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木野 道々草さん

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浦島太郎の哀しみ

17/04/24 コンテスト(テーマ):第132回 時空モノガタリ文学賞 【 浦島太郎 】 コメント:0件 木野 道々草 閲覧数:847

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 日が昇る頃、浦島太郎はひとり浜に座り、海の波打ち際を見ていた。大きな亀が浜に上がったが、彼が見たのは波だけだった。
 彼には昔、夫婦になろうと誓い合った娘がいた。しかし親たち周囲の者が認めなかった。耐え難い思いが増して溢れると、二人は抱き合う体を紐で結び、一つとなって海に向かった。ともに海に住めると信じたが、彼だけ浜に返された。
 彼は老いることを忘れた。月日が経ち、村に娘を知る者がいなくなっても、彼は若い姿のまま娘を思い続けた。
 今日も昼間に寄せる波に問う。なぜ返すのか、返したのか。浜辺を人が行き交い、海に漁の船が並ぶと、彼には波の返事が聞こえなかった。
 日が傾いて暮れ、眩しい陽光が静かになると夜になった。
 満月が雲間を泳ぐ空の下で、明暗する浜辺に、彼と昼間の亀がまだいた。
「苦しいのでしょう」と亀が言った。
 村には、彼を慰める者はもう誰もいなかった。
「海へ案内しましょうか」
 彼はすがるように頷いた。亀は彼を背に乗せ海に潜った。

 夜の黒い海の中は群青色の水で満ち、魚たちに道を譲られて進んだ先、深い海中は、白みを帯びた水色が広がっている。透明色になった深海を越えると、水は無くなり空中に変わる。どこからか明るい光が差し込み、海底の砂を温める。浦島太郎は海の底に着くと、昼の浜に上がったように感じた。
 彼らは、海を治める乙姫の宮殿に通された。亀は乙姫に丁寧に礼をして、彼を紹介した。
「海に住みたいと申しております」
「彼は人間ですか」
「波を見て、月日を忘れた者です」
 乙姫は従者に人を呼ばせた。従者が若い娘を連れてくると、彼は息を止めた。
「海の地で一番足の速い娘です。この娘をつかまえてここ宮殿に戻れば、好きなだけ海にいてよろしい。ただし――」
 頬の愛らしい娘が微笑んでいる。彼と夫婦を誓ったあの娘だった。

 娘は風に乗った綿毛のように海底を走った。彼は待てと言えず、遠くの背中を追いかけた。「――ただし、連れ戻るまで、一言も口をきいてはなりません」と言いつけられていた。娘の名を呼びたい気持ちを抑えた。
 しばらくすると娘は、たまに立ち止まっては振り向いて待ち、少しずつ二人の間の距離が縮まるように走った。
 そして彼の二歩先を、娘が歩くようになった。彼は花の咲いた珊瑚を見つけ、ひと枝を手折った。
 二人はもう肩を並べて歩いていた。娘は歩くのを止め、彼を見た。彼は花の枝を渡そうとした。が、そのまま娘を抱きしめた。二人は一対の箱のように離れなかった。互いの背に回した腕の紐が、その箱を固く結んだ。
 彼は胸が苦しくなった。しかし金色に光る魚の群れが二人の周りを旋回し、辺りを夕映えのようにきらめかせると、彼は胸に懐かしさを感じた。
 彼は思い出す――秋、日暮れの海を娘とわたしは長いこと眺めた。海風が冷たくなった。藁の腰蓑を外し娘の肩に掛けてやると、娘もわたしの肩にも掛けようとした。蓑の両端を二人で持つ。わたしの肩と寒そうな肩が合った。浅瀬にいた鳥の群れが飛び、寄り添う二羽だけ残った。つがいねと娘が言った。二羽も飛び去った――そして、彼は目の前の娘に言った。
「帰ろうか」
 急に辺りが暗くなった。
  
 黒い海面に晴れた満月の明かりが路をつくり、さざ波が賑やかに響き合っている。浦島太郎は一瞬の闇を感じた後、地上の浜に戻っていた。
 彼は茫然とした。言いつけを破ったと知り、吠える叫びを上げた。伏せて頭を浜に打ち付けた。
 砂まみれになった彼の体を、静かに突く者がいた。亀だった。月明かりで甲羅を光らせ、小さなものを背負っていた。
「海から預かりました」
 彼は亀の背からそれを受け取った。紐で結ばれた玉手箱だった。
「いまだ海に住みたい気持ちがあれば、箱を開けずに」
 彼は海へ行きたかった。しかし紐の結び目を見ると、彼は、胸の底から唸る波音の痛みが湧き出し、飲み込まれ息ができなくなった。苦しみから逃れようと顔を上げた。月があった。彼は思う――あの時もし「帰ろうか」と言えば、ともに月を見ることもあっただろうか――彼は娘と月夜を見たことがなかった。
「いつまでも結んでも」
 そう呟くと、彼は紐を解いた。箱の隙間から白煙が流れ出し、蓋を一気に押し上げた。
 彼の月日は煙となり、箱の中で待っていた。月日は若者の姿を抱いて慰める。彼の深い哀しみを、底に残る一握りまですくって消そうとした。しかしできなかった。そこで彼の哀しみの姿を変えた。煙は彼の頬をひと撫でして去った。浜からは、ひとり波際を見つめる若者の姿が消えた。浦島太郎は老いた。
 彼は、思い出の娘と話し始めた。喜びや幸せを語り合った。そうして再び娘に会うと、彼は胸から込み上げてきた熱いものに押され、首を持ち上げ空を見た。
 きれいねと娘が言った。
「きれいだ」
 彼も言った。


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