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秋 ひのこさん

歯について考える時、右と左がよくわからなくなります。右奥だっけ、左奥だっけ。虫歯が絶対にあると思われるあの場所を伝えるべく「ええと、右です。そして上な気がします」と言ったら先生が「うん、上は上でも左ですよね」とか言う瞬間が恥ずかしいので、虫歯は放置しているような人間です。こんにちは。 

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悔しいけど愛、ということ 

17/07/19 コンテスト(テーマ):第139回 時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:0件 秋 ひのこ 閲覧数:542

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 東名高速を東京から西に下ると、新幹線と違い富士山がほぼ正面に見える。大井松田ICの手前にきたところで、すっきりと晴れ渡る空に悠然と現れた名峰に並子はわざと「わあ、富士山」と声をあげ、ちらりと隣を見やる。
 中二の娘、彩は脇目もふらず、スマホに夢中だ。
 東京から京都に行くにあたり、何を思ったのか車で旅することにした。1泊2日、母娘のドライブ旅行である。
 富士川の河口に開ける富士川SAで遅い昼食をとる。ここは富士まで距離がある分、裾野まで一望できる。
「写真、撮ってあげようか?」
 富士山と、と手で示すと、彩はスマホから顔を上げて少し困ったように笑った。
「今日はいいよ。この前来た時パパと撮ったし」
 パパ――夫の陽平は2ヶ月前に他界した。家族の潤滑油だった人が、いなくなってしまった。
 並子は彩が苦手だ。
 悪い子ではない。だが極端に「お父さん子」で、その態度は一緒に住んでいれば呆れるほど容赦なかった。最愛の父が亡くなった今、彩は本当に必要最低限しか並子に接してこない。
 やっぱり新幹線で日帰りすれば良かった、と並子は砂利のような後悔を噛みしめる。今さら何を期待していたのだろう。女同士でロードトリップなんて。

 浜松で一泊する。新鮮な魚介をふんだんに使った食事を前に、会話は料理の感想に終始し、それが楽でもあった。
 ひとりで入った風呂から上がると、狭い六畳間に2人分の布団が敷かれている。真ん中は人が立てるほど間が空いていた。並子は黙って入口側の布団にもぐりこむ。彩は消灯しても尚、布団の上でスマホをいじっていた。
 旅、という非日常なら伝えられると思っていた様々な言葉は、結局腹に溜めたままだ。どんなに環境が違っても、彩との距離は所詮家と変わらない。目を閉じ、この上さらに現実逃避を求めるように波の音に集中した。

 翌日は、浜松から愛知に移動し、伊勢湾岸道を下り三重に抜け、北上して滋賀経由で京都へ。順調に行けば昼過ぎには着く算段だ。
「なんならお伊勢参りをして、琵琶湖にも寄ってみても良かったかな」
 言ってみたが、外をぼんやり眺める彩の反応は、薄い。
 普段はここまで愛想の悪い子ではない。やはり、この先待ち受けているものがそうさせるのだろうと思うと、並子は何も言えなくなった。

 京都は盆地のせいか、東京より熱の濃度が高い気がした。
 京都駅中央改札で、相手はすでに待っていた。夫、陽平の両親と、ベビーカーの傍らに立つ陽平の元妻。
 元妻を見て、彩の表情がわずかに固くなった。
「遠いところ大変やったやろ。ご苦労さん」
 義母が並子に言い、元妻が目を奇妙に細めて彩に笑いかけた。
「彩、大きなったなぁ。久しぶりぃ」
 化粧も服も安っぽい垢抜けない女。この女が正真正銘、彩の産みの親。
 彩は陽平の連れ子なのだ。並子と暮らしたのはたった6年。
 3歳の彩を捨てた女が今また、彩の母親に戻ろうとしている。
 ここに至るいきさつは至極複雑で、端的に言うと陽平の遺した金を巡り周囲が吸い付くように動いた形だ。醜い争いから真っ先に身を引いたのは、他でもない本妻の並子だった。そして、彩(と彼女が相続した遺産)を引き渡すため、こうしてはるばる東京からやってきたのだ。
「通帳とかちゃんと持ってきたやんな。判子もいるで」
 11年ぶりに会う娘に元妻がにこにこと確認する。並子は元妻の人間性に愕然としたが、それ以上に彩の返しにぎょっとした。彩は「大丈夫」とアイドルのように能面の笑みを浮かべたのだ。この瞬間、並子はすべての選択を後悔した。
「なっちゃん、今までありがと」
 同じ微笑みを張り付けたまま、彩が並子に言った。
 ありがとって、何。
 並子の心はあわ立った。
 ああもうそんな仮面捨てて東京に戻ろう、今すぐふたりで。ごめんやっぱ無理ですって言って、帰ろうよ。
 大人気ない叫びを腹の底に押さえ込み、並子は他人行儀に「こちらこそ」と返した。
 別れ際、彩が「なっちゃん」と声をかけた。振り返ると、「ブログ更新したから」とだけ告げた。

 おぼつかない足取りで駐車場に戻り、ブログを見るべく運転席でスマホを開く。
 あ、と声がもれた。
 『東京→京都 なっちゃんとドライブ旅行前編・後編』。
 並子がSAでソフトクリームを買う後姿や、助手席から撮った富士山、民宿で食べた夕食、並べた布団などの写真が並ぶ。何よりその間に挟まれた文章に、並子は絶句する。
 それは、「なっちゃん」への手紙だった。
 助手席でもSAでも布団の上でも必死でスマホに打ち込んでいた彩。並子が言葉を言いあぐねている間に、この子は吐き出していたのだ。並子に伝えようと。それに引きかえ、大人の私は。
 迷っている暇はない。
 今ここで手離さなければ一生残る後悔を捨てて帰るべく、並子はドアに手をかけた。


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