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キップルさん

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内角高めのストレート

18/03/04 コンテスト(テーマ):第153回 時空モノガタリ文学賞 【 報酬 】 コメント:0件 キップル 閲覧数:333

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「日本シリーズ第4戦。3連敗で後がない信州グランバーズ。2点リードで迎えた7回表、ここで大橋がマウンドに上がります!」

 俺は大歓声の中マウンドに立った。緊張はない。キャッチャーミットはよく見えている。俺の役割は明確だ。

「ピッチャー大橋、第1球目を投げました!打った、打球は1、2塁間、抜けた!ノーアウトのランナーが出ました!」

 レフトスタンド、大阪タイタンズの応援団が沸き返った。メガホンを叩く乾いた音が耳に痛い。

(これでいい…)

表情をピクリとも変えず、俺はセットポジションでマウンドに戻った。


「大橋くん、ちょっと『バイト』をしてみないか?」

 コーチに声を掛けられたのは、プロに入って5年目のことだった。当時、二軍で好投するも一軍で炎上を繰り返し、そろそろクビになるのではないかと噂が立っていた。
 コーチの紹介で、ある有名な電機メーカーの役員に会った。五十代後半と思われる男は運動とは無縁のでっぷりした脂肪を腹に蓄えていた。

「大橋くん、今度の試合だけど、わざと打たれてくれないかな?報酬はこれくらいでどうだろう?」

「バイト」の内容は察しが付いていた。だが、そこで提示された金額は想像より桁一つ多かった。俺は無言で頷いた。


「フルカウントから、わずかに外れてフォアボール!これでランナー1、2塁となりました」

 1番打者を歩かせ、同点のランナーを出した。次で1点取られておくか…。俺が再びマウンドで構えると、グランバーズ応援団から大きな拍手が聞こえた。シーズン中よりずっと多くのファンが俺の背中を押している。

(止めてくれ、投げづらいじゃないか…)

俺は外角低めいっぱいのストレートでストライクを取った。

 「バイト」によって生活は楽になった。プロ野球選手は高給取りのイメージがあるかもしれないが、それは一軍のレギュラー選手に限ったこと。二軍選手の収入はサラリーマンと変わらない。だが、付き合いでの飲食・娯楽、体のケアなどがあり、支出が大きい。しかも多くの選手が30前後で引退し、収入が途絶える。だから、現役のうちに少しでも稼いでおきたいと思うのは自然な心情だ。


「真ん中に入ったカーブを、打った!打球は、ライトの頭上を超えるか〜!」
(長打で1点…)
「ライト懸命に追っていく、飛びついて、取った!取りました!」
(なんだと!)

 俺は思わず振り返った。ライトのファインプレーにスタンドからワッと歓声が上がった。

 「バイト」のことは監督も知っていて、試合で打たれても叱責はなかった。それどころか、「バイト」後の数試合は相手打者の打ち損じが続き、成績が上がった。そこには何らかの力が働いていたのかもしれない。結果、俺は中継ぎ投手として一軍に定着していった。


「ツーストライク!3番市川、追い込まれました。」

 グランバースは弱小チームだ。毎年最下位争いを演じ、3位以内に入ることさえほとんどない。それが今年、奇跡的にリーグ優勝を果たした。20年ぶりだった。長年待ち焦がれたファンたちが祈りながらマウンドを見つめている。

「ストライク、バッターアウト!インローのスライダーで三振を取りました!これでツーアウトです!」

 スタンドのファンが一斉に立ち上がった。ワーッという歓声が球場を突き抜け、俺はブルっと身震いした。もう自分を抑えることができなかった。

(野球って、楽しい…!)

 そんなことを感じたのはいつ以来だろう。昔はボールを追いかけるだけで楽しかった。より早い球を投げる。より遠くまで打球を飛ばす。その一つ一つに夢中になった。
 しかし、地元のスターだった俺もプロの世界じゃただの人。努力しても敵わない化物たちに嫌というほど才能の差を見せつけられた。俺は、いつしか野球をすることが苦痛になっていた。


「フルカウントからファウル!さぁ、次の一球で勝負か?」

 対峙する藤堂は日本代表の4番を勤める球界屈指の強打者だ。緩急に強く、穴がない。でも、絶対に打ち取る。これが渾身の一球だ…!

「あっと内角高めのストレート! 藤堂フルスイングだ!」

球場はこの日一番の歓声に包まれた。

…。


「大橋くん、この前はヒヤヒヤしたよ。本当に抑えてしまうんじゃないかとね。だけど、見せ場を作ってホームランを打たれるなんて、君もなかなかのエンターテイナーじゃないか」
「ありがとうございます」
「おかげで仲間たちも喜んでいるよ。これが今回の報酬だ」

 電機メーカーの役員がテーブル上のアタッシュケースを開くと、札束がぎっしり詰まっていた。俺は無言でその一つを掴むと、

「や〜めた!」

と言って放り投げた。大量の1万円札がブワッと宙に舞った。役員は目を丸くして固まった。その間抜けな表情を俺は一生忘れないだろう。


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