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yuriさん

なぜか三連投稿されている作品の消去方法が分からないので、すいませんそのままです

性別 女性
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けしごむ

17/05/06 コンテスト(テーマ):第104回 【 自由投稿スペース 】 コメント:0件 yuri 閲覧数:727

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私は頭の中に、消しゴムを持っている。
 あの時だって、私はすべての思いを綺麗に記憶から消し去った。
「でさ、その教授の授業がヘンテコでーー」
 目の前に座る裕太は楽しそうに身振り手振りを交えて話す。店内には心地の良いクラッシックジャズが流れていた。
「楽しそうだね」
 気のない返事をして、私はすっかり冷めてしまったコーヒーを口に運んだ。
 裕太とは付き合ってもう二年が経とうとしていた。私たちは大学生だった。暇を持て余し、毎晩のように開かれる飲み会という名の合コンで当然のように知り合い、付き合った。
 いつでも大きな口を開いて笑う彼は鈍感そうに見えたし、何より私のことを好きだと言ってくれた。休日、一人部屋で過ごす寂しさを埋めるには、正直丁度良い相手だった。
「ねえ、話があるの」
 小さく息を吸って、私は切り出した。つい一秒前まで嬉々としていた彼の表情が静かに温度を下げる。
 今日、私は彼に別れを切り出す。別に彼に不満があるわけではない。こんな風に私を楽しませようとしてくれるし、少しの鈍感さは私の演技を疑うこともせず、そっとしておいてくれる。
 けれど、私はもうこれ以上この関係を続けられない。私の恋愛はいつだって一年から二年できっちりリセットされる。その繰り返し。
 私の感情の介在しない希薄な関係を結婚まで視野に入れたような、真剣交際に発展させるのは、どうしても嫌なのだ。
「あのねーー」
 私の消しゴムはまだ、残っているだろうか。

 私が十二の時、父が家を出た。馬鹿みたいだけど本当の話で、母に隠れて通い詰めたキャバクラの女に惚れて、とうとう駆け落ちした。
 「彼女には俺しかいないんだ」とそれなりにすまなそうな顔をして、専業主婦の母とまだ小学生だった私と弟を置いて、どこかに消えた。
 それまでの私たちは絵に描いたような中流家庭の家族で、贅沢な幸せはない分、大きな不幸にも見舞われなかった。
 母から離婚の説明を受けたとき、それはまるでテレビの向こう側のお話のように現実感がなく、私はただ頷くことしか出来なかった。
 しかし、父の残していった悪い噂は日に日に肥大し、私たちの生活を静かに、けれど着実に殺していった。露骨に後ろ指を指されるようなことこそなかったが、近所でも学校でも、父の家出がおもしろ可笑しく脚色されて、噂になっていることくらいは私たちも知っていた。
 そんな中でも、私たちは生きていかなくてはいけなかった。母は保険会社の営業を始めた。弟は学校でいじめられないように剣道を始めた。その後、今まで一切の仕事を経験したことのなかった母は、自分でお金を得る喜びを見つけ、弟は剣道で県優勝するまでに逞しくなった。
 みんなが光の方へと向かっているはずだった。
 そんな中、私だけがどこかで道を間違えた。
 心で生きない、こんなことをモットーとしたのはいつだっただろうか。何を言われても、何があっても、適当に流しておけば、何事にも相手にしなければ心は穏やかでいられる。これを実行してしまうと驚く程に日々が楽になり、私はやめられなくなった。私は魔法の消しゴムに夢中だった。
「私たち、もう別れようか」
 嫌になるほどすんなりと口から出た言葉は、思いの外軽く空間を飛んだ。
 裕太はしばらく私を無表情に見つめた後、フッと笑いながら俯いた。そして、顔を上げると、いつものように穏やかに笑った。
「わかった。君のことだから、もう意思は堅いんでしょう? 諦めるよ。完全に僕の片思いだった。やっぱり僕じゃ駄目だったのかな」
 彼は困ったように頭を掻きながら笑った後、「ごめん、俺すげー落ち込みそうだから行くわ」と行ってすぐに上着を手に取り、店を出て行ってしまった。
 残された私はフーと大きく息を吐いて、椅子に深く座り直した。
 その時、机の上に置いた携帯がヴヴと震えた。通知は化粧品か何かの宣伝だった。私はもう一度、机に伏せようとしたけれどこの際、フォルダに溜まった裕太との写真もすべて消してしまおうと思った。面倒くさいことを後回しにするのは嫌いだ。
 開いたフォルダには私たちのツーショット写真が数え切れないほど保存されていて、私はその一つ一つを見ていった。
 彼とは色んな所に行ったし、色んなものを見て、食べて、感想を言い合った。もう、あまり覚えていないけれど。
 そして、私はあることに気づいた。その写真のすべて、隠し撮りのようにふとした瞬間を切り取った写真でさえ、私は笑っていた。私はこんな顔をして笑っていたのか。愛想笑いはするものの、本当に笑うことなんてないと思っていた。けれど、写真の中の私は幸せそうに微笑んでいた。
 気がつくと、頬を水滴が伝っていた。私は慌ててそれを拭いながら、思い知る。
 私は、彼のことが好きだった。丁度良い関係、なんて格好をつけていたけれど、本当はどうしようもなく好きだったんじゃないのか。
 彼との思い出で思い返せることは、どれも楽しいことばかりで、彼の笑った顔ばかりが脳裏に浮かんだ。
私の心は消しきれなかった想いと、その想いをたっぷり吸い込んだ消しかすで一杯だった。
私はかばんをひっつかんで、会計を急いで済ませ、店を出た。まだ、間に合うだろうか。
 当てもなく、走り出た私が見つけたのは、ベンチにうつむき加減で座る彼の姿だった。
 震える足を踏み出しながら、私は思った。
 私は、大切な消しゴムを、今から放り投げようとしている。それでいいのか。
一瞬気持ちが揺れた。けれど、すぐに思い直す。
 いい、これでいい。
 大丈夫、私はもう消しゴムなしでも生きていける。
 私は、小さく息を吸い込んで、彼の名を呼んだ。


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