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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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音をみる

18/05/11 コンテスト(テーマ):第156回 時空モノガタリ文学賞 【 浮遊 】 コメント:2件 秋 ひのこ 閲覧数:429

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 僕はその日、生まれて初めてレコードというものを聴いた。
 小早川君の家で、だ。

 去年出てきたバンドが今は流行っていて、あとはアイドルから独立した子も人気。中学生の僕らはそういう音楽を聴く。だから、きいこきいこした楽器が重なるだけでメリハリがあるのかないのかわからない音が延々と続き、挙句「歌」がない、という外国のクラシック音楽は、はっきり言って退屈だ。
 それを、小早川君はわざわざ好んで聴くというから、驚いた。
 音楽のチョイス云々より、つまり小早川君が「音楽を聴く」ということに。

(どうやって、『聴く』の?)
 中学の三年目。いつの間にか小早川君しか友だちがいない僕は、小早川君と話すために手話を覚えた。簡単な会話ならもうできる。
 僕の質問に、小早川君は少し困ったように微笑み、くいと宙を見上げた。
(音楽は『聴く』ものではないよ。『みる』ものだと思うな)
(見る?)
 つられて僕も視線を上げる。窓の向こうで、濃い緑の葉が細かく風に揺れていた。
(坂野君は、みえないの?)
(何が? 音楽? みえないよ。聴くものだもん)
 ババーンと曲が盛り上がり、ほんの少し空気が震えた気がした。
(僕にはみえるけどなあ)
 小早川君は嬉しそうに、そこにまるで何かが浮いて泳いでいるかのように視線をふーらふーらと揺らす。
(ほら、もうすぐいいところがくる)
 その目に、ぽっと光が灯った。
 だだだーん、だだだーん。
 歌でいうサビのつもりかな、という曲調。
(僕、帰るね)
 苛々して、鞄を引っつかんだ。

 帰り道、イヤホンを耳に突っ込み、人気の曲を聴く。
 僕だって、こういう流行の歌が好きなんだ。でも、僕がそれをやると「坂野のくせに」と言われる。「坂野もこれ聴くの? いいよな」と認められることを期待していた時期は、とっくに過ぎた。
 だから僕は「坂野のくせに」と言わない相手を探すしかなかった。僕が上になれる相手。難聴の小早川君なら、僕は「耳が聴こえる」点で、上だと思った。
 3年B組の仲間でありながら、1日の大半を特別学級で過ごす小早川君。小早川君が僕の知らないことを、当たり前のようにあんな綺麗な目で語ることは、予想外。世界は僕の方がより知っていて、僕が小早川君に親切に教えてあげる関係が、僕には必要なのに。

 あれ以来、部屋に遊びに行くたびに小早川君はレコードをかける。
 目をきらきらさせる姿がムカつくので、聞いてやった。
(小早川君、一体何を見てるわけ。こう言ってはなんだけど、頭のおかしいひとに見えてしまうよ。そんな風に笑顔できょろきょろしていると)
(坂野君は聴こえてしまうから、わからないよね)
 同情するような体でやり返され、僕は次の言葉を失う。
 小早川君が素早い手の動きで説明した。
(僕にとって音楽は、音符が次々と溢れ出す感じ。もちろん実際に音符が見えるわけじゃなくて、『音がみえる』んだ。宙にね、こう、舞うように)
 意味がわからない。
 かろうじて無理やり想像できたのは、小早川君が否定した「音符が宙に浮いている」光景。ディズニーアニメにありそうな気がする。
 小早川君はレコードの音量を少し上げた。そして、流れ星かはたまた夏に降る雪かもしくは空とぶ猫でも見ているみたいに空(くう)を見つめる。
 ふいに、積極的に置き去りにされたような気になり、ムカついて、寂しくなった。小早川も、他の奴らと同じだ。僕を、無視する。僕を、見下す。
 肩をとんとんと突かれ、次いで遠慮がちに手を掴まれた。
(坂野君はみえなくてもいいんだ、聴こえるんだから。目を閉じてごらんよ。この美しいものを少しでもわかってくれたら、嬉しい) 
 驚いて、小早川君を見返す。
 小早川君は照れくさそうに微笑み、僕が目を閉じるのを待っている。
 ゆっくりと、瞳を閉じた。
 小早川君が僕の手を掴んだまま、手のひらを指でなぞる。
(さ、あ)
 さあ。
 さあ!
 
 だだだーだだーん!

 重く太く沈み込み、続いて星がこぼれてくるようなささやき。耳が、嫌でも音を吸い込む。でも僕は小早川君の手の温もりと、何も見えない瞼の裏に集中する。
 小早川君の感情の高ぶりが伝わってくる。小早川君がみているものに、耳に流れ込む旋律を重ね、想像する。
 メリハリがあるのかないのかわからない退屈な音楽が、肌を、震わせる。歌詞がないのに、伝わってくるこの感じは、何だ。
 気がつけば僕は笑って、それからちょっとだけ涙が出た。
 友だちと、初めて世界を共有できそうな期待。
 薄く目を開けて隣を見る。小早川君が、落ちて来るものを待ち受けるように宙に手を伸ばし、喜びに輝く瞳で部屋中を満たす音をみつめていた。
 同じものがみえた、わけではないけれど、小早川君が好きなものを僕も好きになりたい、そう思った。


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このストーリーに関するコメント

18/05/12 文月めぐ

拝読いたしました。
クラシックを退屈だと思っていた主人公の気持ちの変化が繊細に描かれていました。
同じものが聞こえたり、見えたりするわけではないのかも知れないけど、音楽が人と人を繋ぐことは素晴らしいですよね。

18/05/13 秋 ひのこ

文月めぐさま
こんにちは。コメントをありがとうございます!
「浮遊」がテーマなので、最後は主人公にも小早川がみている音を見せたかったのですが、いつも通り(?)2000文字におさまりきらず、そのきっかけ、入口止まりになりました。
「聴く」ものを文章で表現するって難しいですね(^^;) 

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