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暗黙の了解との絶妙な距離について

17/09/18 コンテスト(テーマ):第143回 時空モノガタリ文学賞 【 約束 】 コメント:0件 ケイジロウ 閲覧数:767

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 次郎が職場に戻ると、ベテランのお局が仁王立ちで待っていた。
「ちょっと、あなた、遅いわよ」
 次郎は壁にかかった時計を慌てて見た。しかし、まだ12時50分だった。昼休みは13時までだ。
「おわんないわよ。全く、近頃の若いのは」
「スミマセン」
「とにかく、速く速く。すぐにAラインに入ってちょうだい。神田さんがいるから、神田さんと一緒にやってちょうだい」
「あ、ハイ……」
 遅刻したような罪悪感を持ちながら、次郎は走ってAラインに向かった。
 Aラインはすでにガタンガタンと動いていた。次郎はすでに業務を始めていた神田という前歯のないおじさんの横に入った。
「スミマセン」
 次郎は神田になんとなく謝った。神田は次郎をギョロッと睨みつけた。
「あの、神田さん、僕は何をやればいいですか」
「しらねぇよ」
 神田は次郎に背を向けた。

 その倉庫は暗かった。そして静かだった。ジメジメしていて、悪臭が漂っていた。そこにはたくさんの「リョウカイ」という虫が生息していた。巷で「暗黙の了解」と呼ばれているやつだ。
 次郎は煙草をくわえライターで火をつけた。小さな光が広がると、リョウカイのサササッと動き回るのが次郎の目に入った。
 よし、見つけたぞ。次郎は懐中電灯にスイッチを入れたい気持ちをグッとこらえ、煙草と漂う悪臭とを深く吸い込んだ。
 リョウカイは光に弱いのだ。いや、逆だ。光に強いのだ。というよりも、光を浴びると活発になるといった方よいかもしれない。とにかく、一度にすべてのリョウカイに光を当ててしまうと、秩序が一瞬にして崩壊してしまうことを次郎は心得ていたのだった。
 秩序、か……
 次郎は、害虫だか益虫だかよくわからん虫にかろうじて支えられている秩序を延命させることになんの価値があるのか、たまにわからなくなることがある。しかし、この秩序の延命装置を短絡的に破壊するほど次郎は馬鹿ではなかった。なぜなら、どんなに真新しい純白の秩序を建てようが、北側はいつもジメジメしていて、そこがいつの間にかリョウカイの住処になることを、次郎は知っているからだ。
 しかし、だ……
 次郎は吸殻を携帯灰皿にしまいながら暗黙の中にいるリョウカイをながめた。あまりリョウカイが多すぎるのも考え物だ。もろすぎる。リョウカイが増えれば増えるほど、リョウカイ依存体質になっていく。するとどうなるか、リョウカイが一匹も外に行かないよう窓を閉め切る。新鮮な空気を入れたい、と窓を開けようとする者ももちろん出てくる。が、その窓をぴしゃりと閉める者も出てくる。両者はにらみ合うわけだが、結局、窓開け派が屈することになる。なぜなら、窓閉め派の方がエライからである。そして、リョウカイがまた新たに誕生し、窓開け派は退場していく。
 次郎はため息をつき、窓を開けることもなく、その倉庫を出た。ドアを閉めると、ドアの横の「とりあえず…の部屋」と書かれた木札が揺れた。
 
 17時少し前にベテランお局が忙しそうに次郎の所にやって来た。
「17時になったらBラインね」
「え?僕、17時で終わりなんですけど」
 今度こそ負けないぞ、と次郎は構えた。
「なんで17時に上がるの?理由は?」
 理由……次郎はビックリした。ベテランお局の高圧的な目が次郎の声を小さくした。
「いや、その、定時なので……」
「なに言ってんの!みんな17時が定時よ!全くっ!とにかくBラインね」
 ベテランお局はそそくさとでかいお尻を揺らしながらどこかへ行った。
 因みにベテランお局は社員でもなんでもないただのパートである。しかし、でかい声とリョウカイを巧みに操りこの部門一の権力を握っているのだ。
 なぜ権力を握りたいのか、次郎はでかいお尻を眺めながらしばらく考え込んだ。結局のところ、ただの成り行きのように思えた。そこにベテランお局の策略などないのではないだろうか。つまりほっといたらリョウカイはどんどん増殖していく自然の法則があるのではないだろうか、次郎はBラインに向かいながら、リョウカイでいっぱいになった暗黙の倉庫を想像した。
 その時だ。
 度の強いメガネをかけたおばちゃんが、妖精のように職場を出ていくのが次郎の視界に入って来た。下田さんだ。下田さんの動きは職場の風景と同化していた。下田さんの退室は、太陽が西に落ちるかのごとく自然そのものだった。違和感などない。嫌味もない。
 なるほど、結局そういうことなんだよな、次郎は自分がいつの間にか微笑んでいることに気付いた。落ちれば村八分に転落してしまう一本のロープの上で踊るくらいのクレージーさが、このリョウカイだらけの村社会の中で、窒息せずに生活するうえで求められている、と次郎は悟ったのであった。


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