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時雨薫さん

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蛙の皇帝あるいは生身の帝国空軍

18/05/12 コンテスト(テーマ):第156回 時空モノガタリ文学賞 【 浮遊 】 コメント:1件 時雨薫 閲覧数:274

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 降る雨が途切れなくアスファルトを打ち、周波数の合わぬラジオが拾った電波のように無意味な音がただザーザーと憂鬱に街を覆っている。折傘は跳ねる水で裾が濡れるのにも構わず、右手に苔生す石垣の続く道を足早に歩いていた。折傘は余りに軽装だった。傘に守られぬ肩の上が濡れた。
 折傘は俯き加減に歩いていたから、ほんの目の前に迫るまでそれに気づかなかった。道の両端に蛙が二つの列をなしていた。中央をのっそりと進んできたのは二足歩行の蛙だ。赤い毛皮付きのマントを羽織っていた。
「この良き雨の日にお迎えできることを光栄と存じます、折傘さま」
 折傘は驚いたが、動転するほどではなかった。
「話すのかい?けれどあたしは興味がないな。いつぞやの空から降って来る蛙ならばまだしも」
「あの事を覚えていらっしゃいますか!慈悲深いお方だ。あれは痛ましい事故で御座いました。」
「あたしはあくまで物理的な面にだけ興味があるのだけども」
「人間式の謙遜で御座いますか?謙虚なお方だ。いや、しかし、その物理的な面の興味こそ皇帝陛下が折傘様を選ばれた理由なので御座います。どうぞ輿にお乗りください。このような所では貴方様の地位に不適当で御座います」
 折傘は不思議な経験をした。会話が終わるやいなやぬめり気のある手が折傘の右手を取った。折傘はもう蛙たちと同じ背になっていた。グミの実のように赤い輿の扉がひとりでに開き、折傘は吸い込まれるように座った。
 意識が明晰になったとき、折傘は宮殿の床に寝かされていた。赤い円柱の柱が等間隔に立っていて、天井の升目の一つ一つに光沢ある青の目が描かれているのを見た。一段高い玉座から、大柄な蛙が頬杖をついて見下ろしていた。折傘は向かい合い座った。
「歓迎するぞ、我が妻となる女よ。」
 皇帝の声が広間に低く響いた。
「あたしは攫われて蛙の皇后になるの?物好きな蛙ね」
「帝国は今、人間の知恵を必要としているのだ、女よ」
 皇帝は従者に書物を取り寄せさせた。折傘の流体力学前編だった。
「人間は鳥を模した鉄の塊を飛ばす。精緻な理論と工作技術によってだ。朕はこれまで幾度も飛行実験を行ってきた。そして全て失敗した」
 皇帝はページを捲り、ため息をついた。
「我らの身体知は人間のそれを凌駕している。我らの粘膜は風に敏感だ。つむじ風に乗り舞い上がることなど造作もない。けれど常に落ちる。我らの呼び掛けに風は答えない。女よ、朕はそなたの知恵を欲している。そなたをきっかけとして朕の帝国は空を制圧するのだ」
 皇帝は立ち上がった。
「我が妻となる人間の女よ、前へ」
従者が折傘の手を引き、皇帝の正面に立たせた。例の赤マントが冠を載せた盆を持ち歩み出た。皇帝がそれをおごそかに取り上げた。
「朕はそなたを皇妃として迎え入れる。帝国に末永き繁栄のあらんことを」
 皇帝の口上が終わるより先に折傘は冠をひったくり、自らかぶった。呆気に取られる皇帝の手を取り接吻した。
「喜んで。蛙の妻にもなりましょう。あたしの能力を正しく評価したのですから、陛下はほとんどの人間どもより賢明です。必ずや陛下の計画を実現させてみましょう」
 その日から折傘は蛙の皇帝や技術者らを相手に講義を始めた。折傘の挙げた例は人間の言葉で言うところの非対称機や双胴機、タンデム機といった類のものだった。人間どもはこれらの設計の真価を理解していないと折傘は力説した。変態機などという呼び方は己の無知を証明するばかりだと説いた。
 また、折傘は蛙たちの要望に応えなければならなかった。彼らは彼ら自身の肉体で飛ぶことを望んでいた。折傘は幾度も計算を繰り返し、幼体の頃から骨格を変形させることでこれが可能であることを突き止めた。それでも足りぬ浮力はガスを体内に詰めることで解決した。折傘と技術者たちは遂に飛ぶ蛙を実現した。
 はじめの世代が成長し、作戦を仕掛けるのに十分な程になった。皇帝は作戦の実行を命じた。城跡の石垣に設けられた飛行場から今、蛙たちが飛び立った。ある者は前後二対の翼で風を掴んだ。ある者はもう一匹と手を取り合い、翼を共有して飛んだ。またある者は左の巨大な翼に振り回され蛇行したが、体勢を立て直し凛とした姿勢で飛んだ。風のない日だった。ガスを詰め込まれた彼らはまるまると膨らんでいた。
「今ひとつ優雅さにかけるようだな」
皇帝が言った。
「飛行というより浮遊ではないか?」
「部分的にはガスに頼らざるを得ません。しかし標的の上空に辿り着いた後にはこれを捨て、急降下によって得たエネルギーを利用し最高五百キロをマークします。目標を破壊できることは確実です」
 折傘は皇帝に笑顔を向けた。
「人間どもには真似出来ない、蛙の飛行です」


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このストーリーに関するコメント

18/05/12 時雨薫

脱字
させてみましょう→させてみせましょう

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