1. トップページ
  2. マイコメディアン

W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

投稿済みの作品

1

マイコメディアン

18/06/03 コンテスト(テーマ):第157回 時空モノガタリ文学賞 【 コメディ 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:226

この作品を評価する

 一杯飲み屋のテーブルに向かいあってのんでいた山本が、ふいにカウンタ―のほうを指さした。
「ほら、あそこに――」
 なんのことかと僕は、彼の指先をたどって、カウンターの端にすわる一人の男をみた。白いものがめだつ後頭部よりも、そのどこか寂し気な背中が男のうらぶれた心情を素直に物語っていた。
「あの人が、どうした」
「彼だよ、喜多南」
「きた、みなみ……ってあの、お笑い芸人の」
「そうさ」
 舞台でテレビで、人気絶頂だったころの喜多南の記憶を、僕は心の奥からひきずりだした。何を言っても観客たちがわらいころげていた光景が目にうかぶ。
「いつのまにか、姿をみせなくなったね」
「いろいろ噂はあったようだけど、誰もその真相はしらないんじゃないか」
「それにしても――」と僕はいまいちど、喜多南のくたびれた身なりに目をやった。「ひどい落ちぶれようだね。だれも、気がついてないんじゃないか」
「若い者はね。俺たち中年以上ともなれば、たいてい彼のことはしっている」
 喜多南が得意とするのは、軽妙な語り口と、動物の物まねだった。とくに猿は十八番で、本物以上に本物だと、玄人筋からも絶賛されるほどだった。
 猿がうまいからといって、素の顔も猿面かというとなかなかどうして、きりっとした二重瞼の、苦みばしったいい男だった。
「もう芸能界から、足を洗ったんだろうか」
 僕も山本も、そのことさえ知らなかった。
「あっ」
「いきなりどうした、山本」
「いやね、俺は以前から、きみがだれかに似ているが、そのだれかが、どうにもおもいだせなかったんだが、いまやっとわかった」
 そこまできいたら、彼のいわんとすることは僕にもおのずとわかった。
「彼かい」
「そっくりじゃないか」
「そうかな」
 僕はあいまいに首を傾げたきり、あまりその話題にはふれる気はしなかった。
「おい、どこへいくんだ」
 山本があけたばかりのビール瓶をもって、カウンター席のほうへいきかけるのを、僕はよびとめた。
「喜多南があそこにいるんだ。ちょっと声をかけてくる」
 彼はその言葉どおり、喜多南のそばにちかよると、短く声をかけて、ビール瓶をさしだした。喜多南は、山本にむかって頭をさげて、自分のグラスで彼からのビールをうけた。それでもどってくるとおもいきや、山本は喜多南の隣の席に腰をおろして、言葉をかわしはじめた。二杯、三杯と山本は、喜多南のグラスが空になるたびに、ビールをついでいる。
 酔いがまわると、喜多南は多弁になって、テレビできいていたよりすこしトーンの高い声で話しだすのが、僕のところにもきこえてきた。なかでも、印象的だったのは、彼が次のように話したときだった。
「いくつものしらないところから請求書が舞い込むようになりましてね、高額の飲み屋のつけとか、ときには高級ホテルの部屋代までまじってましたよ。そのうえ、まったくみずしらずの女たちから、結婚詐欺で訴えられたり、慰謝料を要求されたり、記憶のない借金のとりたてに楽屋にまで悪質金融業者がのりこんできたりして、あの頃はほんとに地獄だったな」
 じぶんがいまなぜこんな安酒場にいるかを酔ったいきおいで彼は、喜多南ファンだといってちかづいてきた山本に、ぶちまけたようだった。このピン芸人はそして、そんなことさえなかったらいまでも、じぶんの話芸を楽しみにききにくる客たちに、幸せな笑いをふりまくことができたのにと、悔しさを言葉にあらわしもした。
 途中、山本はあらたにビールを注文して、喜多南になぐさめの言葉をかけながらそれを注いでやった。
「いまでもあなたの猿の物まねは絶品だとおもっていますよ。他の誰にもまねできない、芸術品だ。ぜひまた、舞台にもどってきて、演じてみせてください。ぼくたち期待してますから」
 それがもうけっして実現しないことは、いった山本はもとより、なにより喜多南自身が、一番しっていた。
「おまたせ」
 喜多南にわかれをつげて山本が、僕のテーブルにもどってきた。カウンターをみると、コメディアンは酔いつぶれたふうに、つっぷしている。
「話していて、声をかけたことをだんだん後悔しだしたよ。あんな過去、本人だって喋りたくなかっただろうに」
「ここからでも、だいたいきこえていたよ」
 彼はちらとカウンターをふりかえってから、声をおとして、
「芸人の世界は複雑だ。浮き沈みもはげしい。本当のところは、けっきょくわからない」
「まちがいないのは、彼の芸が絶品だったということだ」
「もうその猿も、みることはできない」
 残念そうにいう山本に、僕は、
「これかい」
「お、そうそう、その猿顔……そっくり」
 山本がおどろいたふうに僕と、カウンターの喜多南をみくらべた。
 多くの女たちがこの物まねにだまされたのだ。
 僕こそ本物の、コメディアンにおもえてならなかった。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン