沓屋南実さん

音楽、表社会系、詩、エッセイなど書いております。 よろしく、お願いします。

性別 女性
将来の夢 小説家。 音楽を聴きながら、一日中本を読んで、小説を書く生活。 行きつけの音楽カフェで、皆とおしゃべりすること。
座右の銘 諦めさえしなければ 良いことは待っている

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18/04/02 コンテスト(テーマ):第154回 時空モノガタリ文学賞 【 復讐 】 コメント:0件 沓屋南実 閲覧数:331

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 ルツェルンの郊外にある豪商の別荘に、私たちは来ていた。そして、あれこれ省いて寝室に直行したことは、使用人たちの失笑を買っているはずである。
 髭をたくわえ目尻のしわが目立つこの男を、私はヴィルと呼んでいた。彼は私をツィスカと呼ぶ。それは、幾つもある秘密のひとつだった。
 目を閉じれば、濃厚なキスが降り、悪魔のような低いささやきに私は恍惚となってしまう。乱れた長い髪を右手で梳きながら、左手は胸をまさぐる。今さっき愛し合ったばかりなのに、ヴィルの体力は底なしだ。この間は、オペラのプローベでくたくたに疲れたと言いながら、私の体をなかなか離してくれなかった。お互い結婚している身。遭えばこのときが最後のように、死力を尽くして愛し合う。
「この秘密も限界にきている。君の父に言わねばならない、第三者から耳に入る前に」ヴィルはとうとう言い始めた。芸術にひれ伏すのは当たり前と、尊大な態度の彼だが、同じ作曲家にしてピアニストでもあることから、父を軽んじることはできないのだ。
 父にだけは知られたくない、という振る舞いをする私は、実のところどんな反応をするか楽しみでならない。

 なぜなら、父を誰よりも憎んでいるから。

 二年まえのこと、父よりふたつ年下のヴィルと再会したとき、彼はやはり不倫に走っている真っ最中だった。それなのに、彼は人妻である私に対して、強い視線を送ってきた。彼に言わせれば、あれは単に女性に対する敬意なのだと。
 私の夫が数日いない間に、誘われて出向いたのだ、ヴィルの舞台稽古場へ。休憩の号令で、何十人もの歌手や演奏家、裏方の人間が視界から消え去った。
 あのとき、無償に腹が立っていた。夫は師匠でもある父のところへ行ったこともあり、父への怒りが爆発的になっていた。ヴィルは父の側の人間だが、彼なら大丈夫だと、作品を通して感じるものがあった。人間の憎悪について、誰よりも関心を持ち解き明かそうとするのだから。自由に音楽に昇華させることのできる、才能ある作曲家なのだから。
 心にたまった澱が、ようやく表に出た。
「一生父を許さない! 自分の子どもが孤児のように育つ間にも、上流階級の女たちにいつも囲まれ、1000人以上もいる弟子たちに行く先々で歓待されていたんでしょう? 私は姉と弟と三人でずっと父を待っていたの」
「そうだったのか、まさか君たちがそんなに悲しい思いをしているなんてなあ。なんてことだ」
「父が憎い、ものすごく憎い」
「そうか、うん。いいんだ、憎しみも大事なものさ。音楽の原動力でもあるのだからな」
「音楽……。世界一のピアニストの娘なのに、感情をぶつけられるほどの腕はないの。弟子は何人でも育てるのに、子どもを育てる気は少しもなかった、なのに誰もわかってくれない! 良い父を持っただなんて。何も知らないくせに」
 ヴィルは、瞬きもせず聞いていた。
「夫ですら、笑っているの。彼は父の一番弟子、それも忠実な。父の娘でなかったら結婚したかしら? 私は愛されているのかしら?」
 決然と、彼は言い放った。
「俺にはわかるよ、君は愛されていない!」
 目を見開いて息を飲んだ私に、彼は言葉を続けた。
「俺ほどには。俺のほうが、君を理解できる。もう孤独ではないぞ。怒れ、もっと怒れ。俺が全て受け止めてやる」
 ヴィルのがっしりした胸に、私はもたれかかった。解放しなければならない。私は気が付いた。いつかこの憎しみから逃れないと、幸せになれない。そのためにも、この男が必要だ。
 結婚した身のまま、私は新しい愛に自分の人生を見つけた。自由だ、と思った。

 いつの間にか、午後の陽になり寝室は明るさが増していた。この別荘は、持ち主が新しいアイディアを欲したため、工夫が随所にこらしてある。自然の光をうまく生かしたのもそうだ。私たちは、少し眠ってしまったようだ。時計を見ると、午後2時。そろそろ、私が演出する舞台がはじまる。
 別荘の一番広いピアノの部屋。ドアからまっすぐに見通せるソファに、私たちは座り、軽食と飲み物で胃を満たした。そして、ヴィルは私の腰をとらえ膝にのせた。
 時間が刻一刻と近づく。
 ヴィルの気を向けるように、彼の頭を胸に押付けた。愛撫がはじまる。ドアの向こうで、使用人たちの足音が聞こえた。私は彼の隣に座りなおし、濃厚なキスを浴びせた。
 使用人は手はず通りに、父を広間に案内してくれるはず。重い扉が開いたことに、ヴィルは気が付かず、欲望のままに私の胸をはだけさせた。
 肩越しに、父の表情が目に入った。怒りと絶望に歪んでいた。父を不幸にすることが叶い、嬉しくて小躍りしたかった。




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