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解場繭砥さん

純文書いたりSF書いたりする自称人造人格者。

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タワシくんのこと

17/07/17 コンテスト(テーマ):第138回 時空モノガタリ文学賞 【 猫 】 コメント:0件 解場繭砥 閲覧数:712

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 このたび下僕になることにしました。
 つきましては我が身のすべて、てっぺんからつま先に至るまで肉球のために捧げます。
 誠心誠意、全霊をもって、ご主人様にお仕えします。

  †

 結婚から一ヶ月後、家族が増えました。超促成栽培です。そういうジョークと共に友人にタワシの写真を送る。
 なぜタワシという名前になったかというと、与えたおもちゃで亀の子だわしに一番興奮したからなのだが。
 妻が猫が飼いたいと言った。僕は子供の頃犬を飼ったことはあるけれど、散歩をさぼってばかり居て、道に迷っているような多感な時期には疎ましささえ覚え、愛情を与えることもできずに普通に老いて死に、いつしか僕が自分の歩く道を取り戻した時は、もう思い出の中で後悔するしかなかった。
 犬は僕のことだからまた散歩が嫌になることが見えているが、猫は特に散歩の必要もないという。僕は妻に賛成したが、その実生き物を飼うということは、かつての青い僕の罪滅ぼしだった。

 タワシは可愛かった。猫可愛がりというのが文字通りできることがとても面白かった。そして確かに気ままだった。それはお高くとまっているというのではなく、本当に無邪気なのだ。それでも人は、猫は人間を下僕と思っているのだ、などと言うが。
 呼んだ時に寄ってくるとは限らないが、呼んでもいないのに寄ってきて甘えたりするところは、犬よりもずっと人間くさいかもしれなかった。

  †

 僕たち夫婦には子供ができなかった。友人たちが、家庭ってのは子供中心になるんだよね、と他の子持ちと話しているのを隣で聞きながら、猫はある程度中心になるものの、それでも人間の子供よりはだいぶ手のかからぬものであることはわかっていた。適当に餌をやり、適当に遊んでやり、トイレの始末はしっかりやって、傍らにおいて撫でてやる。人間のように反抗期もなかった。あるいは反抗はしているのかもしれないが、そう見えず可愛らしい悪戯や気まぐれとしか思えない。
 子供を持ち、育て、送り出し、一通りの社会的責務を果たした人から見れば僕たちはきっとアウトローだ。真にアウトローで型破りな人たちとはずいぶんと違って、際立った個性も自信もなくただアウトローな僕たちは、少々劣った存在に見えたに違いない。決して声に出して言うことはできないけれど、存在するだけでなんとなく軽い優越感を持てる相手。そんな感じ。
 その自信のなさ、所在なさと引き換えにして、さしたる反抗もない、かわいさだけを享受できる生活を手に入れた。そう思うことにした。

  †

「タワシが膝の上でおもらしをしました」
 子供が悪い友達を作り、夜間外出するようになった、という同僚の愚痴を聞いたその日、妻はそう言った。
「そうか」僕は目を閉じた。「そろそろ覚悟をしなきゃいかんかな」
「ええ……」
 介護の日々が始まり、それは失禁から始まって、ふらつき、嘔吐、突然暴れだすこと、餌を食べないこと、そんなその場の対処のことから、タンスの上から飛び降りようとして降り方を誤り、怪我をしたといった後を引くような様々なことがついてきた。手がかからない子供のようであったタワシは、それなりに手がかかるようになった。しかしこれまで家族として暮らしてきたことを考えたら、手がかかることを苦痛に思うわけではなく、きちんとそこは愛情を注ぐことができた。
 実のところ、飼い始めてこの方、いつかこのような状態になった時、自分はいい人になれるだろうか、というのがずっと不安だった。もし、僕たちが子供を持っていないことで、まっとうな夫婦と世間に見なされていないなら、少しでもペットの介護が面倒だとか、嫌だとか、終わらせたい、などという感情が忍び込んできた時に、ほんとうにまっとうでないと証明してしまうのではないか? それだけが不安だった。
 そうはならなかったことで、僕は妙に安心していた。

 タワシは落ち着いて寝息を立てている。
「私、猫友達に言われたんです。私は猫の言っていることが大体わかるのよ、あなたもじきにそうなるわ、って」妻は目を伏せた。「でも、私にはわからなかった。嬉しいか、苦しいか、甘えたいか、それぐらい。私は今のタワシが辛いことはわかっても、どう辛いのかは結局わからない」
「そんなものだよ」僕は言った。「そんなものだよ――その友達が本当にわかっているかも、僕たちにはわからない」

  †

 ある日のこと、タワシは楽になった。妻は涙をひとすじ落とした。ペットの火葬サービスを使い、骨を拾った。骨壷を庭に埋めた。
「あの子、幸せだった?」
「もちろんだ」

 子持ちの家庭とひとつだけ違うとすれば、僕たちにもこれからの人生を何度も幸せになるための時間が残っているということだ。
 誠心誠意、全霊をもって、僕たちのために僕は、仕えます。肉球はないけど。


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