1. トップページ
  2. 浮遊村

いっきさん

公務員獣医師として働くかたわら、サイトを中心に創作に励んでいます。

性別 男性
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

1

浮遊村

18/05/03 コンテスト(テーマ):第156回 時空モノガタリ文学賞 【 浮遊 】 コメント:1件 いっき 閲覧数:258

この作品を評価する

「一体、何だここは……」
 果てない田園風景に、どこか虚ろな空……それは、俺とは無関係と思っていた風景だった。
 俺はこんな場所に住んでいた覚えはない。都会のアパート住まいで、バリバリ、シャカリキに会社員をしていたはずなんだ。なのに今朝、目が覚めたらガランと広い部屋にいて……一足外に出たら、そんな田舎の風景が広がっていたのだ。
「どうして……もうこんな時間。会社に遅刻だ。早く……早く、俺の家に戻らなければ」
 俺は周囲を見回した。すると、一人の初老の男が虚ろな目付きで歩いているのが見えた。
 彼は腕を組みながら虚ろな足取りでまるで浮遊しているかのようで……俺は躊躇ったが思い切って声をかけた。
「あの……ここは、どこなのでしょう?」
 するとその男はその目を虚空に浮かせながら、半開きにした口からぼんやりとした声を発した。
「ここは……浮遊村だ」
「浮遊村?」
 俺は聞き慣れないその言葉を反復したが、彼は構わずにフラフラと宇宙遊泳するかのようにその場を立ち去った。

「本当に、どういうことなんだ?」
 俺はイライラしながら『浮遊村』と言われるその村の中を歩き回った。しかし、誰に会っても……おばさんに会っても、老夫婦に会っても、俺と同年齢くらいの若者に会っても同じような感じで、腕を組んで虚ろに浮遊しているだけ。そして、誰に何を言っても、要領を得ない答えが返ってくるのみであった。

「まったく……俺はこんなことをしている場合じゃない。会社に行って、いつものように働いて……」
 その時だった。
「そんな下らない観念は捨てなさい」
 初めてマトモな言葉がかけられ、俺はそちらを見た。
 すると、最初に会った初老の男がやはり腕を組んで虚空を見つめていて……だが、その口からは俺に対する指図ともとれる言葉が述べられた。
「ここでは、そのような強迫観念は馴染まない。全ての観念を捨て、流されるままに生きなさい」
「はぁ? いや、それって、どういう……」
 俺が言葉を発した時には彼はやはり虚ろな足取りでその場を離れていた。そしてその場所は、俺が初めにその男に声をかけた場所……俺が寝かされていた家の近くだったのだ。
「何なんだ、全く……」
 夕陽が射していたので、俺は取り敢えず家に戻った。
 家の中を探すと極めて質素なものだったが一応食糧はあり、暫く食いつなぐことができそうだった。

 次の日も、そのまた次の日もその村の中を歩き回ったが、初日と何も状況は変わらなかった。誰に会っても彼らは虚空を見つめ、虚ろな足取りで要領を得ない返事をするばかり。そして俺がイライラとすると、決まって「そんな下らない観念は捨てなさい」と諭されるのだ。

 そのうちに、俺は何だかどうでも良くなっていた。だって、息の詰まるような都会であんなにシャカリキになって働かなくても、この村では何だかんだで生きていける。食糧も決して多くはなかったが、どういう訳か、なくなることはなかったのだ。ここにいる方が、ずっとストレスなく生きていける。

 段々と、俺は浮遊村に馴染んできた。浮遊してこの村を彷徨い歩くのは気持ち良い……そう感じるようになっていた。
 自然と同化して、ただ流されるままに、腕を組み虚空を見つめながら歩く。そんな毎日を過ごすようになった。

 ある日、強迫観念に縛られたような若者が新たにこの村に入って来た。
「ここは、どこですか?」
 彼に尋ねられると、俺の半開きの口からはぼんやりと、まるで呪文を唱えるように言葉が出た。
「ここは浮遊村だ」
「浮遊村?」
 俺には彼のその言葉が耳に入らず、その村の時の流れに流されるがままに、浮遊を再開したのだった。

* * *

 ある大病院の付属の研究室。白衣を着た二人が話をしていた。
「教授。また一人、良い感じで治療が完了しましたね」
「ああ、そうだな。彼は極めて強い強迫観念に取り憑かれ、毎日毎日、寝るのも忘れて仕事をした。ここに連れて来られた時には、『こんな所に来る場合ではない。会社に行かなければ…!』とその一点張りで、すぐにでも脱走しそうだったからな」
「すぐに鎮静剤を打って浮遊村での治療に切り替えた教授の判断が功を奏しましたね。これで後は、このまま浮遊村に骨を埋めるか、元の都会での生活に戻るようリハビリをするか、本人の希望を確認するだけなのですが……」
「まぁ、元の生活に戻ることはまずないだろうがね。何しろ、この治療を開発してから今まで、元の生活を希望した者は誰一人としていないのだから」


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

18/05/05 文月めぐ

拝読いたしました。
文章全体から柔らかさが伝わってきました。
ラストは衝撃でした。

ログイン