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田中あららさん

性別 女性
将来の夢
座右の銘 仏ほっとけ、神かまうな

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とはいえ

17/09/17 コンテスト(テーマ):第143回 時空モノガタリ文学賞 【 約束 】 コメント:0件 田中あらら 閲覧数:696

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 彼は父親の意思を継ぐべく、法曹界入りを目指していた。司郎、父親がつけた名前にも司法の司が入っていることから、司郎は父親の期待を背負っていた。
 父親が死んだ時、彼は高校1年生だった。父親が経営していた法律事務所は、敏腕の弟子に引きつがれ、株主である小野家の収入源となっていた。そして司郎はいずれ、そこの経営に関わるつもりだった。
 そもそもが小学生の頃、尊敬する父親に向かって「僕、T大の法学部に入って、お父さんの跡を継ぐよ」と口走ったことが始まりだった。父親は「そうかそうか、それは頼もしいな」と笑った。父との約束だった。

 とはいえ、司郎は28歳。法曹界に入るどころか、未だ大学に入学すらしていなかった。T大は毎年受け、毎年不合格だった。司郎は、記憶力が悪いわけではなく、集中力もある、合理的な考え方もできる、人一倍勉強しているし、模擬試験では合格ラインのはるか上にいる。それなのになぜ合格しないのか、本人も家族も疑問に思っていた。
 妹が「お兄ちゃん、名前か受験番号を書き忘れてるんじゃないの?名前を書く練習した方がいいんじゃない」と言うと「口の悪い妹だ。それは2年前のことだ」と言いながら、ノートに自分の名前を10回書いて「よし!」と頷いた。
 呆れた妹は「まさかマークシートで塗るところ間違ってなかった?」
「いや、それは5年前のことだ。確かに1行ずつずれていた。くっそー」
「それだけじゃないでしょ。そろそろやめてもいいんじゃない」
「何を言う。父さんとの約束を忘れたか」
「そんな約束…」
「これは男の約束だ。今年も勉強の季節に入った。邪魔しないでくれ」
「はいはい」

 とはいえ、司郎は受験勉強を繰り返ししているので、内容はほぼ頭に入っている。ここ数年は秋風が吹く頃復習を始めていた。不合格発表からの約5ヶ月、司郎はひたすら読書と描画をして過ごした。読書は娯楽であり、好奇心を満たすものであり、雑念を払うものだった。ジャンルは問わず、哲学書、歴史物、SF、ホラー、科学など、その時の興味の向くままなんでも読んだ。そして9月からの勉強シーズンに入ると、読書はやめた。深い知識は受験の邪魔だ。異論や逆説はいらない。広範で薄っぺらな知識だけを要求されるのが入学試験だと、司郎は割り切っていた。しかし、油絵を描くことは続けた。イメージを絵にすることは面白く、没頭すると寝食を忘れた。あまりにもシュールすぎる絵は、誰の評価も受けず、また司郎自身、評価を期待してはいなかった。
 このまま受験勉強を続けて一生を終わるのも悪くないと考える司郎だったが、何も言わず暖かく見守る母親を安心させるためにも、今年は合格しなければと考えていた。
 
 そんなある日、普段はおっとりしている母親が、いつになく真剣な顔をして司郎の部屋に入ってきた。司郎は「カントのトポロジカル解釈」と題した油絵に向かっていたが、筆を止め、母親に向き合った。
「あのね…」母親は言いにくそうに切り出した。
「どうしたの?」
「法律事務所を売ることにしたわ。一切手を引こうと思って」
「ええー!」
「何年か前からお話はあったの」
「…」
「経済的には大丈夫よ。ただね、父さんが亡くなって13回忌も済んだでしょ。一区切りつけたいの」
「でも母さん、俺の名前は司法の司だし、父さんとの約束を果たしてないよ」
母親はにっこり笑った。
「あのね司郎。あの頃父さんは司法試験を毎年落ちていたのよ。子供ができたと知って、子供の名前に『司』をつけることで、自分と約束をしたのよ。絶対に今度は受かるって。そして見事に合格したわ。『司』は子供への期待じゃなくて、自分のためだったのよ。だから、そんなこと気にしない気にしない」
「…初めて聞いた」司郎は口をあんぐり開けた。
「とはいえ、父さんとの約束があるんだよ。事務所を継ぐって」
「父さんが生きていれば、それもあったでしょう。でも、父さんは死んだのよ。それにね…」
「どうしたの」言いにくそうにしている母親を司郎は促した。
「あなた、T大に合格しない本当の理由って考えたことある?」
「そ、それは…ここのところアクシデント続きで、運がないと言うか」司郎は鼻をかきかき答えた。
「母さんは思うのよ。あなた、本当は法律家に興味がないんじゃないかって。だから潜在意識が働いて、何かが起きるんじゃないかって」
「…」
「あなた、本当は絵を描きたいんじゃないの。親はね、子供に幸せになってもらいたいだけなのよ。父さんが自分から法律家を目指したように、あなたもなりたい自分になればいいのよ」

 4月、司郎はT芸大の入学式を迎えた。この道がどういう道かわからない。前途多難な人生になるだろう。しかし、司郎は絵で食べていこうと決めた。自分で選んだ道は、自分との約束だった。


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