千野さん

絵や物語が好きです Twitter→@hirose_chino Tumblr→http://chinohirose.tumblr.com/

性別 女性
将来の夢
座右の銘 沈黙は金

投稿済みの作品

0

17/08/10 コンテスト(テーマ):第112回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 千野 閲覧数:653

この作品を評価する

 あの塔が完成間近で見捨てられてからというもの、人間の舌にはすっかり強固な呪いがかけられてしまっている。それは世代を超えて繰り返され、より複雑に僕たちの身体に編み込まれ、もう誰も、かつての人々がそうしていたようには想いを誰かに伝えられない。かつての人々、というのはつまり塔の建設を試みる前に生まれ死んでいった人々のことだ。それから人類は、ひとつの魔法を失った。

 昔は僕たちも、言葉になる前の概念を月からそっと呼び出し、まるで唄をうたうように使役することができたのだ。そして無謀にも、それに直接手で触れようと考えてしまった。塔を建てることを望んでしまった。形がなければ肉体を介して認識することはできず、しかし本来は形を持たないものに無理に形を与えようとすれば、そこに歪みが生じるのに。やがて人々は自分たちが何を求めているのかということを、それぞれの隣に立つ人間に伝えることができなくなった。空に浮かぶ銀色を指差して叫ばれる音に一つとして同じものはなく、音になる前のたったひとつのものを認識する器官は著しく傷つき、もう元には戻らなかった。そして現在、塔の建設は放棄され、その存在もいつしか忘れられている。これが事の顛末である。

 伝達と共有の手段を失った僕たちは出鱈目にばらばらにされてしまったそれを新しく組み立てて行くために、齟齬を受け入れるしかなかったのだ。いまや記号は籠で、意味は蝶と化した。手を触れることなしに飛んでいるそれらをうまく導くことはできず、代替案として無機質な籠に入った生命をただ交換するだけ。そう、生命。その存在は言葉通りに「限りあるもの」となってしまった。かつて園を追われた始祖の彼らのように。籠の扉を開けば蝶は逃げ、直接つかめば鱗粉が羽から剥がれ落ちていく。どこか痛々しい感覚を伴って。中にいる蝶が死んだあとは、その籠を一体どうするべきなのだろうか? ここ最近、僕たちの胸を占めているのはそんなことばかりだ。

 僕は常にこの舌を縛る呪いに抵抗したがった。必死だった。裏側にあるもの、普段は見えないもの、たったひとつのもの、それをもう一度。そしてこの想いこそが、かつての人々を混乱させた元凶であったのだということに僕はもっと早く気が付くべきだった。あの星は、伝承のとおりにいともたやすく人を狂わせる。首をかしげるばかりの、困ったように眉を下げるばかりの君に、そんな顔などして欲しくはないのだということを説明しても伝わらないということが分かっていたから、僕はこの世界で覚えたなかでいちばん醜い、大嫌いな言葉を君に告げる。そうしてようやく得心がいったというように優しく笑う君、僕はそれを見て、絶望して泣く。たとえその笑顔がいつか見られなくなるのだとしても、僕はこの地上に塔を建てるだろう。たったひとつのものに触れるためではなくて、ただ月面に降り立つということ、そのためだけに。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

ログイン