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KOUICHI YOSHIOKAさん

性別 男性
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なつの雪

18/04/20 コンテスト(テーマ):第155回 時空モノガタリ文学賞 【 ゴミ 】 コメント:0件 KOUICHI YOSHIOKA 閲覧数:387

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 待ち合わせの時間より一時間も早く来てしまった俊治は、無人駅の待合室に入って座ると肩掛け鞄から取り出した読みかけの岩波文庫を開いて読みはじめた。
 川端康成の「雪国」を読んでいたが、文字が頭に入ることはなく、扉のない入口から流れ込んでくる初夏の生暖かい風を浴びながら、ぼんやりと頁を眺めるだけだった。
 無人駅なので売店はなかったが、外に錆びた自動販売機が一台あったので、そこで冷たい緑茶を買って喉の渇きを潤してはみたもののそれで暑さが和らぐことはなかった。 
 待合室の椅子はコの字に備え付けられた木の椅子で壁も全面が同じ木材で覆われている。クッションもなく硬かったが、冷たいのがせめてもの救いだった。
 待合室には俊治のほかに小柄な老女がいて毛糸で編み物をしていた。夏に毛糸なんてと思ったが、編む手があまりにゆっくりとしていたので、秋すぎを目処に完成させるつもりなんだろう、と思い直し勝手に納得した。
「兄さんは誰かを迎えにきたのかね」
 人の良さそうな笑みを浮かべながら老女が話しかけてきた。
「はい。夏休みに入ったので東京の大学にいっている妹が帰ってくるんです」
「そうかね。妹さんがね、いいね、それは」
「派手な都会の女になって戻ってこないか、それだけが心配でして」
 俊治の気さくな様子に老女は安心したのだろう。「ほほっ」と笑うと、編む手をとめて横に置いてあった籠鞄の中から半透明なタッパを取りだすと蓋をあけた。そしてヨロヨロと近づいてくると俊治の目の前に差し出した。淡い若苗色をした葡萄が入っている。
「ありがとうございます。マスカットですね」
 一粒つまんで口に放り込むと甘くてすっぱい味が口の中いっぱいに広がっていった。眉間に皺を寄せ、唇を尖らせた様子が面白かったのか老女は再び「ほほっ」と笑った。
「お婆さんもどなたか待っているんですか」
「そうさね、爺さんがひょっこり汽車から降りてきそうな気がしてね。まあ、もう亡くなってしまったんだがね」
「すみません、余計なこと聞きました」
「なあに、いいさ。ほれ、もう一個葡萄さ食べなされ」
「もしかして、その編み物は・・・・・・」
「爺さんは寒がりでな。夏でも寒がりよったから、腹巻きでもと思ってな」
 葡萄を頬張る俊治の口元を見つめながら老女は目を細めた。皺だらけの手の甲を摩りながら老女も葡萄を口に入れると、可笑しそうに眉をよせた。
 遠くから低いうなり声のような音が聞こえた気がした。扉の外を見ると空が濁ってきているようだった。雨が降る前にしては空気が乾いていて気圧の変化も感じられない。
 俊治が立ち上げると老女も立ち上がった。二人並んで扉の外に出ると空と山の境目まで目をやった。青々しい緑の山並みが続いている。一見穏やかで美しい風景だったが、空に鳥の姿はなく、ときおり聞こえてくる牛の鳴き声も止んでいた。駅舎の前の道を歩いていた作業着を着た男も立ち止まって空を見上げている。
「来るだ、くるだよ」
 老女が言おうとしていることは俊治にも伝わっている。俊治は黙って頷いた。作業着の男は出かけるのを止めたのか、振り返るとプレハブの作業小屋が建っているほうへ戻っていった。
 みるみる空が小さく削られていった。空が消え、一面灰色に染まると、ゆっくりと震えながら紙の欠片のような、花びらのようなものが落ちてきた。
「雪だあ、今年も雪がふった。寒がりの爺さんのために早く腹巻きを編まないといけねえな」
 驚いた俊治は一瞬どうすればいいのかわからなかった。このまま話を合わせようかと迷ったが、その想いを否定した。
「雪じゃありませんよ。灰です。火山灰ですよ。山が噴火したんです」
 遠くとおく、駅からは見えない遙か先にある山から、毎年夏になると一度は噴火による灰が飛んできた。噴石や火砕流が発生するほどの規模ではないが、細かな灰がこの場所まで運ばれてくる。学術的な理由はあるようだが、素人には火山の噴火のことはよくわからない。
 たまたま出くわした旅行者は雪のようで美しいという。だが暮らしているものにとってみれば灰は厄介なゴミにしか過ぎない。
「洗濯物を外に干してきてしもうた」
 老女は力を込めて俊治の背中を叩くと「ほほっ」と笑った。俊治はすっと胸を撫下ろし額の汗をぬぐった。
「家に帰ったら克灰袋(こくはいぶくろ)に灰を入れんといかんな」
「やっかいなことで」
 作業着の上にレインコートを着た男が駆けてきた。傘とマスクを老女と俊治に渡すと
「ついでの時に返してくれればいいから」
 と言って、礼を聞く間もなくすぐに戻っていった。
 汽車が近づいてくる音が聞こえてくる。灰を巻き上げながらホームへ滑り込んできた。老女は編みかけの毛糸を籠鞄にしまうとマスクをつけ傘をさした。
「妹さんによろしくな」と、言いながら駅舎を離れていった。


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