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モジャさん

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世界の放課後

17/05/13 コンテスト(テーマ):第105回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 モジャ 閲覧数:494

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わたしはゆっくりと目を開けた。台の上に寝ていた。上体を起こしてあたりを見回すと工具やら資料が散らかっていて広い部屋を埋め尽くしていた。少し離れたところにある椅子に座った男はピクリとも動かず眠っているようにも見えたが、わたしを見ると笑みを浮かべた。
「おはよう。よく眠れたかな」
彼は椅子に座ったままいった。上下ともに白色の服を着ていた。
「あなたは誰ですか?」
彼は立ち上がり一度部屋を出ると服と靴を持って戻ってきた。わたしの質問に笑って答えた。
「きみを造った科学者だよ」
彼はそう言いながら近づいてきた。天井の照明に照らされて彼の顔を間近に見ることができた。肌の色は白く、髪は黒色だった。わたしに服を渡して着るように言った。彼と同じ白の上下だった。わたしはなにもまとっていなかった。
「誕生を祝ってきみにプレゼントを贈ろう」
渡された服を着て彼について歩いた。彼は分厚い本を抱えていた。わたしはその本を設計図だと悟った。
長い廊下を進むと階段がありそこを上りきると扉があった。彼が扉を開けると強い光がわたしの視界をさえぎった。太陽の光だ。自分は地下にいたのだとわかった。はじめての太陽光は身体の表面を焦がし体温を上昇させた。
扉の向こうには山が見えた。とても大きな山々がまわりを囲んでいるかのようにそびえ立っていた。彼と共になだらかな斜面を下るとさっきのところは丘だったとわかる地下へ下りる扉はちょうど丘の頂上にありコンクリートの直方体に扉が付いているだけだった。
「僕の家はあそこの森の中にあるんだ」
彼が指差した方角を見ると唐突に生い茂る木々の間から杏子色の屋根の先端が見えた。
「きみは今日からあそこで僕と暮らすんだ」
わたしたちは家に向かった。
十字に組まれた木の柱が何本もありそこだけ土が盛り上がっていた。十字架と呼ばれるものだと理解した。
「あれは墓だ」
彼は立ち止まり十字架をじっと見つめていた。
家には一階と二階があった。彼はわたしを二階に案内してひとつ部屋を与えた。その部屋はベッドと机のわきに置いてある本棚しかない狭い部屋だったがわたしには充分すぎた。
彼は疲れたように椅子に座り目を閉じた。わたしは洗い物を片付けるために台所に立った。窓から長さの違う金属の棒が垂れ下がっていて風が吹くたびに揺れてぶつかり高い音を鳴らした。その音は不規則であったが彼がその音を気に入っていることを知った。
壁に小さな鏡がかけられていたのでわたしは正面に立ち自分の顔を見た。わたしは人間がどんな姿をしているか知っていた。わたしは人間の女性の形を忠実に再現した人形だと認識している。白い肌も全身に流れる血管も髪も装飾品に過ぎずに体温も空腹感も何もかも人間に似せてあるだけだった。
洗い物を戻そうと食器棚に手を伸ばすと一枚の写真を見つけた。手にとってみると彼とわたしにそっくりな女性が写っていた。
「洗い終わったかい?」
わたしは写真を彼に見つからないよう食器棚に戻した。
「あなた以外の人間はどこにいますか」
「残念ながらどこにもいない」
「どこにもいない?.」
科学や医療が進化して人間に不可能がなくなった。どんな願いも現実になり叶わない願いを探すのが難しくなった。
「はじめのうちは世界中の人が喜んだはじめのうちはだ」
彼は言った。願いが叶うとは願いがなくなるといことでもあるのだ。進んだ科学は人間の可能性と希望を奪った。生きる意味さえも。
やがて人間は身体を捨て人間だった頃の記憶だけを残して地上から消えた。
彼はそんな世界に嫌気がさし人里離れたこの地を訪れたという。
「あなたも消えてしまうのですか」
「さぁどうかな」
年をたずねると彼はもう百年以上生きているという
「とてもそうには見えません。外見はわたしのほうがいくつか年上のようですしあなたは二十歳前後の青年に見えます」
「科学の進歩さ。ほとんどの人間は体を捨てて電脳世界で暮らしているけどね」
台所にある備品を一通り確認した。冷蔵庫の中には野菜が多くあり肉は少なかった。いろいろな種類の調味料と解凍すれば食べられる加工食品などがはいっていた。
「あなたの名前を教えてくれませんかわたしはあなたのことを知りたい」
彼に提案した。テーブルに肘をのせ頬杖をついて彼は窓の外の十字架を眺めていた。ときおり吹く風が庭の芝をなびかせた。
「きみが僕のことを知る必要はないだろう」
彼の首の角度がさがったわたしは彼がいまどんな顔をしているのかわからなかった。
「僕が死んだらあの墓のとなりに埋葬してほしい。それが目的できみを造った」
彼は振り返りわたしを見た
「理解しました。わたしはあなたのお世話とあなたが死んだとき埋葬するために存在しているのですね」
彼は微笑む。
「そうだよ。だから好きなように僕のことを呼べばいい」
わたしは頷く。
「はい。マスター」
これ以降彼のことをマスターと呼ぶことにした。
わたしは家の掃除にとりかかったマスターはリビングからなにか特別な用事がなければ出てこないので他の部屋は煤だらけでクモの巣も張っていた。
箒で床を掃き窓ガラスを拭いた。マスターは先ほどから動く気配すらなく椅子に座って外を眺めていた。わたしがほこりを払うために外に出たそのとき庭に一羽の小鳥が横たわっていた。
近づいてみると小鳥はすでに息絶えていた。わたしは小鳥の亡骸を手の中に収めた。手のひらに伝わる冷たさが小鳥の死を裏付けた。
いつの間にかマスターは窓辺に立っていて家の中からわたしの手にある小鳥の死骸を見つめていた。
「この子もう治りませんか」
マスターに小鳥を差し出して質問した。マスターは首を振り死んだものは治せないと言った。
「その小鳥をきみはどう処理するんだい」
わたしはその問いかけに答え、小鳥を森の中に投げた。
「きみの意図を教えてくれないか?」
「小鳥はやがてバクテリアによって分解され木や花や虫たちの肥料になるからです」
マスターは首を傾げた。
「死について詳しく学ぶ必要があるな」
わたしは死を理解できてないらしい。

マスターとの生活がはじまった。
庭の畑にあるいろんな野菜は私が作られるずっと前からあった。マスターが栽培していたのだろうか。その管理を今は私が引き継いでいる。最近森からイタズラ狸や兎が畑に現れては庭の野菜を狙って食い荒らしていた。
今日こそはと私は草むらに潜めて見張った。茶色の毛玉がすぐ目の前を通ったので私は勢いよく飛び出した。捕まえようと腕を伸ばしたがその身軽さで私の腕をするりとかわし尻尾を振りながら一目散に駆け出した。追いかけようとしたが成人女性の身体能力しかプログラムされてない私にはとうてい捕まえることができず、途中で足がもつれて転んでしまった。いつものように窓から外を眺めていたマスターは泥だらけになった私を見るとクスクスと笑った。
「きみもようやく人間らしくなってきたな」
白衣についた泥を手で落として私はカゴいっぱいに野菜を入れると小走りで台所へ向かった。家に入ってマスターと目があった、マスターはまだ笑っていた。私は自分の体温が無意識に上がっていることに気がついた。むずむずとした気持ちは私の頬を真っ赤に染めた。これが恥じらいという感情なのだろう。心など持ち合わせていないはずなのに胸の奥がくすぐったい。
二人で昼食をとっているとマスターはテーブルの表面を二回ほどたたいて私の注意を引いた。スープを口に運んでいた私が視線を上げるとマスターがフォークでサラダの野菜を突き刺して見せた。狸の引っ掻きあとや兎の歯型がいたるところにある葉だった。
「僕のサラダやスープに入っている野菜は歯型ばかりなのにどうしてきみのは綺麗な野菜だけなんだい」
「偶然です」
私は歯型がない綺麗な野菜を口に運んだ。
自分の部屋に戻ると私は今日の出来事を日記に書き込んだ。マスターからプレゼントされたのはのなにも書かれていない一冊の厚い本とペンだった。文字すら読み書きできない私にマスターは丁寧に教えてくれた。今ではある程度の言語を理解できるようになった。本半分が埋まり文章も簡潔になってきた。
それぞれが就寝するまでの時間、家のリビングにあるレコードで静かな音楽を聴いた。お互いに眠るのは夜遅くなってからだ。静かに時間が流れる中で私達はオセロを楽しんだ。勝敗は五分と五分で、圧勝もしなければ惨敗もしなかった。私は特別賢くもなく通常の人間と同じだけの機能しかプログラムされてないのだ。
夜の風が家に入ると台所の窓に下がっている金属製の飾りが揺れて音を鳴らす。澄んだ綺麗な音だ
「あの音は、風が作り出した音楽なのですね。好きです。私はあの音」
マスターが白のコマを黒で挟んで裏返しにしている時私はそう言った。マスターは私の言葉を聞いてふふっと笑い頷いた。
私はハッとした。最初にこの家に来たときには私はあの音を聞いて不規則な高い音としか感じなかった。それがいつのまにそれだけでないことに気づいたのだ。マスターと暮らし始めてもうひと月以上になる。その間私の心は私の知らないうちに変化していた。
その夜マスターが眠りについた後私は一人外に出た。白い照明が夜の暗闇を照らす。白い光が私の前に降り注いで私は自分の変化について考えていた。
地下からはじめて外に出たとき太陽は体温をあげ視界を明るくするためだけのものとしか理解できなかった。しかしいまの太陽は私にとって音楽や詩の世界でしか表現することができない深い意味を持っていた。
この世界が愛おしい。
壁の隙間から覗く植物の生えた家や丘に広がる草原、そこにある地下への入り口、どこまでも続くあの空、そこに浮かぶ雲、食事を作り、掃除をする。洗濯をして干して風が運ぶ爽やかな香りを肌に感じて目を閉じる。
私は夜空に手を伸ばした。月に手が届きそうな気がしたからだ。私はこの世界が好きだ。そのことを教えてくれたマスターが大好きだった。

その日をさかいにマスターの身体は日を増すごとに衰退していった。一日のほとんど椅子に座り窓の外をみていたのは最小限のエネルギーで生活するためであった。
ベットから立ち上がって窓辺にある椅子まで歩行を試みるマスターを手助けしようと思ったが心配ないと断られてしまった。私は看病らしいことは何もできなかった。マスターは熱を出すわけでもなく痛みを訴えるわけでもなかった。
「進化した科学に縋った罰だな」
マスターの身体はたび重なる無理な手術で細胞組織が破壊されてしまったというそのために痛みを伴わず静かに死を迎えるのだと言った。マスターが動かなくていいようにマスターのそばで食事をした。マスターがリビングの長椅子に座っていればその隣で食事の盆を持ち腰掛ける。マスターが窓辺の一人用の椅子に座っていれば床に座りパンをかじった
「君は人間になりたいかい」
食事の途中でマスターが不意に質問した。
「風の音、太陽の匂いを感じると人間だったらいいのにと思います」
私は何も生み出すことはできない。会話の中で詩のような表現や嘘はつけても人間のようになにかを創造することはできない。
「そうか」
マスターは立ち上がりゆっくりと台所まで歩くと食器棚から一枚の写真を取り出した。
「この写真を見たことがあるね」
私は、はいと頷いた。
「その写真に写る女性は誰ですか」
「私に生きる意味を教えてくれた人だよ」
マスターは彼女の話をした。彼女と一緒に車で廃墟の中を走り回ったこと、廃墟の町から使えそうなものを探し歩いたこと、乗り回した車は燃料がなくなり庭に放置したままになっていること。
マスターが写真の彼女を深く愛していることがわかった。だから彼女が眠る墓の隣に埋葬されることを望んだ。そのために私を作った。マスターが愛した彼女の複製を、人間の死を看取るために。
床に座って食事をしていた私のそばにかじりかけのパンが落ちてきた。マスターが落としたものだった。パンを持っていた右手は小刻みに震えて左手で抑えようとしたが止まらなかった。
「死について理解できたかい」
「わかりません。死とはどんなものですか」
「怖いものだよ。そして悲しいものだ」
私は落ちたパンを盆に載せた。衛生的に良くないので食べることを拒んだ。私もいずれ死ぬことを知っていた。しかし死ぬことを恐怖と感じなかった。私は死について何か大切なことが抜け落ちていた。それを学ばなければならない。
マスターの体は痙攣を起こしてものをよく落とすようになった。今朝も手に持ったコーヒーカップを落として割ってしまった。私は少しでも体にいいものを食べさせてあげたいと思い山菜を採りに外に出た。食料庫にある加工食品より自然の食材のほうが良いはずだ。
森の中をしばらく歩くと崖があった。危険なので近寄らないようにとマスターには言われていたが崖のそばには山菜が多く生えていた。
私は首の上だけを突き出して崖下を覗いた。崖下には川があり、そのずっと手前の崖の上から三メートルほど下に岩壁の出っ張った箇所があった。テーブルひとつほどのスペースがあり草や小さな松もはいていた。そこに茶色の毛玉を見つけた。足場が崩れて崖から落ちたが途中で引っかかり助かったようだ。どうやら足を怪我したらしく自力では登れそうにない。山菜の入った籠を地面においた。遠くで雷の音がした。雲はより一層暗くなり小雨を降らせた。僅かな窪みに足をかけ崖を降りた。足が岩棚の上に着くとタヌキはぶるぶると震え私の腕に潜り込んだ。これまでタヌキには散々困らされてきたが怪我をした好敵手を見過ごせなかった。手の中に僅かな温かみを感じた。どくどくと鼓動が聞こえて私は優しく大丈夫とつぶやいた。頭上で雷の重い音が聞こえて本格的に雨が降り出した。雨が地面を叩いてまるで壊れたピアノような音を鳴らした。その時だった。地面が音を立てて滑り出した。足場が崩れ私は必死に岩棚に生えた松の木に掴まるも堪えきれず真っ逆さまに落下した。先ほどまで私のいた山菜入りの籠をおいた崖の上が一瞬で小さくなり、私はとっさにタヌキを強く抱きしめた。地面に叩きつけられた私は致命傷は負わなかったものの体のいたるところにヒビが入り体内のものが溢れでていた。どうやら崖下に流れる川のそばに落下したらしい。右腕は完全に動かなくなっていたがなんとか家まで戻れそうだった。腕の中に抱いたタヌキはぐったりとして冷たくなっていった。赤い液体がぽたぽたと流れ落ち雨がすぐに中和した。私はできる限り急いで家を目指した。体内のものが飛び出して点々と地面に転がっても構わなかった。腕の中でどんどん冷たくなる。私は無我夢中で動かない足を動かした。雨はさらに強く私たちを打ちつけた。
家に入りマスターを探した。私にまとわりついた水滴が床に広がる。マスターはいつもの窓辺にある椅子に腰掛けていた。私の姿を見ると驚いた様子で立ち上がった。
「この子を早く治してください」
私はこの事態を冷静に説明した。
「早く地下室へ行こう」
私は首を振った。
「この子は治せますか」
腕の中のタヌキを差し出すとマスターは無理だと言った。もう息をしていなかった。
私は元気に畑を走り回って憎たらしく尻尾をふっていたタヌキの姿を思い出した。そして今目の前に茶色の毛皮を赤く染めて糸のように目を閉じて動かなくなったタヌキを見た。マスターが慌ただしく地下室へ行く準備している
「マスター私は」
言葉が途切れてしまうほど胸の奥にある動力炉が痛かった。私は人間ではないから痛みを感じないはずだ。力が抜けて膝をついた。これが痛みというものだと私は思った。
「私は……」
私の頬を涙がながれた。そんな機能が付いていることを知らなかった。
「もうしゃべらなくていい」
マスターは私を抱きしめて言った。
悲しそうに私の目から溢れ出す涙をふいた。
「それが死というものだよ」
私は学んだ。死とは強い喪失感そして張り裂けそうな不安感だった。

マスターは私を抱えて地下室まで歩いた。
地下室についたあとも私はタヌキを離さなかった。マスターは家においていけといったが私は拒んだ。作業台の上に横たわった私の隣にはタヌキが寝ていた。マスターは体内からなくなった部品をかき集め私の修理を始めた。かすかに意識があった私ははじめてマスターと出会った時のことを思い出していた。私が目を開けるとマスターが笑っておはようと声をかけてくれた。大切な記憶だ。
私の体内をくまなく検査していたマスターは時折手を休ませては椅子に座った。息づかいが荒くなりマスターは苦しそうだった。
マスターも近いうちにあのタヌキのように動かなくなってしまうのだ。
マスターだけでなく、他の動物も、私もいずれ死んでしまう。怖い。悲しい。苦しい。
自分が死ぬ時のことを考えた。それはただ動かなくなるだけではなく、世界や自分との永遠のさよならだった。私がどんなに愛おしく思い、縋っても必ずその時が訪れる。
世界を知って、学んで、愛して、でも知れば知るほど、学べば学ぶほど、愛すれば愛するほど死の意味は深く重くなる。愛することは死を見つめること愛と死は別のものでなく表裏一体だった。
マスターが私を修理をしている間、私は音もなく泣いた。修理を終えマスターは椅子に座って動かなくなった。そしてそのまま寝てしまった。
私は泣いた。泣いて泣いて涙が枯れても私は泣いた。
「いつまで泣いてるんだい」
あれからどのくらい時間が経ったのか私は分からなかった。マスターは目をこすりながら笑って言った。
「私はマスターが憎い」
なぜ私を作ったのですか。誕生していなければ世界の素晴らしさを知ることも、死による 別れに苦しむこともなかった。
呼吸は乱れ私は作業台に寝たまま口を開いた
「私はマスターのことが好きです。それなのにあなたとお別れしなければいけない。埋葬なんてしたくないのに、こんなに胸の奥が苦しくなるのなら、心なんていらなかったのに、感情なんて必要なかったのに、私にそうプログラムしたマスターを恨みます。」

体じゅうに包帯を巻いて私は地下室をでた。腕には冷たく固まったタヌキを抱いていた。雨はやんでいて湿った空気が薄い霧をつくった。時期に朝が訪れる時間だ。私の後からマスターが地下室から出てきた。私たちは肩を寄せ合いながら家まで歩いた。森を抜けると十字架が目に入った。
「あと十日だな」
マスターは十字架をじって見つめていった。
朝のうちに私はタヌキを埋葬した。この子が寂しくないように庭の畑のそばに穴を掘った。タヌキに土をかぶせながら私は複雑な気持ちになった。あと数日したらマスターにも同じことをしなければならない。果たして私に耐えられるのか自信がなかった。
「あまり激しく動いてはダメだよ」
マスターは杖をつきながら庭に出てきた。足取りは重く今にも倒れてしまいそうだった。
私の体は完全に直ったわけではなくあくまで応急処置だった。
マスターは一階の自分の部屋に戻り数日間の眠りについた。そしてついにベットから起き上がれなくなってしまった。私は食事を作って運んだ。マスターは無理に笑顔つくり私を気遣ったが私はそれが苦しくて切なくてやるせなかった。
マスターがいつも窓辺の椅子に座り外を見ていたのはマスターも私と同じ世界を愛していたのだと思う。きっと死ぬ寸前まで世界を目に焼き付けたかったのだ。私は時間を見つけては地下室を訪れた。万全な体でマスターを看取りたかったのだ。私はマスターが好きだった。その一方で身勝手に私を創造したことへの恨みもあった。感謝と恨みを抱いたままマスターのお世話をしていた。しかしマスターの笑顔を見るとそんなことを考えている自分に嫌悪感を覚えそのような素振りは見せることができなかった。私がそんなわだかまりを持っていることなどマスターは知らない。だからせめて感謝の気持ちだけを伝えよう。それがマスターにとってのもっとも心残りのない死に違いない。作業台の上に座り辺りを見回すと机の引き出しが開いていた近寄るとそこには分厚い本があった。マスターが私を作る際に使用した設計図だ。私は本を手に取り開いた。その本は設計図にしてはあまりに簡単すぎた。これは日記だ私はすぐにわかった筆跡が私とそっくりだったからだ。その内容に私は驚いた。ページをめくるたびに涙を拭った。この日記が本当ならもしかしたら、もしかしたら。心の中で幾度も繰り返した。

次の日、天気は回復して朝から雲ひとつない青空が広がっていた。曇りの日が続いたため洗濯物がたまっていた。二人分の服を洗い干した。
ちょうど作業を終えるとマスターがカップにコーヒーを淹れ窓辺から外の景色を眺めていることに気づいた。
私は急いで駆け寄った。
「お体は大丈夫なんですか」
「最後はこの椅子の上で死のうと思うんだ」
どうやらありったけの力を振り絞って歩いたらしい。
私は家に入りマスターの隣に座った。窓の外から見える干したばかりの洗濯物が太陽の日差しを浴びて白く輝いていた。死とは縁もゆかりもない気持ちのいい朝だった。私はマスターの横顔を覗いた。
「残り何時間くらいですか」
しばらく黙りこんだあとマスターは手を使って答えた。
「人間は死をそんなに正確に把握しているのですか」
「どうやら」
そう言うとマスターはまた外を見た。私は緊張しながら、質問した。
「マスターがご自分のことを教えてくれなかったのは私からの追及を恐れたからですよね」
マスターは私の顔を見つめて次の言葉を待っていた。
「私は自分の死を正確に把握しています。私はあらかじめ生きられる時間がプログラムされているんです。そしてマスターも」
人間が一人もいなくなった世界を、マスターだけ生きることができたのはマスターは私と同じ……。
「なぜわかった」
「地下室の日記を見ました」
「そうか」
あの写真の女性は製作者でマスターのマスターだった。私が人間に憧れをいだいた時マスターもまた同じ思いだったのだ。
「なぜ人間のふりを」
「君が失望するんじゃないかといろいろ考えたんだ」
自分と同じ存在に作られたと知っては私が傷ついてしまうと考えたそうだ。「マスターは大バカです」
「すまなかったな」
私はマスターを抱きしめた。そしてそっとキスをした。私にとってマスターがなんであろうと関係なかった。
「僕は彼女を憎んだ。そして忘れようとしたんだ。でもできなかった。彼女にもう一度会いたくて、彼女の隣に埋葬されたくて、だから君を作ってしまったんだ」
「ずっと一人だったんですね」
マスターが私をつくった気持ちはわかった。死を迎える瞬間誰かに手を握ってもらったらどれだけ幸せなんだろう。私も自分が死を迎える時マスターと同じことをするかもしれない。だからこそ私はマスターを許すことができたのだ。
私はマスターの隣に寄り添い手をつないだ。マスターは私の首の包帯がずれているのを直した。マスターの優しさが暖かい。太陽のやわらかい日差しに包まれて胸にあったわだかまりが解放されていく。
「笑顔を見せてくれないか」
かすれた声が私の心を震わせた。
「私はマスターを恨んでいました」
マスターは頷いた。
「マスターが私を作らなければ、死を意識することも、誰かの死に苦しむこともなかったでしょう」
私はマスターの手を強く握った。マスターも私の手を最後の力を込めて握り返した。
「好きになればなるほど、失われたとき私の心はばらばらになる。終わることのない苦しみに耐えて生きていかなければならないならいっそ心のない人形になりたかった」
涙が私の頬を染める。マスターの弱々しい指が私の頬に触れた。
「でも私は感謝しています。たとえ誰かの複製でもマスターと出会えたことこの世界の輝きに触れられたことはどれほどの価値があるのでしょう。死を恐れ悲しみに支配されても、それが生きている証だと思えるのです」
はるか昔に生きていた人間も生まれてきたことに感謝と恨みを抱き世界の矛盾に苛まれ愛と死を経験して生きていたことでしょう。
幸せなんて言葉じゃ足りないなんて言葉を使ったらいいのか……ああそうだ。日記に書いてあったあの言葉
「愛してますマスター」
満面の笑みをマスターは浮かべた。きっと私はうまく笑えたのだ。
息が少しずつ弱くなりやがて聞こえなくなった。
「おやすみなさい」
私はそのまま目を閉じて静かに寝息を立てた。


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