1. トップページ
  2. 求道者の配置

千野さん

絵や物語が好きです Twitter→@hirose_chino Tumblr→http://chinohirose.tumblr.com/

性別 女性
将来の夢
座右の銘 沈黙は金

投稿済みの作品

0

求道者の配置

17/09/06 コンテスト(テーマ):第114回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 千野 閲覧数:660

この作品を評価する

 誰かと話をすればするほど、その人間が自分とどれだけ違っているかを認識したり、かえって驚くほど似ているということに気がつく。ただそれだけのことで、それが本当に楽しく、興味深い。相手の顔色をうかがいながら当たり障りのない言葉を選んで、今日もうまくやれたかな、などと思うのは実につまらない行為であるうえに、先がない。先がないのだ。

 それでも多くの人がそういうことで悩む。だから、僕はいつだって「門の向こう側で会おうよ」と呼びかけている。何か、求めるものがある人たちへ。例えばジッドの狭き門に出てくる「神」や「キリスト」は、特定の信仰を持たずとも別の言葉に置き換えて読むことができる。自分の信念、など。遠藤周作の沈黙もまた然り。 「主よ、あなたはなぜ」と問うロドリゴの悲壮をはじめ、 これらの作品に描かれているものは宗教的体験を超え、僕たちの持つ普遍性へと言及している。そして当然ながら、それが時代や国境を越え読み継がれている所以でもある。

 聖書が説く。天へ続く門は人ひとりがすり抜けられるくらいの広さしかなく、誰かと一緒に手を繋いで通ることなど絶対にできないと。けれど相手もまた別の門をひとりきりでくぐるならば、向こう側で会えるのだ。それぞれの理想の、その先で。そういう人間にたくさん遭遇できれば最高に幸せだと思う。

 人間はひとりきりでは生きていけない。そのうえで、理想の断崖に楔を打ち込めるものは精神的な孤独のほかにありはしない。

 理想を持つという点で同じなら、僕たち(もうすでに亡くなっている人たちも、これから生まれる人たちも含めて)はいつだって、同じ惑星の周回軌道上にいることになる。弧を描き離れていくこと、近づいて交わること、あるいは何かの間違いで衝突してしまうこと。僕たちはそれを選べない。けれど自分の覚悟は、決してただ救いのないものなどではない。ただ、どこまでも強い想いから生まれたものだ。 それだけは唯一、決して確かではないけれど、それでも「これは確かなことなのだ」と言い張ることができるもの。

 僕たち各々が最期に目にするものは、一体、何であるのだろう。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン