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雪見文鳥さん

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タウゼンハントのロザリンド

17/05/20 コンテスト(テーマ):第134回 時空モノガタリ文学賞 【 正義 】 コメント:0件 雪見文鳥 閲覧数:750

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 老女の寝室のチェストの奥から、とても懐かしいものが出てきた。
 純銀で作られた天使の羽。30年近く放置しておいたせいか、表面は黒ずんでいるけれど、きめ細やかに施されたこの模様をみれば、この純銀の品がいかに高価で手の込んだものであったか用意に想像できる。
 羽の側面には、こう掘られてあった。
 “1564年 クリストハルトの記憶に”


 その天使の羽を模した純銀の物体は『ロザリンド』と呼ばれていた。
 コンラート教を信じる人は、一人ひとつロザリンドを持つよう経典に書かれてあった。食事の前と寝る前に、ロザリンドを握りしめ祈りをささげるのが、コンラート教におけるしきたりだった。
 けれども当時、タウゼンハント地区において、コンラート教の信仰は禁止されていた。ロザリントの所持は違法。ロザリンドを作った職人は、拷問にて殺されていた。
 過酷な時代だった。けれどもこの状況下で、僅かではあったもののロザリンドを作る職人が密かに存在していた。


 ベルノルトもその一人だった。
 本業はアクセサリー職人だった。けれど、仕事が終わると、彼はいつも睡眠時間を削ってロザリンド作りに取り掛かっていた。
 銀の塊に、一本一本、模様を入れていく。
 工具の擦れる音が、小さな部屋中に響き渡る。
 気の遠くなるような時間を経て、まるで本物の天使の羽のように緻密なロザリンドが出来上っていた。


 彼が9歳の時、父の仕事の関係で当時村一番の職人のロザリンドを一目見て以来、ベルノルトがロザリンド作りを休む日は1日たりとも無かった。
 あの日の感動は今でも忘れられない。まるで絵画のように美しい模様、まるで彫刻のように滑らかな曲線。目の前のロザリンドの持つ全てが、彼を惹きつけた。本物の天使の羽が、今まさに目の前で羽を休めているような気持ちがした。
 恋人もいない、友達もいない、ただロザリンドを作るだけの日々。でも、ベルノルトはそれでよかった。少しでもより美しいロザリンドを作るためなら、彼はいかなる犠牲も厭わなかった。


 ある日の朝、ベルノルトが自宅から職場に向かう途中、トンボが地面に横たわっているのを見つけた。可哀そうに、羽を痛めていた。ベルノルトはトンボを道路の端っこの、誰も踏まなそうな場所に避けて、トンボの目の前でロザリンドを握りしめて祈りをささげた。
 その朝の職場の雰囲気は明らかに普段と違っていた。同僚が皆泣いている。理由が分からず呆然としているところで弟子のテオが、青ざめた表情でこう言った。
「クリストハルトが捕まった。1週間後の正午に鼠の拷問で処刑されると」
 聞いた瞬間、ベルノルトの顔から血の気がすっと引いていった。
 鼠の拷問は、当時最も残酷と言われていた拷問だった。罪人の腹の上に鼠の入った鍋を逆さに置き、鍋を加熱することによって、鼠に罪人の腹を食い破らせるというものだった。
 周囲が嘆き悲しむ中、ベルノルトを襲ったのは、悲しみではなく怒りだった。どうしてあんな腕の良い職人が死なねばならぬのか。
 家路につく途中、朝方のトンボを見つけた。トンボは既に死んでいた。そこに無数の蟻がたかって、トンボの死体を食い荒らしていた。トンボの腹は抉られて、手足はあらぬ方へ捻じ曲がっていた。
「次は私だ」トンボの死体を見つめながら、ベルノルトは呟いた。


 それでも彼がロザリンド作りを放棄することは無かった。
 その1ヶ月後、クリストハルトの奥さんから、新しいロザリンドを作ってほしいという依頼があった。ベルノルトは、依頼を2つ返事で引き受けた。
 誰も居ない深夜の仕事場に、銀を削る音だけが響き渡った。へらが一定のリズムを刻み、銀色の塊に柔らかな天使の羽が刻まれていく。気高く、力強く、かつ繊細な天使の羽が。
 だが、まだだ。もっと美しいロザリンドが作れる。自らの限界も、数多の職人の想像も超越した、神の域に達したロザリンドが。
 気の遠くなる時間を経て、遂にロザリンドが完成した。目の前のロザリンドは、どこからどう見ても完璧としか言いようがなく、本物の天使の羽よりも美しいと錯覚する程だった。


 翌日、ベルノルトはロザリンドを届けるため、馬に乗って隣国まで向かった。
 蹄の音を響かせながら、前へ前へ進んでいく。道中、大広間の中央にあるギロチンが視界の隅っこに映った。この時代の、正義の象徴。ベルノルトは、それを睨みつけながら去った。


 時代も政治もどうでもいい。おれはただ、美しいロザリンドを作りたいだけだ。おれが心底信じられるのは、銀によって爛れ、糸鋸による無数の切り傷がある、この両手だけなのだ。
 心の中で、そう呟いた。


 この地区で信仰の自由が認められたのは、その20年後のことだった。
 ロザリンド作りの技術は、今でも時代から時代へと受け継がれている。


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