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宮下 倖さん

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お酒のちから

18/01/29 コンテスト(テーマ):第152回 時空モノガタリ文学賞 【 酒 】 コメント:0件 宮下 倖 閲覧数:301

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 お酒ってすごいな。
 ダイニングテーブルに突っ伏して小さくいびきをかいている母を見て私はため息をついた。ビールやチューハイの空缶が今日も散乱している。まるで何かの墓標のようだ。
 お酒ってこわいな。人をここまで変えてしまうんだから。
 私は成人してもお酒なんて飲まない。絶対にだ。
 結局、今日の三者面談にも母は来なかった。自分の娘が来年大学受験だってわかっているのだろうか。いや、今の我が家の状態では大学になんて行かないほうがいいのかもしれないけれど。
 ああ、それでも来てくれようとしたのかもしれない……と目の奥がつんとしたのは、母の肩にカーディガンをかけたときだ。よそいきのブラウスを着ているのがわかったし、シャンプーの匂いもした。身支度を整えるところまではしてくれたのだろう。
 きれい好きで明るくて優しかった母が変わってしまったのは、フレンチレストランのシェフだった父と、そこの常連客だった女性との浮気が発覚し離婚に至った二か月前だ。
 母はお酒に逃げた。
 それまではほとんど飲まない人だったのに、無理に飲んで酔っている。
 お酒を飲んだからといって暴れもしないし泣きもしない。ただただ飲んでいる。
 家事も炊事も後回し。
 生きていけるギリギリのラインを見つけて、それを細く薄くなぞって暮らしているようなありさまだ。
 父のことを忘れたいんだろう。酔っている間は忘れられるんだろう。
 でもねお母さん。それじゃあ前に進めないよ。
 私は制服を着替えてキッチンに立つ。どうしたら以前の母を取り戻せるのかわからない。

「……なあに? いいにおいね」
 掠れた声がした。見ると母がテーブルから身を起こしてこちらを見ていた。
 対面式のカウンターキッチン越しに目が合う。
「味噌汁? ……わたしもよく作ったっけ。あの人、仕事で毎日フランス料理ばかりだから家では和食にこだわろうなんて思って出汁から手作りして……それが重いなんて言われちゃったけど」
 母の掠れていた声がだんだん澄んできた。同時に湿っぽくもなる。
「どんなに想っても届かないことってあるのね。急にひとりにされて、どうしたらいいのかしらね」
 こんなふうに母が心の中を私に吐露するなんて初めてだ。
 私の前で泣きもせず怒りもせず、ただお酒を飲んでいる母が悲しかった。
 泣いて欲しかった。怒ってほしかった。ふたりで父への文句のひとつも言えたら楽になれるのにって思ってた。
 私は作った味噌汁をお椀によそってキッチンから出た。母の前にそれをそっと置く。
「飲んでみて」
 母は両手でお椀を持ち、ひとくち啜ると目尻を緩めた。
「おいしい。さすがシェフの子ね」
「違うよ!」
 思わず鋭い声が出た。
「お父さんの味じゃない。これはお母さんの味だよ。私が食べてたのはお母さんの料理だもん。私が見てたのはお母さんの作りかただもん。だから……お母さんも私を見て。ひとりじゃないよ、私がいるよ!」
 はっと母の目が見開かれた。
 私をとらえた母の視線が味噌汁に移り、さらにテーブルに並ぶ空缶に向けられた。
「あやちゃんごめん……ごめんね……!」
 母は私の手を握り、号泣した。

「ただいまあ」
「おかえりー。ごめんあや、お母さんも今帰ってきたとこなの。夕飯これから作るから」
「大丈夫、デパ地下寄ってお惣菜買ってきた。ワインも奮発したから一緒に飲もう」
「あら、いいわね」
 母は嬉しそうに笑いながらスーツの上着をハンガーにかけた。
 私は希望の大学に進学させてもらい、卒業したあと地元の銀行に就職できた。母は商店街のパン屋でパートをしている。女ふたりの生活も板についたし、なかなか悪くない。
 以前は絶対飲まないとまで憎んだお酒だけど、今は母と一緒に楽しく飲んでいる。
「ねえ、あや。そろそろカレシ連れてきたら? ほら、クリーニング屋の……」
「え、ちょっ……! 何で知ってるの!?」
「この前酔っ払って自分で言ってたじゃない。なかなかプロポーズしてくれないの〜、って」
 お酒ってこわい。
 そんな気もちが顔に出たのだろう。母は明るい声をあげて笑った。


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