クナリさん

小説が出版されることになりました。 『黒手毬珈琲館に灯はともる 〜優しい雨と、オレンジ・カプチーノ〜』 マイナビ出版ファン文庫より、平成28年5月20日発売です(表紙:六七質 様)。 http://www.amazon.co.jp/dp/4839958211

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将来の夢 絵本作家
座右の銘 明日の自分がきっとがんばる。

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17/11/24 コンテスト(テーマ):第148回 時空モノガタリ文学賞 【 ホラー 】 コメント:2件 クナリ 閲覧数:711

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 中学の制服の襟がなかなかなじまないのを気にしつつ、麻衣はドアを開けた。
 そこには、居間がある。
 夕暮れの弱く鈍い光の中、すぐ横の、少し古いのれんの向こうにある台所から、トントントントンと包丁を使う音が聞こえている。
 居間は板張りで、こたつの周りに座椅子がよっつ。くたびれたカーテンに、黒くて奥行きのある古いテレビ。ガラス戸の外には、小さな庭がある。
「あれ?」
 麻衣はそうつぶやいて、その場にたたずんだ。
「どうしたの、姉ちゃん。母ちゃんがどうかしたの」
 すぐ後ろから声が聞こえる。
「どうって……」
 太陽の光は、もうすぐにでも、山の端に消えてしまいそうだった。青い闇が周囲を包みつつある。
 トントンと包丁を使う音は、続いていた。
「えー……」 
 首をかしげながら、麻衣はのれんを指で分けた。その向こうには、今と同じようにか細いオレンジ色に染まった台所がある。
 茶色い上衣を羽織り、小花柄のスカートをはいた後姿が、流し台の前に立っている。やや背中が曲がりかけ、中途半端なくせのある後ろ頭が見える。
「いや、いや、いや……」
 トントントントントン……
 包丁の音は絶え間なく続いている。
「姉ちゃん、どうしたの」 
「どこ、ここ……」
「どこって。うちだよ。あれは母ちゃんだし」
「誰の……?」
 もう、麻衣の声は隠しようもなく震えていた。
「私のお母さんじゃない。全然違う。この家もどこ? うちは、アパートだもん……」
 トントントントントン……
「あの人、何をあんなにずっと切ってるの? なんで全然休まないでずっと同じ調子で音がしてるの?」
「姉ちゃん、どうしたの」
「あんたも誰? なんでもの聞く時に、語尾が上がらないの? 凄く変なんだけど。あと、私、……」
 最後は叫ぶような声になった。
「私、忘れ物取りに部室のドア開けたんだけど…!?」
「こっちを向いてよ姉ちゃん」
「あの太陽も何? 今日とっくに日が暮れたでしょ? それでなんでさっきから全然日が沈まないの?」
 トントントントントン……
「こっちを向いてよ姉ちゃん」
「やだ。絶対いや」
 涙声で麻衣はつぶやく。しかし、どうすれば元に戻れるかが分からない。
 振り向いて、全力で駆ければ戻れるだろうか。ほんの数十秒前、とっぷりと暮れていたとはいえ、通いなれた学校の、歩きなれた廊下に。
「こっちを向いてよ姉ちゃん」
 トントントントントン……
「こっちを向いてよ姉ちゃん」
 声はもう、録音を再生するだけのように変化がない。
 いっそ、目を閉じ、振り返ってしまおう。手の中に汗を握りこみながら、麻衣が心を決めかけたその時。
 トントンという音が止んだ。
 日も沈んだ。
 ガラス戸の外が真っ暗に染まる。
「……夜になった……? え?」
 しかし、すぐにおかしさに気づいた。窓の外の暗さが不自然だった。
 暗いのではない。黒いのだ。塗りつぶされたように。
 そしていきなりそのガラス戸の向こう側に、バン! と音を立てて、子供の人影が貼りついた。しかしその形は、人間の子供になり切れていなかった。口らしき裂け目を開き、それは叫ぶ。
「あああああああ!!」
「きゃああああああッ!!」
 麻衣はもうたまらず、振り向いた。逃げようと駆け出す。
 しかし振り返った眼前には、人間の母親の形になり切れていない、茶色い上衣と小花柄のスカートの何かが立っていた。
 右手のような部分に包丁を持って。
「あああああああ!!」
「ひいいいッ!」
 麻衣の両足は凍りついたように動きを止めた。
 どうしようもなく、きつく目を閉じる。
 耳に響く絶叫は、もう、誰の声なのか分からなかった。
 麻衣は、自分の体に包丁が食い込むのを予見した。それでも目は開けられず、体も動かせない。
 しかし、数秒経っても、まだ麻衣の体は無傷だった。
 不可解に思っても、まぶたの力を抜くことはできない。
 やがて、耳が、小さな音を拾った。音はだんだん大きくなってくる。

 トントントントントン……

 姉ちゃん 

 トントントントントン……

 姉ちゃん

 抑揚も調子もない、ただ録音を再生するような音。
 そして、麻衣は、音が大きくなってくるのではなく、近づいてくるのだということに気づく。
「はあ、ぐう、あぐううう……」
 頬に当てた手は、ほとんどその頬を叩くように震えている。
 麻衣は、覚悟を決めてというよりは、ほとんど自失して、目を開いた。

 そこには、居間がある。
 夕暮れの弱く鈍い光の中、すぐ横の、少し古いのれんの向こうにある台所から、トントントントンと包丁を使う音が聞こえている。
 居間は板張りで、こたつの周りに座椅子がよっつ。
 くたびれたカーテンに、黒くて奥行きのある古いテレビ。
 ガラス戸の外には、小さな庭がある。


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このストーリーに関するコメント

17/12/21 霜月秋介

クナリ様、拝読しました。
日常でよく目にするような光景がじわりじわりと非日常へと変化していく恐ろしさが実によく描かれてます。お見事です。やはり得体の知れないものはとてつもなく怖いですね。いつか夢に出てきそうです。

18/01/04 光石七

よくある日本の家庭の日常の光景かと思いきや、どんどん違和感と不気味さが増していき、周りの光景が一転した時の恐怖は半端なかったです。
本来の世界に戻って終わり、という形ではないのが、ざらついた読後感を引きずらせますね。
主人公はどこに迷い込んでしまったのか、それとも主人公自身が現実から離れているのか……
素晴らしいホラーでした!

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