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t-99さん

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ほのか

17/08/01 コンテスト(テーマ):第140回 時空モノガタリ文学賞 【 育児 】 コメント:0件 t-99 閲覧数:520

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 ガラス窓に激しく打ちつける雨が泣き声をかき消していた。締め切ったカーテンの隙間越しに見える電線が波を打っている。子ども部屋の壁一面に描かれたうさぎやぞうの漫画チックなイラストたちが、明かりの消えたこの部屋ではミスマッチにさえ思えてしまう。由紀子はベビーベッドで泣き続けている我が子を直視できずにいた。
 夫は出て行ってしまった。今は近くに住む母親が心配なのかときどき顔をだす。持ち運びがいいようにとバスケットを買ってきてくれた。おむつ、おしりふき、ベビーパウダー、除菌ティシュ、必需品がきちんと並べられている。くすぶり続ける思い。由紀子はどうしても娘を愛せずにいた。
 定期検診時、医者に告げられた言葉が耳にこびりついて離れない。『前回の検診では、先天的な病気や異常はみつかりませんでした。しかし、いくつか気になる数値がありますね。再検査してみましょうか』数値が何を示しているのか、いったい何に問題があるのか、医者は詳しく説明してくれた。だが頭に入ってこない。『……半々です。覚悟はしておいて下さい』強調された語句だけが響いていた。
 思い当たる節は確かにあった。10ヶ月を過ぎても“はいはいやつかまり立ち”ができずにいた。「個人差があるから大丈夫よ。あなたのときだって……」母親はしきりに言い聞かせていた。娘はこちらの声に反応することがあっても、「ぺちゃぺちゃ」音をたてすぐに指を吸い始める。そのくせ自己主張は強く、何度も何度も夜泣きに悩まされた。肉体的、精神的、経済的にも追い詰められていった。
 なぜ私だけがこんな目にあわなければならないのか。天井を見上げるも返事はない。バスケットを握り締めていた両手に血管が浮かび上がっていく。ゆっくりと持ち上げた瞬間、高々と鼻を突きあげるぞうめがけてぶちまけていた。娘は声をさらに荒らげ、ひっくり返り散らばった破片に興味はないのか、ぞうが笑っている。肩が震え鼓動が早くなるのがわかった。込み上げるものをただ必死で押さえつけていた。泣きたいのはこっちのほうだ。「疲れた」自然と漏れていた。
 暗闇が果てしなく広がっている。鼻腔の奥をつくにおいに由紀子は重く塞がれていた瞼を開けた。視界の先にベビーベットがぼんやり浮かびあがっていた。おもむろにカーテンを引く。雨はいつの間にか止んでいた。由紀子はカーペットに散らばった物を拾い集めていた。
 真っ赤な顔をした娘がはち切れんばかりに手足を動かしている。おむつからぐにゃっとした感触が伝わってきた。まんまるなお尻を持ちあげ拭いてやると元気よく身を捩じらせてきた。肌に触るたび窓から差し込む暖かな陽光を感じる。おむつを取り替え終えると静寂に包まれていた。
 貝殻のような小さな手を撫でる。人差し指を捕まえいま出すことのできる、あらん限りの力で握り返してきた。娘が手を放すことはおそらくないだろう。由紀子は娘を抱き抱えていた。伝えたいことがいっぱいあるはずなのに言葉にできない。徐々に身体を揺らす。つられて「きゃっきゃっ」と娘が笑い出した。たまらず由紀子は娘の名を呼んでいた。


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