1. トップページ
  2. スイーツを楽しむ腹

木野 道々草さん

2017年1月から参加しています。よろしくお願いします。(木野太景から道々草に変更しました)

性別
将来の夢
座右の銘

投稿済みの作品

3

スイーツを楽しむ腹

17/05/08 コンテスト(テーマ):第133回 時空モノガタリ文学賞 【 スイーツ 】 コメント:1件 木野 道々草 閲覧数:890

時空モノガタリからの選評

「スイーツ」というお題に直球で実際的なアプローチの内容で、地に足のついた実直な文体も読みやすく、お題のイメージ的なところに持って行かなかった点が良かったと思います。甘いもの好きの正直な気持ちが素直に書かれ親しみやすく共感できました。スイーツはといえば当然生命維持に不必要な嗜好品であり、摂り過ぎれば病気になってしまうことは常識ですが、主人公は落ち着いた印象の大人の男性で、その事実は頭ではよく理解しているのに、人格を持つかのような「腹」が体の主の意のままにならないのが、子供のようで妙におかしかったです。それにしても健康にいいことは運動であれ食事制限であれ、いずれも普通はやりたくないことばかりですね。快を求めるのは生物としての本能なのにそれに従いっぱなしだと生命の維持さえ危うくなってしまう。なんと人間は矛盾だらけの厄介な生き物なのでしょう。夫婦の日常や医者とのやり取りもリアリティがあり、身近にいそうなキャラクターが伝わってきてよかったです。

時空モノガタリK

この作品を評価する

 午後、彼は散歩から帰ると、妻に分かるよう食卓テーブルの上に袋を置いた。定年退職後、散歩が日課になっている。
「ま、かわいい。三色うさぎ饅頭ですって」
 袋の中身を見た妻は、表情を明るくした。
「着替えてくる」
「でも二パックも」
 妻は、三つ入りのパックを両手に持って少し考えていたが、一パックだけ開けて皿を二つ出した。
 戻ってきた彼は、テーブルの上を見た。
「半分に切ったのか」
 半身になったうさぎ饅頭が、皿に並んでいる。よく見ると、妻の皿の饅頭の方が若干大きい。
「ね、この白うさぎがバニラで、ピンクが苺、緑の子は」
「ピスタチオだ」
 洋風な饅頭の皮の中には、餡子とクリームが二層になって詰まっている。二人は熱い紅茶をいれて食べ始めた。
「美味しいわね」
 妻は相手の表情を確かめながら言った。彼は黙って饅頭を食べている。妻は口には出さないが「いまだに表情が読み取れないわ、この人」と思う。
 彼は、感情を隠しているわけではない。ただ、感情が顔ではなく「腹」に出てしまう。彼の腹は今、甘い饅頭の味に胃を踊らせ喜んでいた。この表情を、たとえ彼が妻に見せたいと思っても無理だった。腹の内は他人には見えない。
 彼は新聞を広げて読み始めたが、すぐに顔を上げた。
「何か面白い記事でも」
「今晩は主食を抜く」 
 決心したように言って、二つ目の饅頭に手を伸ばした。妻は「本当に甘い物が好きなんだから」と思ったが言わず、カップで口元を隠し小さく笑った。
 この時、彼は医者に言われたことを思い出していた。

   ――半年前――

 彼は健康診断を受けた。血液検査である数値が少し高いと指摘され、内科のかかりつけ医に相談することにした。その医者は彼と同年代の男性医師で、彼は夫婦ともに長く診てもらっていた。
「甘い物を食べますか」と問診が始まった。
「はい、たまに」
「餡子とかクリームとか入ったものを食べますか」
「近所で売っている饅頭や、駅前の店のケーキが好きなので食べます」
「それはダメだ」
 医者は、血液検査の結果を見て渋い顔をした。  
「このままいったら糖尿病ですよ」
 この警告に、彼の胃は縮み上がった。
 診察に移った。医者は胸部の音を聞いた後、聴診器を下にずらして置いて聞き、うんうんと頷いた。
 彼は医者に言われた内容を反芻していた。「糖尿病……」と思うと腹が重く沈んだ。
 聴診器を離した医者は、来た時と変わらない表情の彼に言った。
「予備軍と安心されては困るけれど、落ち込まずに」

 彼が正常範囲まで下げるべき数値は、ヘモグロビンA1cというもので、過去の血糖値を反映する。一日や二日糖質を控えたからといって下がる値ではなく、生活そのものを改善しなければならない。
 彼はまず間食を止めた。炭水化物を含む糖質を減らした食事を妻に頼み、野菜から箸をつけるなど食べ方にも気をつけた。運動として散歩をすることにした。
 それから日記をつけ始めた。一ページ目にはこう書かれてある。
  「世の中ではいつからか甘い物はスイーツと呼ばれ、
   人は甘い物との関係を変えたようだ。
   わたし個人においてもまた、
   甘い物との関係を変えることになった。」
 彼にとって甘い物は、食べる物から食べない物に変わった。医者に指導された通り、好物の甘い物を一切口にしなかった。
 以前とは違う食事を作る妻は、「急に色々変えて、あの人大丈夫かしら」と思う。妻の勘は当たっていた。彼は難なく過ごしているに見えるが、腹の方は以前よりも感情的になっていた。
 ある時、こっそり甘い物を食べる妻を彼が見てしまって、腹は底の辺りがムカムカした。またある時、彼が「もう甘い物は食べられないのか」と何気なく思うと、腹は胃液の涙を流してシクシクと泣いた。

 彼は腹の調子がおかしいと思い、かかりつけ医に診てもらうことにした。
「甘い物は控えていますか」と問診が始まった。
「全く食べていません」
 一通り尋ねると、医者は腕を組んで唸った。
「今くらい厳しく食べないで欲しいけれど、あんまり控えてストレスになれば、かえって悪いなあ」と、血液検査の結果の表を見た。 
「あなたの場合は、うーん」医者は彼の引っ込んだ腹を見た。「週に一度少量だけ食べるとか、甘い物とは長い付き合いだから、もう少し工夫してもいいかもしれないね」
 この言葉を聞いた彼は「甘い物が食べられる」と思った。すると彼の腹は、張り詰めていた緊張感がなくなり、ゆらゆらと歌うように揺れ出した。
 診察になった。医者は聴診器で音を聞くと、ふっと笑った。
「あのね、だからって調子に乗って食べたらダメだよ」
 それまで弾んでいた彼の胃が、急に大人しくなった。
「やはり聞かれましたか」
 彼はきまり悪そうに、まくっていた服を下げて腹を隠した。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

17/06/05 木野 道々草

時空モノガタリ様

この度は賞をいただき誠にありがとうございます。とても嬉しく感謝の思いでいっぱいです。本コンテストに参加し他の方々の作品を拝読して、自分の書く作品に足りないものをたくさん学びました。いただいた評価とコメントを励みにより一層精進し、人間という厄介な生き物を2000字小説で書く挑戦に、これからも苦しみ楽しみ取り組んで参ります。

ログイン