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W・アーム・スープレックスさん

性別 男性
将来の夢
座右の銘 作者はつねにぶっきらぼう

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日記の中の旅と女

17/07/07 コンテスト(テーマ):第139回 時空モノガタリ文学賞 【 旅 】 コメント:4件 W・アーム・スープレックス 閲覧数:713

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 夫に日記をつけろといったのはたしかに私だけど、あんなにこまめに毎日記すとは、さすがに思ってもいなかった。
 IT関係の会社を定年退職した後、家でなにもすることなくぶらぶらしている彼にみかねて、なにか夢中になれるものをといろいろすすめたなかで残ったのが日記だった。   
 とにかくこれだけは二度とみたくないと、長年IT企業でいやというほどパソコンとにらめっこしてきた彼がいうので、それならと、万年筆片手にノートに向うのはどうかと助言したところ、最初はいやいや書いていたのが、そのうちこつこつとつけるようになった。ものを書くという作業なら、頭も使うし、加齢からくる認知症予防にはもってこいだと私は自分のことのようによろこんだ。
 最初のころは、こんなことを書いてるよと、気軽にみせてくれたものだが、ここ数か月はとんとそんなこともなくなった。
 ある日のことだった、彼がいつも日記をつけている部屋に、掃除のためにはいっていくと、机にむかっていた彼がおどろいたように日記帳を肘で覆うのがみえた。
 そのあわてぶりが度を越していた。私はそのときは笑って、床に掃除機をあてたきり、さっさと廊下にでたのだが、あとになるにつれてだんだん気になりはじめた。妻がみてはまずいことでも書いているのだろうか………。
 それからも似たような場面が、なんどかくりかえされた。日記をつけている彼は、妙にこそこそしているようにみえた。
 夫は日記を書き終えると、ぼうっとなって、そのまま横になって眠ってしまうことが最近目につきだした。肉筆になれない彼にとって、書くという行為はやはり骨が折れるものとおもわれる。
 その日も彼は、ソファに後頭部をおしあてて、寝息をあげていた。私はそっとはいっていって、閉じるのを忘れた日記のページに、ちらと目を走らせた。そこには女性のことが描写されていて、きみのことがいまも忘れられないという言葉で文章はしめくくられていた。
 翌日夫がかかりつけの町医者にでかけるのをまって私は、ふたたび彼の部屋で日記帳を手にした。そして、ひもとくページのあちこちに、昨日の女性が登場しているのを知って愕然となった。
 夫は女性への思慕を懐古的に描いていた。色白で、肩までのばした髪は対照的に黒々として、ほっそりとした身に浴衣姿がよくにあう女性のようだ。前後の脈絡からみて、その浴衣とは夫が宿泊した旅館のものにちがいなく、そこに彼女が泊まっていたのだろうか………。私ははやくも嫉妬の念に胸をかきむしられた。蛍をいっしょにみにいったともあり、暗がりのなかで二人の体がなんどもふれあったりして………。もうそれ以上、私には読むにたえなかった。夫がいまも、その女性を恋い慕っているのは明白で、万年筆のかすれたインキの跡までが、腹だたしくおもえてならなかった。
 いったい、これは、どこの女なのだろう。こうなったら私は、相手の素性を徹底的に洗い出してやろうと思った。退職してからの彼は、私といっしょにいても、どこかぼんやりとして、なにをするにも気持がのらない様子をみせていた。ところがどっこい、その内面では、この女のことを考えていたとは。長年信じて連れ添ってきた主人に、裏切られたという思いは私をうちのめし、恨みはこの女の正体をあかすことに強く私をかりたてた。
 信州、上高地。甲府、昇仙峡。仙台、松本城―――この女と夫の接点ともいうべき地域を、何ページにもわたってピックアップしてゆくうちに私は、ふと奇妙なことに気がついた。
 それは、これまで私が独身時代に彼と二人で行き、そして夫と結婚後にいっしょにたどった旅先ばかりだった。そういえば清流の土手で蛍とあそんだことや――そうそう、あのときは浴衣だった―――また昇仙峡を彼の運転でドライブしたり、松本城の下で、ひとり草笛を奏でる老人にでくわし、彼も私もその素朴な響きにききほれたことなどが、私の記憶のかたすみから、萎れた花が水をえてみるまに開花するように、それらの旅の光景がつぎつぎとうかびあがってきた。
 それにしてもどうして彼は、妻の私を書くのに、まるで他人の女のようにあらわすのだろう。しかも私の目をぬすむかのようにしながら。
 もしかして認知症がいつのまにか進んでいるのかもしれない。目の前にいる妻の、若き日の姿を、まるで別人であるかのように思い込んでしまい、そのことを私には知られてはまずい存在として夫は本気で意識するようになったのだろうか。
 夫の心の異常に私は、いいしれない不安をおぼえた。
 悄然として私は、壁につるされた鏡に目をやった。日記に登場する過去の私よりも、50キロ体重がふえ、髪はショートに金髪、眉には墨をいれ、目も鼻も整形した私がそこにいた。
 あなた、私はここにいるのよ。どうしてわかってくれないの。悲痛なおもいで、私はつぶやいていた。


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このストーリーに関するコメント

17/08/13 木野 道々草

夫婦が、日記を書く・読むを通して過去をたどる内容に興味をひかれました。夫は、書くことで今を離れて過去を一人旅し、妻は、読むことで夫の後を追いかけているように感じました。そのように読んだので、一緒に旅した当時の記憶を、今度は別々にたどる二人の姿が少し寂しく思いました。

また、妻が日記に登場する女性を探るという展開は、ミステリの謎解きのようで楽しかったです。中盤、この女性は妻のことだろうか?と予想し、後半でやっぱり!と思ったのですが、もう一つ「まるで他人の女のようにあらわす」の謎が残っていて、最後まで惹きつけられました。

17/08/13 W・アーム・スープレックス

木野道々草さん、はじめまして。
謎解きのように読んでいただいて、ラストの鏡の中の顔にたどりつき、どんな感想を抱かれたのか、興味のあるところです。
夫の認知症を案じる妻と、過去の妻の姿におもいをはせる夫との、いささかシニカルな関係を描いてみました。旅の楽しい記憶では一致している二人のその後に、幸せがくることを祈りたいものです。
丁寧に読んでいただき、ありがとうございました。

17/08/14 木野 道々草

遅ればせながら、はじめまして。よろしくお願いします。

>ラストの鏡の中の顔にたどりつき、どんな感想を抱かれたのか
「ああ...また予想が外れた!」と、正直、作者の方にやられたあと感じました。加齢による容姿の変化が、話の落ちだと思いました。また、「あなた、私はここにいるのよ」のつぶやきと、鏡の中の妻の姿のイメージが交差して切なくなりました。私も、二人のその後に幸せがくることを祈りたいです。

17/08/15 W・アーム・スープレックス

「………また予想が外れた!」これこそ、いちばん聞きたかったコメントといえます。読み手の期待をある意味裏切ることが、書き手にとっての喜びだと、ある童話作家が言っていましたが、本当にそうだと思います。
問いかけに答えて下さり、ありがとうございました。

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