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待井小雨さん

待井久仁子というペンネームで「小説&まんが投稿屋」というサイトで、童話やホラーやよくわからない物語を投稿しています。 ご興味を持っていただけたら、よろしくお願い致します。

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私の黒い熊

18/04/01 コンテスト(テーマ):第154回 時空モノガタリ文学賞 【 復讐 】 コメント:5件 待井小雨 閲覧数:441

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 家の外を熊がうろつく町に住んでいた。こんな暮らしはもう嫌なのだと都会に出て暮らし始めたけれど、いつしか私の周りをうろつく影に気付いてしまった。
 あれはあの町の熊だ。

「休みは地元に帰るの?」
 長期休暇も近いある日の帰り道、同僚がそう訊いてきた。
「私、出身が元々こっちだから」
 私は苦笑してみせる。躊躇いなく吐いた嘘に同僚は「そっか」と言う。
「私の実家、遠いから帰るの面倒なんだよね」
「いいじゃない、田舎があるのって羨ましい」
 心にも無いことを言うと、同僚は「そっかな」と笑った。私は笑い返しながらも背後の気配をうかがっていた。
 今日もいる――。
 同僚と別れ、歩みを速める。少し前からある気配が私の後を付いてくるのに気付いていた。
 樹木もほとんどない都会、ビルが建ち並ぶ隙間から――熊の視線。私の嫌いなあの町の気配がする。
 熊の息遣いと重みのある足音が聞こえる。ビルのガラスに視線を移せば、映りこんだ熊の瞳と目が合った。
 暗がりからのぞく鋭い爪の手が、おいでをするように上下に振られた。帰ってこい、と聞こえる気がして耳を塞いだ。
 あそこは厭。ぐっと強く耳を押さえる。
 どうして――消えないの。
 沈む夕日にどこまでも広がる畑と山々、鬱屈とした日々。熊の棲む私の町。
 町の気配がどこにも消えない。都会に出てもう消え失せたはずの田舎の匂いが。あの熊が連れてきた空気なのか。――いいや、もっと身近だ。
 私か。私にあの町が染みついているのか。決して離れずにいつまでもいつまでも付き纏うのか。
 怒りが湧きだし、人のいない道で勢いよく振り返る。熊は逃げることもなく立っていた。
「どうして付いてくるの」
 熊はゆらりと動く。その手には鎌があった。
『僕は』
 ざっ、ざっ、という音が耳に蘇る。鎌で草を刈っていた母。際限なく伸びる草に私は嫌気が差していた。蔓延るに任せて家ごと朽ちてしまえばいい。
『僕は君の母親を殺した熊だ』
 鎌がタオルに変じた。父が汗を拭っていたタオルは、どこかからぽたぽたと垂れてくる血を受け止めきれず拭えずに、熊の手の中で赤く染まって落ちた。
『僕は君の父親を殺した熊だ』
 熊は鎌とタオルを落とした両腕を広げ、深淵のように黒い胸を私に晒した。
『僕は君に復讐をさせるべきなんだ』
「そんなの要らない……!」
 あの町のことなど忘れて生きていたいのに。
 あの頃は全てにうんざりして生きていた。町とは名ばかりの、どこにも行き場のない閉じた世界が嫌いだった。変わり映えのしない日々も血に濡れた山の小道も、何もかもが嫌だった。
(……あれは誰の血。隣のおじさんが襲われたんだよ。出てけばいいのに引っ越せばいいのに。いやぁここの暮らしは最高だ。包帯したまま何笑ってるのよ。俺は強いから熊なんかにゃぁ負けねえ。死ぬ思いをしたのに強がって嘯いて。お前もここでずっと暮らすんだよ。冗談じゃない――冗談じゃないわ)
「あんな町大っ嫌いだったのよ!」
 地面に溶けて沈んだ鎌を引きずり出して高く構える。腕にねばつき伝い落ちてくるのは何の血だろう。あの日流れた血だろうか。母の血と父の血と熊の血と。
『ああ』
 熊が呻いた。抵抗なく鎌を受けて倒れる。あの日の熊も、こうして仰向けに倒れていた。血の匂いの満ちる家で恐慌を来たす私の前で、射殺されたのだ。
「なのに何でいるのよ!」
 どうして私の心に棲んで離れてくれないの。
 私は必死になって鎌を振り下ろした。
 けれど幾度繰り返しても、熊からは血の一滴も出てこない。だというのに、鎌にはべっとりと血が付いている。
『それは誰の血』
 これは誰の血。あの日私の手に付いていた血は誰のもの。
 熊が私をじっと見る。その瞳に、あの時背後に感じた視線を思い出す。
 ――窓の外から熊が見ていた。
「……思い出させないでよ」
 首を振る。熊は死んだんだ。だからあの日私が何をしたのか知る者なんていない。
 ……両親の血が部屋に流れていた。その匂いに誘われて来た熊に、私は気付いて逃げ出した。
 怖かったけれど助かったの。食い荒らしてくれてありがとう、とお礼さえ言ったほど。
 血濡れた鎌も血を吸ったタオルも全部熊のせい。誰も疑いはしなかった。全ては獰猛な熊のやったこと。
『僕は死ねない』
 私に忘れることを赦してくれない。
「ああ」
 両手で顔を覆う。きっとどれだけ殺しても、熊は私の傍から消えることはない。私の罪から目を逸らしてはくれない。
 私を見ていたあの瞳も血の匂いも、あの町のどんな景色も一生私にこびりついて離れはしないのだ。
 罪に叫びながら熊の深淵の胸に縋り付く。
『ああ』
 熊が苦しげに呻いた。むしるように強く熊の毛並にしがみ付きながら私も呻く。
 これは私の黒い影。
 決して消えない……私の罪ある黒い熊。


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このストーリーに関するコメント

18/04/02 文月めぐ

拝読いたしました。
「私」の罪は大変重たいものだが、それを知っているのは熊だけ。熊が影のように付きまとって来るのは、「私」の後悔を表現していると感じました。

18/04/02 霜月秋介

待井小雨さま、拝読しました。
衝撃的な真相に言葉を失いました。これからも主人公は、罪を背負って熊と共に生きていくのでしょうね。今日の夢に黒い熊が出てきそうです。どうしよう…

18/04/10 待井小雨

文月めぐ 様

お読みいただきありがとうございます。
ご感想にいただけました通り、罪を見ていた自分の中の「黒い熊」は自分の半身でもあり、後悔を主人公に焼き付ける存在です。
復讐を求めて現れるのは自らの罪を自覚していながらも忘れようとする主人公への戒めである……という感じで書いてみました。

霜月秋介 様

ご感想ありがとうございます。
あの日の罪のあるかぎり、主人公から熊が離れることはきっとありません。霜月さんの仰る通り、これからも熊と共に生きていくことになります。
罪を熊になすりつけて逃げようとしても、罪悪感を背負った半身の熊が自らの罪を忘れさせてはくれないのです。

18/05/16 光石七

拝読しました。
嫌で仕方なかった町を出たくて罪を犯し、しかしその罪ゆえに町に縛られ続ける……
主人公の心理が「黒い熊」を通して見事に描かれていると思います。
素晴らしかったです!

18/05/24 待井小雨

光石七 様

ご感想ありがとうございます。
あの町の記憶も忘れたい光景も、自分自身の中に熊がいる限り忘れることは出来ない……という救いのない状態。これを表現出来ていたら嬉しいです!
お読みいただきありがとうございました!

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