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清野勝寛さん

性別 男性
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飛べない鳥

18/05/05 コンテスト(テーマ):第156回 時空モノガタリ文学賞 【 浮遊 】 コメント:0件 清野勝寛 閲覧数:285

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 夜の明かりは直視出来ないほど目に痛い。私は眩しすぎる都市の中心部から、視線を僅かに右、広がる海へと逸らした。夜の海は宵闇に溶け姿を消す。ただ打ち寄せる波と潮騒だけが、そこに存在しているということを主張していた。光の浮かばないその空間を見つめていると、視界が少しずつ明暗を認識しなくなる。やがてその中に呑み込まれてしまうのではないかという錯覚に襲われ、身震いする。たまらず服の裾を握りしめた。
 ただ、眩しいよりはずっとましだとも思う。あの光輝く街並みよりは、ずっと。
 
 ぼんやりとそんなことを考えてから煙草に火をつける。ずいぶん冷え込んできた。ゴホゴホと咳が出る。私は生まれつき重度の喘息持ちだ。そのせいで激しい運動が出来ず、学生時代、体育の授業が見学ばかりのつまらない授業だった。そんなどうでもいいことを不意に思い出す。
 そんな体でも、一度吸い始めたらやめられなくなってしまった。海沿いのマンション、五階のベランダ、その枠に肘をついて深く息を吐く。燻らせた紫煙は視界の左から右へと流れ霧散し、形を失う。彼らは世界と一つになったのだ。私にはそれがとても羨ましくて、怨めしくて、また煙草に口付ける。言葉にならないこの声を煙草の煙に変えて消化したつもりになっているのかもしれない。現実逃避と言われればその通りではある。もう取り戻せない時間を憂いて、孤独であることを認めなければならないこの現実を前に、私は何をどうすれば解放されるのだろう。

「風邪を引くよ」
 不意に、後ろから抱きしめられる。柔らかくて優しい暖かさ。海の中に沈めば、こんな感じなのだろうか。その充足感に、つい全てを委ねてしまいそうになる。
「……別に、平気よ」
 そんな自分をどうにか押し殺して男にそう答える。すると男は嬉しそうに笑い、わざとらしく私の耳元で囁いた。
「それで、今日は何を考えていたんだい?」
 声が鼓膜を震動させると、ゾクゾクと背筋を何かが這うような感覚が私を襲う。酷く不愉快だった。まるで獲物を補食する海月だ。その触手で私に絡み付いて毒性の針で私の心を惑わせる。飛べない鳥が海に沈み、今まさに海月の餌食となろうとしているというわけだ。海月が鳥を食べるかどうかは知らないけれど。
「別に。いつもと同じことよ」
「そっか」
 煙を吸い込んだ。煙草の先が少しの間赤く光る。そして深く、溜息を混ぜて煙を吐きだすと、また右から左へ。
 彼の、私を抱く腕に力が篭る。この男の、こういうところが嫌いだ。腹が立つ。他人の苦しみを共有して、一緒に悩み苦しもうとする。或いはそのフリだけなのか。いずれにせよそれはこの男自身が望んで、あるいは好んでそうしているだけであって、私は全く望んでいない。偽善も慈善も望まれないのなら不要な筈だ。それをこの男は理解して上で私に施そうとしている。……いや、そうやって優しいフリをして、本当は自分が孤独に堪えられないだけ、か。寒さに震え、温もりを求めて。針が更に深く私の体に食い込んでくる。
「……ほんと、ムカつく」
「それなら煙草は止めた方がいいかもね。そしてカルシウムと鉄分を取るべきだ」
 おもわずそう漏らすと、男は嬉しそうにそんなことを言う。……なるほど、私は撒き餌に釣られた小魚というわけだ。
「それ、迷信らしいわよ。だから、煙草止めても牛乳飲んでもプルーン食べても私は変わらない。強いて言うならベランダに出る数は減るかしら」
 つらつらと一息に答えると、男はニヤリと笑って私の言葉をキッパリと否定した。
「いや、君はそれらに何ら左右されずこの場所にいるよ。俺と一緒に」
 ようやく両腕から解放されたかと思うと、男はまたつまらないことを自信たっぷりに言い放つ。
「ずいぶん自信があるようね」
 男が私の隣に並ぶ。ちらっと盗み見ると、今度は愉快そうに笑っている彼と目が合った。
「君はずっと、空に憧れているからね」
 海から吹きつける風が心地良い。この男のせいで、いつの間にか寒さを忘れていたのだ。
「……あんたに」
「俺がどうしたって?」
 こんな状態では、何を言っても笑い種だ。そんなのはわかりきっているというのに、私は、言わずにはいられなかった。
「あんたに、私のなにがわかんのよ」
 案の定、分かりやすく男は笑った。そしてきっとこの後、私を縛り付ける言葉を口にするのだ。
「君は、飛び方も泳ぎ方も、知らないから」
「うっさい、もう寝る」
「……おやすみ」
 言うなり私は、男をそのままベランダに置いて部屋に戻った。去り際の言葉は無視だ。ピシャリと大袈裟に引き戸を閉めて、頭から布団を被る。


 だってどうしようもない。そうするしかなかった。
 私が欲しいものは全部、貴方が持っているのだから。


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