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本宮晃樹さん

ふつうにサラリーマンをしております。 春夏秋冬、いつでも登山のナイスガイ。 よろしくお願いします。

性別 男性
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メトセラ人、脱ゾンビ生活宣言

17/04/28 コンテスト(テーマ):第103回 【 自由投稿スペース 】 コメント:2件 本宮晃樹 閲覧数:649

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 友人連中の誰もが反対した。「そんなことしてなんになる?」
 ごもっとも。だがわたしに言わせれば、飼い慣らされた羊みたいな生活にこそなんの意味があるのか教えてほしい。あらゆるリスク――なんという呪わしい言葉だろう――から逃げ隠れする臆病な隠遁者ども。地獄へ失せろ。
 いまでは狂人の聖地として悪名を馳せる上高地に着いたのは、夏真っ盛りの八月下旬。大むかしはあふれかえるほどの登山者でにぎわった一大登山基地も、水を打ったように静まり返っている。今日はもう時間も遅いので、予約しておいた宿へ投宿するだけにしよう。穂高岳への登攀は明日早朝からだ。
「よくきたね兄さん。あんたみたいに若いのはめずらしい」宿の主人は目じりにしわを寄せた。「好奇心から聞くんだが、いまいくつなんだい」
「四十五歳です」
 主人はたいそう驚いているようすだ。「生まれたてみたいなもんじゃないか。悪いことは言わん。登山なんて気ちがい沙汰はやめることだ。潜在余命の二百年以上をみすみす捨てるつもりかい」
「まだ死ぬと決まったわけじゃないでしょう」
「そりゃそうだが」主人は諦めたように肩をすくめた。「今年は妙な若者が多い。実はもう一人うちに泊まっててね。明日出発するそうだ。顔合わせしとくといい」
 宿泊手続きをすませ、荷物を個室に投げ込み、ラウンジへ顔を出す。若い女性が湯気の立つコーヒーをすすっている。といっても〈人類総メトセラ時代〉になって久しい昨今、老いも若いも区別をつけるのは難しいのだが。
「明日穂高へ登ろうとしてる変態ってのはあなたですか」思い切って聞いてみた。
 彼女は小悪魔的な笑みを浮かべてくれた。「そういうあなたもそうなんでしょ」
 掴みはそれで十分だった。天寿がおよそ三世紀近くあるこのご時世(抗酸化作用、執拗にくり返されるがん検診、ベータアミロイドのナノマシン除去、その他いろいろ)、進んでリスクを冒したがる変人に巡り合えることはまずない。自然、話も弾む。
 就寝前には一緒に登ることを約束していた。

     *     *     *

 重太郎新道は想像を絶した壁だったので紀美子平へ辿りつくのは当初、不可能のように思われた。ところがわたしたちはそれをやってのけ、優雅に昼食を摂ったあと、なんとまあ驚くべきことに難所とされる吊尾根をさえ、四苦八苦しながらもクリアしてしまった。
 そしていま、日本の屋根、北アルプス最高峰、穂高の重鎮、なんでもよろしいが、とにかく奥穂高岳(三、一八〇メートル)に到達したのである。
 わたしたちは猫の額ほどの山頂に二人並んで腰掛け、途方もない景色に圧倒されてしばし、言葉を失っていた。
「きれい」ついに彼女が吐息交じりに口を開いた。「VRで見たのとぜんぜんちがう」
 時刻は午後六時を回り、いよいよ日没が間近い(そうとも、恥ずかしながらここまで十時間以上かかってしまったのだ)。盛夏の強烈な陽射しも和らぎ、微風がそよぐ三千メートル級の展望台はまさに別天地である。眼下に広がった雲海に夕焼けが反射し、橙色に輝く絢爛豪華なショーが現出していた。
「ねえお兄さん。この雲の下に産児制限されて窒息しかかった世界があるなんて嘘みたいですよね」
 彼女は正面に鎮座するジャンダルムから目を離せないようだ。奥穂高を守る前衛峰。恐るべき岩塊。
「その誰もがリスクを冒したがらないまま、変化のない長寿を後生ありがたがってる。なんであれ危険なことはみんな悪徳にされちゃった」
「たとえば登山とかね」
「そう、たとえば登山とか」
 わたしたちは顔を見合わせて、いたずらが見つかった子どもみたいに忍び笑いをした。
「あたしのお父さんが〈反安定派〉だったのは話しましたっけ」
「初耳ですよ」アーベントロートに染まった雲海は、まるで燃え盛る火炎にあぶられているようだ。
「危ないことばっかりやる気ちがいだって周りから白い目で見られてたのに、妙に活き活きしてました。俺はああいうつまらんやつらとはちがうぞって、それが口ぐせで」
「いまもご健在で?」
「亡くなりました」彼女はひたと正面を見据えている。「ジャンダルムに登攀する途中に滑落で」
 なにか言う代わりに、わたしも彼女と一緒にジャンダルムを眺めてみた。それは逆光のせいで、天を衝く影となっていた。
「お父さんを殺した岩を間近で見てやろうって、ずっとそう考えてました。三世紀ぶんもの余命を賭けてまで登りたいと思わせるものなのかなって」
「で、ついにそいつを実行したと」空は橙色からすみれ色に移り変わっている。もうすぐ日没だ。「どうです、感想は」
「わかりません。でも」彼女は立ち上がって大きく伸びをした。「下で安穏と暮らすだけのゾンビ生活にはもう、戻れそうにないかな」まぶしいほどの笑顔だ。
 わたしはだしぬけに立ち上がった。「やっほー!」
 気恥ずかしさが勝ってしまい、蚊の鳴くような声になった。ちらりと横目で彼女を見やる。にやにや笑っている。ええいくそ。今度は腹から声を絞った。「やっほー!」
 彼女も両手を口に添えて即席メガホンを作った。「やっほー!」
 わたしたちの雄叫びは、ジャンダルムに反射してこだました。
 こだまはいつまでもいつまでも、雄大な北アルプスに響き渡っていた。


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このストーリーに関するコメント

17/04/28 まー

山登りに興味ない人はなんできつい思いをしてまでって感じなんでしょうけど、頂上まで登って景色を見下ろしたときのあの感動と達成感は筆舌に尽くしがたいですからね。最後、二人の気持ちがダイレクトに伝わってきて清々しかったです。

17/04/30 本宮晃樹

まーさま
コメントありがとうございます!
ぼくもずいぶんと長いこと登山をしてますが、楽しいと思ったことはないです笑 それでもたぶん、今シーズンも北アルプスなり中央アルプスなりに登ってることでしょう。こういう山ガールみたいなのが本当にいればなあ……。

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