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17/12/09 コンテスト(テーマ):第150回 時空モノガタリ文学賞 【 悲劇 】 コメント:0件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:795
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美弥子がひとりで家にいたとき、息子の大樹から電話がかかってきた。「おれだよ、大樹。母さん、困ったことになっちゃって――」「大樹――あなた、本当に大樹なの」と美弥子は念を押すようにきいた。それというのも、ちょうど一昨日、孫を連れて遊びにきた娘の桂が、ビールのジョッキを傾けながら、「これほど世間でオレオレ詐欺の被害がでているというのに、まだひっかかる連中が後を絶たないなんて、まったくどうかしてるわ」からはじまって、母さんも気を付けるのよと、オレオレ詐欺の実態をこんこんと説いてきかせたばかりだったのだ。名前だけであっさり信じこまない。生年月日や家族旅行でいった先なんかを事細かく尋ねること。母さんなら左の目じりに黒子があるから、黒子の位置をたずねるといい――などなどと、なるほどこれだけきけば到底、赤の他人に答えることは不可能にちがいなかった。「いろいろ心配してくれてありがとう。あたしはだいじょうぶよ。電話の息子の声を、まちがえるほど耄碌してないから」「自分は大丈夫というのが一番あぶないのよ、お母さん」そういって桂は、ジョッキに残ったビールをぐいと飲みほした。その娘の話をおもいだしながら美弥子は、受話器のむこうから伝わってくる、取り返しのつかない大変なことをしてしまい、金をいまからいう銀行口座にすぐに振り込んでという真に迫った相手の声を、ある程度余裕をもってきくことができた。「こちらから、もう一度あなたの携帯にかけなおすことにします」 壁にボールが跳ね返るように、受話器から大樹の声が返ってきた。「そんな悠長なこといってられないんだよ。俺ね、いま、事務所にいるんだ、事務所っていうのは――」急に低くなったその声かに、美弥子はおしつけた受話器の奥からかろうじて、「やくざ」とききとることができた。「やくざの事務所にいるの」「そうなんだ、まわりからかこまれて、俺の返答次第では……」「返事次第では、どうなるの」「あのね、指を一本ずつ、切り落とすと脅されてるんだ」「そんなこわいこといって、お金をだましとるつもりなんでしょう」「ちがう、ちがうってば。俺の手いま、まな板のうえにおさえつけられて、指のあいだにドスがつきつけられているんだ」美弥子の胸が早鐘のようにうちはじめた。この時点で彼女の頭はまっしろになって、娘の言葉もなにもいっぺんに霧散してしまった。「おいい、いったいなにがあったの――」大樹はほとんど泣き出しそうになりながら、一気にまくしたてた。酒場でしりあった女性と、深い仲になり、しばらく交際していたところ、今朝ふいに強面の男が一人暮らしている彼のアパートをたずねてきた。そこではじめて彼女が、男の兄貴分の女だとわかった。その男に車にのせられ、つれてこられたところがいまいる事務所で、まわりには自分をつれてきた男がやさしくみえるほど凄い形相の男たちがわんさといて、そして一千万円を要求されたのだといった。「わかったわ。これからすぐ銀行にいってお金を振り込むから、振り込み先をいってちょうだい」走り書きしたメモを片手に、美弥子はいきつけの銀行に走った。銀行の窓口では受付の行員が、美弥子のおろそうとする金額のあまりの額に疑問をおぼえ、「お客さま、このお金を、何にお使いなのでしょうか」「遠方にいる息子に送ってやります」「息子さん、すぐに一千万も必要なのですか」「大変なことになっているので――」息をはずませながら銀行にとびこんできたときから美弥子の様子をいぶかっていた行員の顔に、ひらめくものがあった。「あの、よかったら、別室におこしくださいませんか」「時間がないのよ。あちらではあたしが振り込むのを、まってるんだから」「とにかく、さ、どうぞ別室へ――」行員は確信をもって美弥子を、窓口の隣の別室に案内した。 30分後、美弥子はおちついた顔つきで、別室からあらわれた。行員からきかれるままに詳細を話したところ、それはオレオレ詐欺にまちがいないとさとされ、けっして振り込んではいけないと釘をさされた。美弥子じしん、気持がしずまってくると、そういえばあの声、息子とはすこしちがっていたわねと思い直し、はやまったことをしなくですんだと行員たちに感謝しながら、安堵の表情で自宅にかえっていった。そのころ大樹は、依然として黒服の男たちに囲まれ、生きた心地もないまま、銀行にでむいた者からくる電話連絡をまちわびていた。「まだきてないようだぞ」もちなおした長ドスを、大樹の指のあいだにどんとうちこみながら、若頭がすごんだ。「すみません、いま母をよびだしています。母さん、早く出てくれ、母さん。おれだよ、大樹だよ――」
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美弥子がひとりで家にいたとき、息子の大樹から電話がかかってきた。
「おれだよ、大樹。母さん、困ったことになっちゃって――」
「大樹――あなた、本当に大樹なの」と美弥子は念を押すようにきいた。
それというのも、ちょうど一昨日、孫を連れて遊びにきた娘の桂が、ビールのジョッキを傾けながら、「これほど世間でオレオレ詐欺の被害がでているというのに、まだひっかかる連中が後を絶たないなんて、まったくどうかしてるわ」からはじまって、母さんも気を付けるのよと、オレオレ詐欺の実態をこんこんと説いてきかせたばかりだったのだ。名前だけであっさり信じこまない。生年月日や家族旅行でいった先なんかを事細かく尋ねること。母さんなら左の目じりに黒子があるから、黒子の位置をたずねるといい――などなどと、なるほどこれだけきけば到底、赤の他人に答えることは不可能にちがいなかった。
「いろいろ心配してくれてありがとう。あたしはだいじょうぶよ。電話の息子の声を、まちがえるほど耄碌してないから」
「自分は大丈夫というのが一番あぶないのよ、お母さん」そういって桂は、ジョッキに残ったビールをぐいと飲みほした。
その娘の話をおもいだしながら美弥子は、受話器のむこうから伝わってくる、取り返しのつかない大変なことをしてしまい、金をいまからいう銀行口座にすぐに振り込んでという真に迫った相手の声を、ある程度余裕をもってきくことができた。
「こちらから、もう一度あなたの携帯にかけなおすことにします」
壁にボールが跳ね返るように、受話器から大樹の声が返ってきた。
「そんな悠長なこといってられないんだよ。俺ね、いま、事務所にいるんだ、事務所っていうのは――」急に低くなったその声かに、美弥子はおしつけた受話器の奥からかろうじて、「やくざ」とききとることができた。
「やくざの事務所にいるの」
「そうなんだ、まわりからかこまれて、俺の返答次第では……」
「返事次第では、どうなるの」
「あのね、指を一本ずつ、切り落とすと脅されてるんだ」
「そんなこわいこといって、お金をだましとるつもりなんでしょう」
「ちがう、ちがうってば。俺の手いま、まな板のうえにおさえつけられて、指のあいだにドスがつきつけられているんだ」
美弥子の胸が早鐘のようにうちはじめた。この時点で彼女の頭はまっしろになって、娘の言葉もなにもいっぺんに霧散してしまった。
「おいい、いったいなにがあったの――」
大樹はほとんど泣き出しそうになりながら、一気にまくしたてた。
酒場でしりあった女性と、深い仲になり、しばらく交際していたところ、今朝ふいに強面の男が一人暮らしている彼のアパートをたずねてきた。そこではじめて彼女が、男の兄貴分の女だとわかった。その男に車にのせられ、つれてこられたところがいまいる事務所で、まわりには自分をつれてきた男がやさしくみえるほど凄い形相の男たちがわんさといて、そして一千万円を要求されたのだといった。
「わかったわ。これからすぐ銀行にいってお金を振り込むから、振り込み先をいってちょうだい」
走り書きしたメモを片手に、美弥子はいきつけの銀行に走った。
銀行の窓口では受付の行員が、美弥子のおろそうとする金額のあまりの額に疑問をおぼえ、
「お客さま、このお金を、何にお使いなのでしょうか」
「遠方にいる息子に送ってやります」
「息子さん、すぐに一千万も必要なのですか」
「大変なことになっているので――」
息をはずませながら銀行にとびこんできたときから美弥子の様子をいぶかっていた行員の顔に、ひらめくものがあった。
「あの、よかったら、別室におこしくださいませんか」
「時間がないのよ。あちらではあたしが振り込むのを、まってるんだから」
「とにかく、さ、どうぞ別室へ――」
行員は確信をもって美弥子を、窓口の隣の別室に案内した。
30分後、美弥子はおちついた顔つきで、別室からあらわれた。行員からきかれるままに詳細を話したところ、それはオレオレ詐欺にまちがいないとさとされ、けっして振り込んではいけないと釘をさされた。美弥子じしん、気持がしずまってくると、そういえばあの声、息子とはすこしちがっていたわねと思い直し、はやまったことをしなくですんだと行員たちに感謝しながら、安堵の表情で自宅にかえっていった。
そのころ大樹は、依然として黒服の男たちに囲まれ、生きた心地もないまま、銀行にでむいた者からくる電話連絡をまちわびていた。
「まだきてないようだぞ」
もちなおした長ドスを、大樹の指のあいだにどんとうちこみながら、若頭がすごんだ。
「すみません、いま母をよびだしています。母さん、早く出てくれ、母さん。おれだよ、大樹だよ――」