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野々小花さん

野々小花(ののしょうか)です。文化教室に通って、書く勉強をしています。

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檻の家

17/08/08 コンテスト(テーマ):第140回 時空モノガタリ文学賞 【 育児 】 コメント:2件 野々小花 閲覧数:704

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 朝の五時に、私の一日は始まる。早起きは子供の頃からの習慣だ。二十九歳になった今でも、それは変わらない。夫を起こさないように静かにベッドが降から降りた。隣のベビーベッドでは、もうすぐ二歳になる息子の翔汰が気持ち良さそうに寝息を立てている。
 寝室を出て、洗濯機のスイッチを入れた。洗濯が終わるまでに、洗面台を磨き、風呂掃除をする。玄関、台所、リビングも、順番に掃除していく。家中の床に掃除機をかけてから、隅々まで丁寧に雑巾で拭く。
 二階のベランダで洗濯物を干しながら、良い眺めだなと思う。結婚したとき、丘の上にある新興住宅地に家を建てた。赤い瓦の屋根と、白くておしゃれな外壁。大切な我が家だ。
 朝食を作っていると、夫が起きてきた。新聞を読みながら朝食を済ませ、あっという間に身支度を整えて家を出ていく。私は慌てて玄関に行き夫を見送る。
「あなたが起きたとき、翔汰まだ寝てた?」
 毎日、夫に問いかける。
「知らない。寝てたんじゃないかな」
 返ってくるのは、いつも同じ。興味の無さそうな夫の声だ。仕方がない。仕事のことで、きっと頭がいっぱいなのだ。朝早くに出かけて、帰りは夜遅く。だから、仕方がない。自分に言い聞かせる。玄関の扉が、閉まる。ガシャン。夫が外から鍵をかける音が、私にはいつも、やけに大きく聞こえる。

 翔汰には食物アレルギーがある。症状は軽いほうで、くしゃみや鼻づまり、たまに咳が出る。原因となる食物を最小限に除去するようにと医者からは言われている。
 栄養指導を受けながら、鶏卵と乳製品を使わないメニューを毎日考える。栄養が偏らないように、美味しく食べられるように。症状は軽いといっても、油断はできない。毎日の食事作りには、細心の注意を払う。
 翔汰の食事の様子は、事細かにノートに書いている。専門書を読んだり、自分で気づいたりしたことも記している。とても大切なノートだ。息子と私の成長の記録でもある。だけど、時々、ふいにそのノートを破りたくなることがある。どうしてだかわからないけれど、そういう瞬間がある。

「なんだか、疲れてるみたい」
 友人たちが、心配そうな顔で私に言った。駅前にできた真新しいカフェ。彼女たちと会うのは随分と久しぶりだった。「やつれたね」「目の下のクマがひどいよ」「別人みたい」。皆の言葉に、平気だよ、と言いながら私は笑う。ちゃんと笑えていると、自分では思う。でも、最近、笑った記憶がないから本当に笑えているのかはわからない。
 皆は、きらきらしている。なんだか眩しい。視線を落とすと、目の前には苺のケーキがある。友人たちは美味しそうに食べている。私も口に入れた。翔汰が食べられないケーキを食べることに抵抗があった。でも、私は食べた。小さな罪悪感。苦しい。

 カェから出て、友人たちと別れた。駅近くにある百貨店に寄って帰ろうと、家を出るときには思っていた。だけど、足が向かない。気づいたら丘の上に続く道路に立っていた。その脇に小さな公園がある。ベンチには、翔汰と同じくらいの子供と母親がいる。私はブランコに腰かけた。少しだけ前後に揺らす。キイ、キイ、と嫌な音がする。頭の奥が痛む。
 今日は実家の母親が、翔汰を見てくれている。早く家に帰って、一生懸命メニューを考えて、翔汰に夕食を作ってあげよう。私は手を抜くことができない性分だから、いつも長時間、献立について考える。
 子供の頃から、真面目な性格だねと言われ続けてきた。小学校のときの通知表に、『責任感のある頑張り屋さんです』と書かれていた。真面目なのは、良いことだ。責任感があることも、頑張ることも。誇れることだと、ずっとそう思って生きてきた。
 翔汰の笑った顔を思い出す。まん丸の瞳、えくぼ。まだ生えそろっていない歯。かわいい。かわいい。かわいい。でも、もう、駄目かもしれない。もう、頑張れないかもしれない。

 どれくらいの時間、そうしていたのかはわからない。気がついたら、ベンチにいたはずの親子の姿がなかった。陽が傾いているから、もう家に帰ったのだろう。
 視線を少し上げると、公園からは、丘の上の新興住宅地がよく見えた。同じような顔をした家々が立ち並んでいる。あの中に、私の家もある。赤い瓦屋根。白くておしゃれな外壁。
 あの家は、私にとっての檻なのだと、ふと、そんな風に思った。私は毎日、朝早くに起きて、自分の檻をきれいに磨いているのだ。
 その、きれいな檻の家に、私は帰らなければいけない。あの子には私が必要だ。私がいないと駄目だ。そう思うのに、体が言うことを聞かない。鉛のように重くて、だるい。
 陽が完全に落ちた。公園の小さな外灯に明かりが点く。私は、まだ、ブランコに座ったまま、そこから一歩も動けずにいる。



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このストーリーに関するコメント

17/09/30 光石七

拝読しました。
真面目で頑張りすぎる主人公。毎日家事に子育てに頑張って頑張って頑張って…… もう心と体が悲鳴を上げているじゃないですか。状況は違いますが、私が鬱になった時の精神状態と似ているので、主人公のことが心配になりました。
もっと肩の力を抜いて、周りに頼って、ほどほどを覚えて……と傍から見れば言ってあげたくなりますが、本人はそれができれば苦労しないわけで。特に子育ては母親として気を抜くわけにはいかないでしょうね。
主人公が一人で抱え込みませんように、主人公の心身が軽くなる道がみつかりますように。
考えさせられるお話でした。

17/10/03 野々小花

光石七さま

読んでいただきありがとうございます。
一見、恵まれて幸せに見える人間でも、本当のところは誰にもわからない。そう思いながらこの話を書きました。
主人公の母親が近くにいるので、今後も娘のことを気にかけてくれ、それとなく助けになってくれるはずです。
なので、最悪の事態にはならないと思っています。
コメント、とても嬉しかったです。励みになりました。ありがとうございました!

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