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文月めぐさん

第144回時空モノガタリ文学賞【事件】にて、入賞をいただきました!拙い文章ではありますがよろしくお願いします。コメントもできるだけ書いていこうと思います。Twitter→@FuDuKi_MeGu

性別 女性
将来の夢 作家
座右の銘 失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる。

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つまらない日常の中に

18/06/16 コンテスト(テーマ):第157回 時空モノガタリ文学賞 【 コメディ 】 コメント:1件 文月めぐ 閲覧数:328

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 マンションの一室に戻ると、飼っている猫のあらたが出迎えてくれた。社会人三年目で彼女なしの一人暮らし。俺の心を癒してくれるのはあらただけだ。その彼の瞳が「お腹空いた」と語っているのはいつものこと。
「はいはい、ちょっと待ってろよ」
 俺はコンロ下の収納スペースを開け、猫缶を取り出そうとして気がついた。ストックが、ない。
 これは大変だ。仕事帰りに寄ったスーパーで自分の夕飯の食材は買ってきたのに、あらたの餌を買うことをすっかりと忘れていた。
 俺の足元から「にゃー」というなんとも悲しい声が聞こえた。視線を向けるとどことなく落ち込んでいるように見える。まだ小さいあらたは育ち盛り。たくさん食べさせないといけないのに。
「あらた、ごめんな。今からコンビニ行ってくるから」
 俺はあらたの首元をくしゃくしゃと撫でると、財布と鍵だけ握りしめ、靴をつっかけて部屋を飛び出した。

 スーパーまで自転車をこぐつもりはない。近くのコンビニで済ませてしまおう。コンビニなら走っていける距離だ。真夏の夜空の下、全速力で走る俺を周りの人は不審そうに、あるいは憐れむような目で見ている。だけどそんなこと構うものか。あらたのためならそんな視線も跳ね返せる。
 ピンポン、という電子音が鳴って入り口を潜り抜けると、エアコンの冷気が俺を襲った。汗がすっと引いていくのがわかる。その温度差に思わず身震いしてしまう。おっと、そんなことよりあらたのご飯だ。
 俺はペットの餌が陳列されているコーナーまでたどり着くと、猫用の餌の中から吟味し始める。いつも買っているものは当然のようにそこに並んでいる。ああ、これこれ。あって良かった――そう思って、手に取ろうとした瞬間、あらたの悲しそうな鳴き声が頭をかすめた。
 あらたは今も俺の帰りを待って、いい子にしているに違いない。待たせてしまっているのは、飼い主である俺。
 一瞬思っただけだが、迷いはない。俺はいつも買っているものよりも数百円高い、隣に置いてある猫缶を手に取った。これであらたも満足するに違いない。
 俺は猫缶一つを持って、レジへと急いだ。
「いらっしゃいませ」
 レジ担当の女性が硬い表情で微笑んでいる。ああ、きっとバイトの人だ。それも始めたばかりの。俺は急いでいるのに、ツイてないなあ。
 案の定、まだ若い彼女は猫缶一つ袋に入れるだけで手間取っている。これは相当手際が悪い。思わず舌打ちしてしまった。ついでに貧乏ゆすりしたくなる。ああ、部屋ではあらたが待っているというのに……。
「お箸とお手拭き、お付けしましょうか?」
 緊張した声に話しかけられ、いらいらしながらも「はい」と返事をする。
 やっと袋に詰めると、今度は会計。ここでもレジスタッフの彼女は戸惑いながらレジを操作している。こんなスタッフがいるコンビニ、もう来ないだろうな、と俺はひったくるように商品とお釣りを受け取ると、どたどたと足音を立てながら店をあとにした。
 
 部屋のドアを開けると、玄関であらたが行儀よく座っていた。
「あらた、ごめんな、待たせてしまって」
 よしよし、と頭をなでると、気持ちよさそうに目を細めている。そんなあらたも俺の持っているビニール袋に目ざとく反応して、目をまん丸にしている。
「ご飯な。今準備するから」
 足元にじゃれつくあらたをそのまま遊ばせて、俺はお皿を取り出した。あとは猫缶を開けて、お皿に移すだけなのだが……。
「なんでお箸とお手拭き入ってるんだよ」
 さっきの店員、なんという勘違いをしているんだ。間違えるにもほどがあるだろう。俺は怒りに任せて割り箸を折りたくなったが、はたと気づいた。『お箸とお手拭き、お付けしましょうか?』って彼女はあの時、そう問いかけたではないか! 緊張していた彼女に腹を立てるばかりではいけない。俺だって人の話をきちんと聞いていないではないか。しかし、猫缶にお箸とお手拭きである。この組み合わせには笑わずにはいられない。
「猫がお箸とお手拭き使うのかよ」
 声を上げて笑う俺を見上げ、あらたが首をかしげているように見えた。そうか、あらたにとって、こんなに笑っている俺は珍しいのだ。普段は仕事から帰るとベッドで眠るだけというつまらない日常を送っている。声を上げて笑うなんて久しくなかった。そう思うと笑いをくれたあのスタッフさんに感謝しないといけない。まだ仕事には慣れていないだろうが、彼女の様子を見るためにコンビニに行ってみるのも悪くないかもしれない。
 今度は、本当にお箸とお手拭きが必要なものを買おう。そう決意すると、俺は再び腹を抱えて笑った。


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このストーリーに関するコメント

18/06/24 秘まんぢ

拝読しました★まず愛猫に「あらた」のネーミングがスバラシイ!あんた/あなたを連想させて、日ごろから猫をかわいがってるのがわかる。この親密感を前提に展開される一夜の出来事。なんでもないといえばそれだけだけれど、これをまとめるのって流石ですよ・・・あ。次回は主人公、ぜったい猫缶食べなさいw

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