草愛やし美さん

時空文学コンテスト開催100回、おめでとうございます。思えば、初めて私が、こちらに投稿したのは2012年5月のこと、もう4年近く経ったのですね。時空モノガタリさまが、創作の場を与えてくださったお陰で楽しい時間を過ごすことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。 また、拙い私の作品を読んでくださった方々に感謝しております。 やし美というのは本名です、母がつけてくれた名前、生まれた時にラジオから流れていた、島崎藤村作詞の「椰子の実」にちなんで……大好きな名前です。ツイッター:草藍やし美、https://twitter.com/cocosouai 

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将来の夢 いっぱい食べて飲んでも痩せているっての、いいだろうなあ〜〜
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毛皮

12/12/10 コンテスト(テーマ):第二十回 時空モノガタリ文学賞【 お正月 】 コメント:9件 草愛やし美 閲覧数:2287

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 何のことはない私はずっと暗闇にいるというのに、聞き続けている。うるさい奴があれこれ言ってくるものだから、眠るわけにいかないのだ。今日も私のすぐ横でそいつはため息をつき憐れな声を出してくる。
「なぁ、お前、よく平気でいられるな、こんな暗闇で。考えてみろよ僕らの不幸を……、お前も悔しいだろう、こんな姿のまま暗闇に放り込まれ、不幸以外の何ものでもない」
 私が何も答えないでいると、奴は私が同じ気持ちでいるのだと勘違いするようだ。私は自分が不幸だなんて思っていないというのに。
「あぁ、山々を駆け回ったあの頃に戻りたい。僕らはなんて運が悪いんだ。仲間たちはどうしているだろう? あの山は美しかった。お前も帰りたいだろう。あの猟師に撃たれなければ、僕らは今もあの山河で楽しく暮らしているだろうに」
 私は何も言いたくない。彼が間違っていると思わないが、私と考えは違うのだ。同じ体を有していても、全て同じ考えとは限らないことを奴は気づかない。
「しっぽよ、可能ならばお前はもう一度どこを見たい? 僕は、もう一度山の上の空が見てみたいな、青い空、暗い空、満月、どれも素敵だった」
 しっぽと呼ばれた私は確かにしっぽだ。同じ狐の毛皮だが私は末端のしっぽ、彼は見事な頭だ。この押入れに突っ込まれてもう何年経ったことだろう。たぶん私たちは流行りでなくなったのだろう。それとも毛皮は高価なので、大切にされて日の目を見ないだけなのか、どちらにせよ、私たちの持ち主は私たちを忘れてしまったのだろう。
 だがそんなことはどうでもいいのだ。私はすでに毛皮になったのだから、意志があること自体おかしいことなのだ。もしかしたら、意志を持っているのは頭だけなのかもしれない。私はそんなもの端から持ち合わせていなかった。頭の奴が話す相手として私は存在しているだけなのだろう。毛皮になってすぐの頃、首に巻かれて見た景色は確かに違っていた。見たこともないものに私は少しだけ興奮を覚えた。だけどそれだけで私は変らなかった。いつまで経っても毛皮のしっぽだった。
 なぜ、しっぽか、考えたこともある。私はこの毛皮に必要か? 私がいなくてもこの景色が変ることはない。存在なんてその程度、ちっぽけなものなのだ。
「できれば、僕はあの夕焼けをもう一度見たい。それが駄目なら、初めて毛皮になって行ったお正月の神社で見た大きな鳥居が見てみたい。僕を巻いていたあの女の人は素敵な人だった。あの人の毛皮でいられるなら、それでもいいと思えた。でもあの人は二度目の正月に使ったきり、僕らを使ってくれなかった。正月だけでもよかったのに……。あの男がいけないんだ。あいつは僕を摘んで何てグロテスクで悪趣味なんだと言った。僕のどこが悪いっていうんだ」
 私にはどうでもよいこと、第一ここには、正月も何もない。だが、頭はそれに気づかないで、日夜嘆いている。むしろ私は、何年経っても話せるその饒舌さに感心するだけだ。頭は、ついに泣き出してしまった。私には関係がないが、私で涙を拭くのはやめて欲しい。私は涙を拭く物では断じてない。

 頭はまた狐に戻りたいと嘆き出した。幾度もこの話を聞かされてきた。頭は狐が最上の生き方だと思えるのだから幸せなことだ。私には不幸も幸福も関係がない。幸福なんて欲しくもないが、もしそいつを持ち合わせているとすれば、彼にくれてやる――さすれば私はゆっくり眠れるのだ。だが私はそういう確たるものは持っていない。漠然としたものは持てないもので、考えれば形ができてくるというものでもない。では何かそれは? いや、やめておこう、ここで論じてどうするのだ。

 ある日、頭は我慢できなくなったのか、自らの命を断とうと言い出した。
「なあこのままでは生きていても仕方ないだろう、一緒に死んでくれ、お願いだ、頼むしっぽよ」
 私はいつまでも言い続ける頭についにひと言だけ発してしまった。
「私たちはもう死んでいるんだあの時点で。そして永遠の命を貰った。お前はわかっているのか、あれから何十年経ったと思っているのだ。毛皮になれなかった狐たちは、お前がいつも懐かしむあの山河ですでに朽ち果ててしまい、あの山河も今はない。お前はいったい何を望んでいるのだ?」
 頭は静かになった。何も聞こえない。私は明日からゆっくり眠ることができるだろう。

 だが私の考えは甘かった。彼は私が話せることがわかったので余計話しかけてきた。
「僕らは永遠の命なんだ、幸せなんだ、なぁ、幸せもの通し話そうよ」
 私は今日も眠らせて貰えそうもない。ただ私は自分のことも含めてこの世の全てをどうでもいいとことだと思っていたが、ひとつだけわかったことがある。それは、幸せな奴の話を聞くことがいいってことだ。それだけはわかった。眠れない日は続くだろうが、昨日よりはいい。


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このストーリーに関するコメント

12/12/10 石蕗亮

草藍さん
拝読しました。
頭と尻尾、それぞれに意思が宿ってしまうなんて不思議なお話で面白かったです。
頭は生前の狐の意志で、尻尾は毛皮になってからの憑喪神なのかもしれませんね。(私の勝手な想像ですみません)

12/12/10 泡沫恋歌

草藍さん、拝読しました。

何んとも哲学的な話だと思いました。
頭と尻尾、かつては同じ身体だったのに、長い年月の間に別々の意思を持ち始めた。
それは、幸せなことなのか? 不幸なことなのか?
よく分からないけれど、ひとりで暗闇にいるよりもずっと良いことだと思う。

12/12/10 こぐまじゅんこ

草藍さま。

拝読しました。
面白かったです。
尻尾の性格が、好きです。
幸せな人の話を聞くことがいいって、
まったくそのとおりだと思います。

12/12/10 そらの珊瑚

草藍さん、拝読しました。

やはり人間は罪作り。毛皮に宿ったふたつの魂に幸せはあるのか、ないのか。せめて大切に使ってあげてほしいですね。

12/12/11 草愛やし美

石蕗亮さん、読みくださってコメントをありがとうございます。

狐の生前と憑喪神ですか、お恥ずかしいことですが、憑喪神の言葉がわからなくて検索して調べてみました。付喪神のことなんですね。なるほど、そういう取り方できますね、頭の生前の意志の存在によって、時を経て出てきたものが尻尾に宿っている。明確な位置づけもしないで書いてましたが、そういうことだなと思いました。参考になりましたありがとうございました。

12/12/11 草愛やし美

泡沫恋歌さん、コメントありがとうございます。

哲学的だとみていただき嬉しいです。とても私には、哲学なんてことは無理ですが、幸不幸の境界線が、考えようによってどちらにも転じるという持論によるものをもとにして書いてみました。

心の持ちようで幸にも不幸にも感じるのではないでしょうか。それなら、幸に生きていければいいなあと考えています。

12/12/11 草愛やし美

こぐまじゅんこさん、お読みくださってありがとうございます。

尻尾の性格、私も好きです。関係ないと言いながら、気にしている、そんな人柄(狐柄?)って、時代劇の人情もののようですよねえ。コメントありがとうございました。

12/12/11 草愛やし美

そらの珊瑚さん、コメントありがとうございます。

人間は罪作りで、かってな生き物だと思います

。一昔前のお正月には、頭つきの狐の襟巻がずいぶん流行ってましたが、動物愛護だとかグロだとか論議されて姿を消してしまいました。
たぶん、処分されていないで、どこかの家の押入れに残されている毛皮が、いっぱいありそうに思います。

12/12/15 鮎風 遊

最後で、なるほどそういうことかと納得しました。
確かに毛皮ね、面白いですね。
何年もタンスの中で、こんな会話をしてるのでしょう。

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