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野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書く勉強をしています。

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飲まない男

18/01/28 コンテスト(テーマ):第152回 時空モノガタリ文学賞 【 酒 】 コメント:0件 野々小花 閲覧数:321

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 聡志がアルコール依存症になったのは、就職して二年目の秋だった。残業で眠れない日々が続いていた。一人暮らしのアパートで、中毒症状を起こして意識を失っていたところを運よく管理人に発見され、専門の医療機関で治療を受けることになった。
 会社は辞めざるを得なかった。入院生活が続き、恋人や多くの友人達が聡志の元から離れて行った。自分は何もかも失ったと思った。それでも、いくつかの治療ステップを経て外来治療に切り替わったとき、少しだけ希望が持てた。また元の自分に戻れるかもしれない。人生を取り戻せるかもしれない。そんな風に前を向くことができた。

 働くという行為に体を慣れさせるために、短時間のアルバイトから始めた。大手リサイクル店の倉庫内で、買取った商品の仕分けをするのが聡志の仕事だった。大量の衣類や家具、家電、スポーツ用品等。その中には、高価なブランデーやウイスキーもあった。
 酒は、この世の中にごく普通に存在し過ぎていると聡志は思う。己を蝕んだものが、スーパーやコンビニで当然の顔をして並んでいる。他の人間にとっては、酒は必ずしも毒ではない。要は適度に付き合えるかどうかだ。聡志には、それが出来なかった。
 ほどなくして、外来治療は終わった。定期的にカウンセリングを受けながら、聡志は自分の人生がもう元に戻らないことを悟った。倉庫の中で酒に触れるときは、意識していれば大丈夫になった。でも、ふいに酒を目にすると途端に駄目になってしまう。
 何の前触れもなく、酒という字を見るのが怖かった。急に嫌な汗を掻く。その字だけが大きく浮いて自分に迫ってくるような気がする。自分は一生、酒というものから逃げられないのだと暗い気持ちになった。

 バチバチと荒々しく電卓を叩く音がする。
「もう上がっていいよ」
 時計の針は就業時間を少し過ぎている。聡志が声を掛けると、音が止んだ。
「さっき社長から渡されたレシート、まだ清算が終らないんですよ」
 向かいの席に座る朱石と視線が合った。薄化粧なのに凄い目力だ。
「すみませんね」
 社長だというのに従業員に頭が上がらない。社長と言っても従業員はこの朱石しかおらず、細々とした仕事は全て彼女に丸投げしているから、立場が弱いのも当然かもしれなかった。
 しばらくすると朱石は作業を終え、事務所を後にした。朱石の背中を見送りながら、一年が経つのは早いなと感慨にも似た気持ちを抱く。
 あれから五年、聡志は倉庫係として働いた。途中からは買取のカウンターにも立つようになった。酒が持ち込まれるのを、いつの頃からか心待ちするようになっていた。自分が値段を付けた酒が棚に並び、客に買われて行くことが単純に嬉しかった。
 繁華街の雑居ビルの一室を借りて、そこで個人で酒の買取と販売を始めた。少しずつ業績は伸びて、従業員を一人雇えるようになったのが一年前。最初に面接に来たのが、当時まだ大学生の朱石だった。

 履歴書には、誰もが知る国立大学の名前があった。
「どうしてうちの会社に?」
「人付き合いが苦手だからです」
 聡志の問いに、はっきりとした口調で朱石は答えた。本音と建前がよく解らず、いつも周囲の人間の輪を乱してばかりだという。だから、できる限り従業員の少ない会社を希望したと正直に言った。
「その代わり、資格をたくさん取りました」
 言葉通り、資格欄は几帳面な字でびっしりと埋められている。
「やる気はとてもあります」 
 はきはきと自分のマイナスとプラスの部分を話す朱石を見ていると、聡志の口から自然に言葉が零れていた。
「僕はこんな商売をやってますが、酒を飲めません」
「下戸なんですか」
 朱石が不思議そうに言う。
「アルコール依存症だったんです。今はもうたぶん、治りましたが」
「はい」
「加減が出来ない人間だから、一滴も飲まないようにしています。そういう人間が、一人でやっている会社です」
「はい」
「もし、それでもよかったら、ここで働いて下さい」
「はい」
「あ、返事は今すぐでなくて結構です。改めてよく考えてーー」
「がんばります」
 治療を終えてから、依存症のことを誰かに口にしたのは初めてだった。力強く「がんばる」と言った言葉通りの、そういう顔を朱石はしていた。その表情を見ていると、何だか驚くくらいに、聡志は自分の体の力が抜けていくのが解った。

 どんなに遠ざけたくても、酒がこの世から消えることはない。自分は酒から一生逃げられない。だったら、一番近くにいて戦い続けようと思った。酒が毒になったのは、自分が弱かったからだ。弱いなら強くなればいい。簡単に強くはなれないだろうが、強くあろうと思い続けることならできるはずだ。
 その決意が出来たとき、もう元には戻らないと諦めた自分の人生をほんの少しだけ、聡志は取り戻せたような気がしたのだった。


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