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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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浮かぶ魚と、セーラー服

18/05/18 コンテスト(テーマ):第156回 時空モノガタリ文学賞 【 浮遊 】 コメント:6件 秋 ひのこ 閲覧数:480

時空モノガタリからの選評

「トクベツ」「天才」と大事にされる弟のセイジへの、姉の繊細で複雑な感情描写に引き込まれました。「浮遊するものに固執する」弟のみならず、その弟への複雑な思いに揺らぐ姉の心もまた、「浮遊」性を帯びているかのようです。特に弟を沖のブイに誘う後半のシーンが素晴らしいと感じます。3匹の死んだ魚は姉の弟セイジへの嫌悪感や、二人の運命を暗示しているようです。また底知れぬ悪意への誘惑に引き込まれていく中で高まっていく緊張感と、主人公の姉がふと我に返る瞬間との対比が鮮やかだと思います。挿入されたカタカナの表現が無機質な冷たさを伝えるなど、細部の表現にまで配慮が行き届いた作品だと感じました。

時空モノガタリK

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 入り江の先に、オレンジ色のひとの頭ほどの玉が浮いている。一列になって、ぷかぷかと。そこに向かい、泳ぐというか流されるというか、一度も止まらず、まっすぐ進んでいく小さな頭。
 こんなにも私が吼えているのに、振り向きもしない。



 弟のセイジが好きなもの、最大の関心事は、「浮いているもの」だ。
 物心つく頃からずっと。それこそ大人たちが「おや、この子はもしやちょっと」と気づく前から。
 風呂場に浮かべた黄色いあひるやゴムボールを、一心不乱に突いて遊ぶ。味噌汁に麩を入れたが最後、箸で突きながら延々眺めている。夏の夜の出店は、祭りが終わるまでヨーヨー釣りやスーパーボールすくいの前から動かない。
 そして、それ以外のことは一切、本当に一切、まるでそこに存在しないかのように関心がない。
 お母さんや先生曰く、セイジは「トクベツ」な子で、12歳の今日まで何をやってもやらなくても許されてきた。
「セイ君はトクベツだから、わかってあげてね。セイ君はあんたやほかの子とは違うの。トクベツなものの見方をするのよ」
「浮遊するものに固執するという行動は、彼にとっては何か深い意味があるのでしょう。こういうタイプの子供は天才型なので」

 いつの頃からか、うちの家では汁物の具は底に沈む質量があるものばかりだ。にんじん、じゃがいも、だいこん。そうしないと、セイジが食べることを止めてしまうから。
 私が麩やワカメの味噌汁が好きなことを、お母さんは去年から切れっ放しの玄関の豆電球同様、気にしない。

 中2の夏、セイジがいつまで経っても帰ってこないので、お母さんに言われて渋々探しに行った。
 行き先は、わかる。裏山の向こうの入り江だ。セイジの最近のお気に入り。岩の間に流れ込んだ海水が行き場を失いこぽこぽとたゆたう。水面をゆらぐ葉っぱやゴミを馬鹿みたいに何時間も座って眺めている。
 案の定、岩場にしゃがみ込む細長い背中が見えた。
「セイジ、ごはんだから。帰るよ」
 後ろから覗き込むと、セイジが凝視しているものが目に入り、思わず「ひっ」と声が漏れた。
 セイジは、魚を見ていた。横になり腹を見せてぷかぷか浮いている死んだ魚が、3匹。
「セイ、帰るよ」
 無駄だとわかりつつ、声をかける。案の定、セイジは耳がないのかと思うくらい、無視をする。こういうときの対処法は、ない。無理に引っ張ると、絶叫して暴れるし、浮いているものを片づけると、やはり奇声をあげて暴れる。
 後者は無理。死んだ魚なんか、絶対触りたくない。
 なだめすかそうにも、私の言葉など、セイジにとっては波の音より価値がない。
 なにか、何かないか。弟の気を逸らすもの。
 浜に横たわる、錆びた漁船。打ち上げられたゴミ。日が落ちてきて、風が止む。浜は静かで、この時間は木の葉1枚揺れやしない。
 ふと、入り江の先に浮かぶオレンジ色の玉が目に入る。一列になってぷかぷかと。ブイだ。あそこより先へ行ってはいけないという目印。でも、この入り江は落ち込みが深い上、意外と波が入ってくるので、浜の人間は誰もあんなところまで泳ぎはしない。
「セイ、あれ見て。ぷかぷか、面白いね」
 胃の底から冷えた声が出た。
 禁忌を冒す快感と紙一重の罪の意識に、心臓が痛む。
 セイジがゆっくりと顔を上げ、私が指差す方に目をやる。
「ここからじゃ遠いね。あそこまで、見に行ってみたら?」
 黙って立ち上がる弟は、人間に忠実なロボットみたいだった。私を一度も見ることなく、もう、視線をブイから離さない。
 獲物がエサに食いついた手堅い感触に、鳥肌が立つ。
 これまで何度、セイジを煩わしく思ったことか。わざと背中を押したり、お菓子をこっそり奪ったりした。でも、そんな悪意とは比べ物にならない悪意が、全身の血を、冷たくする。

 とぽん。
 セイジが消えた。

 まさか、いきなり海に入るとは思っていなかった。靴も服も脱がず、ブイしか目に入っていない弟は、他のことは一切、本当に一切、考えない。
「セイジ」
 呼びかけて、足が止まる。
 辺りには誰もいない。

 私ガココニ来タトキニハモウ、せいじハ沖ヘ。
 キット、アノおれんじ色ノ玉に惹カレテ。

 誰もが納得するだろう。だってセイジはそういう子だから。
 西日に照らされた波とセイジの頭が重なりながら上下に揺れる。馬鹿すぎる。ブイはあんなに遠いのに。
 何考えてんの。

 何で、何にも、考え、られない、の、あんたは!

 私は必死に弟の名を呼んだ。泣きながら、大声で罵りながら、セーラー服のまま海へ身を投げる。
 くそったれ。
 嫌い、ほんと嫌い。大っ嫌い。いなくなれ。
 海水が涙と鼻水とよだれを洗い、混じり合い、前すらよく見えない。
 悪態つきながら、私はその手をかろうじて浮いている弟の体に全力で伸ばした。


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このストーリーに関するコメント

18/05/18 浅月庵

秋 ひのこさん
作品拝読いたしました。

2000文字と短いはずなのに、作品に重みがあって
とても読み応えがありました。
弟の「浮遊するものに固執する」から味噌汁の具を突き続ける
という表現が、妙にリアリティがあるなぁと感じました。
こういう細かい描写こそ、作品に奥行きを与えるんだと感心させられました。
そして終盤にかけての姉の心の揺れ動き方も、
自分のことではないのに自己投影してしまいましたね。

切迫した姉の胸中と、弟が助かったのか、
そうでないのかを書き切らない点もとても好みな終わり方です。
素晴らしい作品でした!

18/05/19 秋 ひのこ

浅月庵さま
こんにちは。
ここに出てくる弟のような子を題材にすること、さらにそういう子を嫌う子(姉)を描くことは倫理的に際ど過ぎるかなと迷いがあったのですが、「浮遊」というテーマを聞いたときに、まさにお味噌汁の具しか思い浮かばず(発想が乏しいです……苦笑)、書いてみました。
2000文字の制限にはいつも悩まされますが、ときに「短編だし!」と思い切ったことに挑戦できるところが良いですね(^^;)
感想をくださりありがとうございました! とても嬉しかったです。

18/07/05 光石七

入賞おめでとうございます!
拝読しました。
主人公の弟に対する複雑な感情が緊迫感と重みをもって迫ってきて、引き込まれました。
特にブイへと誘うところからの展開が素晴らしかったです。
完成度の高さに圧倒されました。

18/07/06 秋 ひのこ

光石七さま
こんにちは。
姉が黒い気持ちで(こういう症状をもった)弟をブイに誘うあたりは道徳的に大丈夫だろうか……、と迷いながら書きました。一方で、姉の感情の動きはたとえ非道徳であったとしても、現実的ではあるかな、とも思ったりします。
実際、私自身も「セイジめ〜」と思いながら書いた部分があります(苦笑)。
とても嬉しいコメントくださりありがとうございました! 

18/07/08 ひーろ

拝読しました。
ブイ、死んだ魚、錆びた漁船…ひとつひとつの言葉から、浮遊感とともに、切なくもの悲しい情景を想像しました。とても雰囲気のあるお話です。こんな作風あこがれます。
すてきな作品ありがとうございます。

18/07/10 秋 ひのこ

ひーろさま
こんにちは。コメントをありがとうございます。
お返事が遅くなり申し訳ありません。
もったいないお褒めの言葉をいただき、本当に恐縮です。
本文から情景を思い描いていただけるのは、自分で書いておきながら不思議な気持ちです。
書いた甲斐がありました。とても嬉しく思います。ありがとうございました!

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