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冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

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理想の朝

18/04/30 コンテスト(テーマ):第155回 時空モノガタリ文学賞 【 ゴミ 】 コメント:1件 冬垣ひなた 閲覧数:278

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「新入社員の研修、どうだった? 八木沢」
「可も不可もなくと言った所か。今どきの奴は、当たり障りがなくて何を考えているのか分からないよ」
 午後の勤務時間が近づき、談笑の輪が自然に解かれていく。換気の悪い喫煙室の中には儀式のように煙が充満していた。部屋を出る前に、八木沢は窓の隙間を全開する。
 空気が通るようになった窓から、近隣のオフィスビル街が見える。あそこは、もっと良い生地のスーツを着た人間が行く所だ。恨めし気に見上げるのも癪に障る、そんな理由で誰も窓を開けたがらない。
「働く前からうちがブラック企業じゃないか心配されてもな。続けられる人材か、こっちが心配してるっていうのに」
 とはいえ、八木沢も偉そうに説教できる身分ではない。零細企業に勤め大した役職にもつかないまま30代も半ばを越えた。恋愛や結婚という浮かれたイベントとも縁遠く、我ながらつまらない人生だと思う。
 毎朝、鏡の前で髭を剃りつつ、たるんできた腹をへこませてみては、これでいいと無理に自分を納得させてきた。
 代り映えしない缶コーヒーの味で残業の疲労を和らげる生活に、新入社員のどれくらいがついてこられるだろうか? 
 憂鬱な現実が追いかけてきて、八木沢の肩を叩いていった。


「佐竹、ここ違っているぞ」
「すぐ訂正します」
 ミスを指摘すると、佐竹は申し訳なさそうな顔をして書類を手に自分の席へ戻っていく。若干線の細い頼りなげな印象だが、新入社員の中では真面目で従順という、会社員の資質を持っている。佐竹は育つ。八木沢だけでなく、他の社員もそう直感していた。
 一日が、瞬く間に仕事で埋め尽くされる。
 終業時刻を過ぎてデスクに残っている八木沢を、佐竹は気にするように声をかけてきた。
「今日も残業ですか?」
「仕事が終わらないからな」
 リストラされた同僚に比べれば、別に大したことじゃない。身体が動く限りは働いていないと、自分の居場所が消えてしまう。幾多の経験が八木沢を会社の椅子に縛り付けてはいるが、あえてそこから自由になりたいとも思わなかった。
「お疲れ様です」
 佐竹の声には落胆が混じっている気がした。定時退社に昇給、出世、いかにも新入社員らしい夢を会社に描いていたのだろう。
 理想は塵に変わっていく。誰もが通る道だ。
 残業のあと、八木沢は喫煙室で一人煙草を吸う。
 自分だってずいぶん前に分解された。
 いずれは寝て覚めた後のように夢など忘れ、会社の歯車になっていく。壊れれば取り換えのきく部品に生まれ変わる。
 何が動力なのかさえ、確かめるすべもないままに。


 休憩時間に八木沢が喫煙室に行くと、先客がいた。佐竹がビニール袋を持っていて、溜まりにたまった灰皿の吸い殻を捨てている。
 そういえば灰皿の掃除は新入社員の役目だった。八木沢も昔は毎日のように掃除していたが、佐竹は喫煙者ではない。
 自分が吸ってもいない灰皿の掃除を、慣習だからと続けさせているのを目の当たりにすると、八木沢はいささか心苦しくなった。
 では、今までいつ誰が掃除してきたのだろう……。
 煙突のように煙草をふかせ会社を動かし続ける自分たちは、遮断したはずの外の世界との競争ばかり気にしていた。そうやって排出されたゴミが、いつの間にかなくなっている事さえ気づかず、近くを見渡すこともなく、組織から離れた者の名前すら今は思い出せない。
 薄情な八木沢を咎める様子は微塵もなく、佐竹は吸い殻を処分し終えると、「どうぞ使ってください」と丁寧な物言いで応じた。
「すまないな、煙たいだろう」
「そうですね……」
 気弱そうな青年は、曖昧に笑った。
「皆さん、健康にはもっと気を付けて欲しいと思います」
 さらりとした言葉の中には皮肉や毒は込められていない。しかし腕まくりしたワイシャツから覗く、佐竹の若い筋肉には、世界一似つかわしくない仕事に見えた。
 

 それから程なくして、佐竹は会社を辞めていった。「やりたいことが他に見つかったから」だそうだ。
「おいおい、自分探しの旅か?」
「後悔するぞ」
 いつものように喫煙室での噂話に混じりながら、八木沢は内心ほっとしていた。
 誰もが通った道を、佐竹は駆け戻ってゆく。
 それがいい。この道の先は崖っぷちだ。
 

 八木沢は止められぬ煙草の本数を減らし、会社に隷属する自分にブレーキをかけた。
 朝の目覚めには好きなインディーズバンドの曲を聞き、挽いた豆から抽出して淹れたコーヒーを飲んでみる。錆びた自分へのささやかな褒賞。
 ……働き始めた頃は、こんな満ち足りた朝がいいと思っていた。
 塵となった理想が、生身の身体を循環する。
 人生を支配する歯車が、幾つか落ちて身軽になる。
 予定より10分遅れの朝、八木沢は規則正しく自分が息をする音を久しぶりに確認した。


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18/04/30 冬垣ひなた

≪補足説明≫
・画像は「写真AC」からお借りしたものを加工しました。

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