1. トップページ
  2. 俺とアイツの3時間

飛鳥かおりさん

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

7

俺とアイツの3時間

18/05/22 コンテスト(テーマ):第156回 時空モノガタリ文学賞 【 浮遊 】 コメント:2件 飛鳥かおり 閲覧数:988

時空モノガタリからの選評

閉所恐怖を忘れさせてくれた蜘蛛とのエレベーターでの3時間がユーモラスでした。普段苦手としている蜘蛛でさえ恐怖の時間を共に過ごすことになれば、確かに「同士」のような親近感を覚えてくるものかもしれません。またある種の絆を蜘蛛に対して感じながらも、一定の距離感を失うことない関係性にリアリティを感じました。全体的に文章が読みやすく、綺麗にまとまっているのも良いですね。

時空モノガタリK

この作品を評価する

 「急がば回れ」などという言葉がある。
 ちょっとばかし閉所恐怖症の俺は、エレベーターには極力乗らずにいつもは階段を利用する。だが、オフィスのある九階から一階まで降りるのはやはりエレベーターの方がだいぶ早い。
 仕事を終えた俺は、時計を見ると今日は予定より一本早い電車に乗れそうだったので、珍しくエレベーターに乗り込んだ。良くも悪くも、それがすべての始まりだった。

 やはり閉鎖空間は少しそわそわする。早く着かないかなと気が逸るなか、俺の気など知らずにエレベーターは五階で急に止まった。ゴトンという音とともに停止したエレベーターはしんとして、誰かが乗ってくるどころか扉が開く気配もない。
 嫌な予感がした。背中を生温い汗が伝う。
 エレベーターの表示は五階のままだが、防音され電波も届かないこの箱のなかから現在地を確認するすべはない。
 急いで緊急ボタンで助けを呼ぶも、焦る気持ちはどんどん加速する。止めどない汗はじっとりと俺の衣服を湿らせていく。襲いくる震えと吐き気。
 一分一秒が普段の何倍にも何十倍にも感じられる。この時間をあといったいどれくらい過ごせばいいんだ。
 どくどくと流れる血流が俺の呼吸のリズムを乱す。息苦しさに顔を歪めた――そのとき、俺の視界を黒い影がちらついた。

「うわぁ!」
 俺は反射的に飛び退き、その影の正体を見つめた。普段は出さない大きな声が出て、自分でもびっくりする。
 なんだ? これは……蜘蛛か。
 虫など好きではない俺はコイツの名前など知らないが、日本によくいる類いの種だと思う。三センチくらいの体長でちょこまかと足を動かし、ヤツは空中を闊歩していた。
 視力がいいことを羨ましがられることは多いけれど、こういう時ばかりは自分の眼を恨む。黒い物体が浮いているくらいに見えたらこんなに意識を奪われることもなかったのだろう。
 俺の眼はヤツの八本の足を動きを詳細に捉え……ってコイツ、足が七本しかないじゃないか。
 お前も何かと苦労してるんだな、などと勝手な決めつけで少しのシンパシーを覚える。ヤツは空中をふわふわと泳ぐように動いているが、実際は目まぐるしい速さで七本の足を忙しなく曲げ伸ばししていた。俺はヤツの動きを目で追いつつ、自分には決して触れないよう一定の距離を保った。虫に触れたくなどない。
 ふとヤツが急降下してきて、俺の肩元に迫る。俺は咄嗟にドア側に避けたが、ヤツはいまエレベーターの中央の空間を支配していた。身動きがとれない……と思った瞬間、エレベーターのドアが開いた。

「大丈夫ですか」
 一瞬で開放感が広がる。扉の向こうには係員が控えていた。やはり止まっていたのは五階で間違いなかったらしい。他社の事務所の看板が目に入る。
「お身体の具合は……?」
「あ、全然大丈夫です」
 さっきまでの汗が嘘のようにひいていた。気分も別に悪くなく、呼吸も乱れていない。左腕の時計に目をやると、エレベーターが停止してから3時間も経過していた。
「遅くなりすみません、原因の解明に時間がかかってしまいまして……」
 係員たちは俺に深々と頭を下げた。別に君たちのせいじゃないでしょう、なんて思いながらエレベーターから降りる。最後にアイツに別れの一瞥をくれてやろうと振り返ったとき、
「あっ、こんなところに」
 一瞬だった。止める間もないうちにアイツは一人の係員によって捕らえられていた。ティッシュペーパーにくるまれる様子からして、もう無惨に潰されているに違いない。先ほどまで俺と共に時間を過ごしていた命は、あまりにもあっけなく散っていった。
「休憩室にお水のご用意があります」
 係員の言葉が遠くに聞こえる。俺はヤツの収められた場所をじっと見つめた。

 アイツが現れ、いつの間にか俺は閉所に閉じ込められ動揺していたことなど忘れていた。空中をちょこまか動くアイツに気を取られているうちに、気づけば3時間が経過していたのだ。
 閉所恐怖症を克服――とまでもはいかなくても、俺はエレベーターという空間に対してはもう恐怖感を持たないだろう。むしろ、エレベーターに乗るたびにアイツのことを思い出してしまうに違いない。
「それ、もらえますか?」
「えっ、これですか……?」
「はい」
 係員はティッシュにくるまれビニール袋に収められたアイツの亡骸を俺に渡してくれた。アイツのことは別に好きじゃないけれど、ともにこの3時間を乗り切ったヤツをそのままゴミ箱に放り込まれるのはなんだかやるせなかった。
 家に帰ると、俺は庭の土を掘ってアイツを埋めた。
「あらお父さん、何やってるの?」
 玄関から妻の声がする。
「うーんとな、同士の弔い、かな」
「なあに、それ」
「ん、秘密」

 数週間後、アイツの墓の上には三センチくらいの小さな花が一輪咲いた。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

18/07/02 待井小雨

拝読させていただきました。
苦手な空間に閉じ込められて、もしも一人きりだったら耐えられないと思います。そんな中現れた蜘蛛は、あまり有り難くはないお相手ですが気を紛らせるのに役にたってくれたのですね。
ゴミとして捨てられるなら弔おう、という主人公を優しく思います。最後に花が咲くのも可愛らしく感じました。

18/07/02 飛鳥かおり

待井小雨さん、コメントありがとうございます。
普段であれば関わらないような相手に対しても、何がを共有すると情が芽生えたりなど(吊り橋効果がいい例ですが)、人間というものは不思議ですね。
お読みいただきありがとうございました。

ログイン