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日向夏のまちさん

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ご婦人とやさしさのたび

17/07/28 コンテスト(テーマ):第139回 時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:0件 日向夏のまち 閲覧数:740

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 和室の隅に黒々の仏壇がひとつ。
「……。」
 手を合わせる白い和服のご婦人がひとり。
 ため息をひとつ。初夏の陽気に溢れかえる縁側を見やります。光と影、モノクロのコントラストに、目を細めました。
 そうして、四分と二十六秒ののち。
 ずばっと音を立て豪快に立ち上がったご婦人は、半世紀も前に新婚旅行で使って以来の旅行かばんを引っ張り出しました。

 翌日の朝。
 ご婦人は、旅行かばんひとつを手にデンマークのコペンハーゲンにいました。ポニーテールの白髪と黒く大きいサングラスが、よく似合っています。
 ハードボイルドに視線を上げると、レンガ造りの鉄道駅が堂々と構えています。
 ご婦人は黒い口を開ける駅に吸い込まれ、列車に乗り込みました。
 列車の外を、澄んだ空を背景に豊かな植物達が通り過ぎていきます。日本では見慣れない植物も多く、時折は、テレビで見る北欧のアパートが彩りを添えていました。
 細い腕と足を組み、車窓の向こうを眺めるご婦人は、
「列車なんて、何年ぶりかしらね……。」
濃いサングラスの奥で、子供ばりに目を輝かせていました。
 何本か列車を乗り継ぎました。
 そうして、お昼頃。ご婦人が降り立ったのは、スウェーデンのストックホルムです。水も木も豊富な町並み。モザイク画のような風景。昔みた映画に憧れて、やってきました。
 ご婦人は長旅で固まった体をうんと伸ばします。ぱきぽきと鳴る関節はやや歳を感じさせましたが、今にも走り出しそうな足取りは、少女のそれでした。
 旅はのんびりとしたものでした。
 ご婦人はそびえるレンガの間を気まぐれに歩きます。黒い鉄板の看板を下げた北欧雑貨の店や、古びた本屋の紙の匂い。おもちゃ屋のショーウィンドウは心躍るレトロ調で、文具店のブラウンは、書斎のように重厚な雰囲気がひんやりと頬をなでました。いつしか広い通りにでます。水彩絵の具が弾けたように、赤、緑、黄色の、みずみずしい野菜や果物の並ぶ八百屋。妖艶に香りを撒き街を華やかにする花屋は、その一角だけで目が眩むほどの色彩。芳ばしいパンの匂いは、夕焼けの色。気取ったマネキンは、パステルポップ。
 踊るように町中を歩いたご婦人は、迷い込むようにカフェをたずねました。通りに面した壁は一面ガラス張り。ご婦人は、窓ぎわの奥の席につきました。コラージュのように写真の載ったメニュー表を指さし、アイスティーとサンドを頼みます。
 ご婦人は頬杖をつき、そっとため息をつきました。向かいの花屋さんが水をまいていて、太陽を反射しきらきらしていました。
「失礼ですが、日本の。」
 話しかける声がありました。耳慣れた言葉にご婦人がふり向くと、すっと背筋の伸びた老人が立っています。
「まぁ、本場のジェントルマンね。」
 老人は穏やかに笑い飛ばしました。
 ひとつ断り、老人はご婦人の向かいに着きました。彼は日本人だけれど、妻を亡くした今はこの町に住んでいるそうで。
「母国語を忘れたくないのです。」
 そうして、お茶会が始まりました。とても他愛のない会話たちでした。
「観光ですか?」
 ええ、まぁ。問いの一つにそういいかけたご婦人は、不意に目を伏せました。
「傷心旅行みたいなものですのよ。」
 口から出たのは、そんな言葉でした。
 あぁ、と気の抜けた声が、ご老人の整えた髭の下から漏れ出ます。優しくシワの刻まれた目もとが、僅かに緩みました。
 ご老人は流暢な現地語で店員になにかを伝えると、ご婦人に言います。
「私はここの常連ですが、特にシナモンロールが最高なのです。」
 傷にしみるかわかりませんが、ひとつご馳走させて下さい。ほどなくして店内にシナモンの香りが漂うと、ほかほかと温かいシナモンロールが二皿運ばれてきました。

 ご老人が言うには、ぴりりと舌を焼いたその風味は、カルダモンというスパイスとの事です。
 ご婦人は日記をつけていました。小さなホテルの一室。文具店で買った日記帳と万年筆が、ランプの灯に舐められきらきらしていました。
 ペンのすべりは滑らかでした。弾む文章は軽快でした。その表情は若々しく、無邪気でした。
 町並みについて。出会いと、シナモンロールの驚きについて。他愛のない優しさについて。穏やかさについて。
 紺のインクで綴られたそれらを、ご婦人は、夜空のように尊い思い出として胸にしまいました。

「おかぁさーん。」
「あら、」
 いらっしゃい。愛娘と孫たちが、玄関から顔を覗かせました。
 盆の時期。
 思ったより元気そうだと愛娘は笑います。
「温泉にでも連れて行こうかと。」
「そうねぇ、硫黄よりシナモンがいいわ。」
 娘は首をかしげました。キッチンにはカルダモンの小瓶があります。
 黒々の仏壇には、シナモンロールがお供えしてありました。
 遺影は、イェイと笑っていました。


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