「ああ。期待してる。お前ならできるよ」
 彼は笑って小さく手を振った。

  ♦

 今日も僕は走る。彼の記録を破るために。
 練習量は元々ほかの選手たちと比べても多い方だったかもしれないけれども、もう少しだけ増やした。メンタルトレーニングなんかも取り入れ、食事も徹底的に管理した。タイムは徐々に縮まり、彼の持つ日本記録も射程距離内に捉えた。次のレースこそ、彼の記録を塗り変えてみせる。

『On your mark』

 僕は彼に夢を見た。
 同世代でライバルで、負けたくないと思っていたけれども、それでも彼のその走りに魅せられて、憧れた。
 常に競い合う間柄ではあったものの、同時に僕は彼のファンでもあったのだ。
 だからこそ、理不尽に彼からその才能を取り上げた神なんてものを、僕は信じない。神様というやつは、才能を与えておきながら、その才能を奪い取り、苦しむ人間を空から見下して嗤う、悪趣味な奴なのだ。

『Set』

 僕は神に才能を与えられなかった凡人だ。与えられていないのならば、奪うことすらできないだろう。僕は僕個人の力だけで彼の記録を抜き、彼でさえ届かなかった光景を手に入れてみせる。それこそが、神に対するささやかな抵抗になると信じて。そして、その暁には空に向かって中指を立てて、きっと僕の記録を悔しそうに喜んでくれるであろう彼に向けてこう言ってやるのだ。
「やっぱり神様なんて、いなかったよ」
 と。

 ぱあん

 乾いたスタートの合図。
 僕は迷わずに一歩目を踏み出した。


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