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藤光さん

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竜宮異聞

17/04/22 コンテスト(テーマ):第132回 時空モノガタリ文学賞 【 浦島太郎 】 コメント:0件 藤光 閲覧数:685

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 丹後国浦島の浜にその人を見初めたのは、むしろ乙姫の方だったという。「地上に姿を見せてはならぬ」という戒めにもかかわらず、亀に姿を変えて陸の上を窺ったのも、一目その美しい若者を見たいとの思いからだった。
 浜に姿を現した乙姫は、たちまち子供たちに捕えられた。困り果てているところを救ってくれたのが、思い焦がれた若者――太郎であったので、乙姫の想いは一層強くなったのである。
「人の子に想いを寄せるなどあってはならぬことだ」
 父、竜王の諫言も、乙姫の気持ちを押し止めることはできなかった。ついに大亀に命じて太郎を竜宮へ招き入れたのだった。

「いつぞやは助けていただき、ありがとうございました」
 魚や海獣が舞い踊る大広間に現れた乙姫が深々と頭を下げて礼を述べると、太郎はその涼しげな目元を見開いた。
「あのときの亀はあなたでしたか」
 覚えていてくれた。乙姫は胸の高鳴りを抑えられなかった。
「竜宮へお招きすることができて、大変嬉しく思います」
「私こそ、身に余るもてなしをいただき恐縮しています」
 身に纏う衣は貧しいが、折り目正しい言葉と気品のある所作、涼やかな声音に乙姫は心を奪われた。
 ――なんと美しい人なのだろう。
 竜宮の中庭に魚や海獣たちが舞い泳ぐのを、身体を寛げながら眺める太郎の様子は、まるで物語の場面を一幅の絵に切り取ったかのようだった。
「竜宮にいらしてみていかがですか」
「素晴らしくて言葉になりません」
 微笑む太郎の顔は上気して目元にほんのり赤みが差している。またそれも美しい。
「いつまでもいていただいて構わないのですよ」
「ありがとうございます。――ですが家には老いた両親がおりますし、いつまでもというわけには」
 刹那明るくなった太郎の表情は、次の瞬間には憂いを帯びた微笑みに変わった。
「そうですか……」
 太郎を歓待する宴は夜を日に継いで開かれた。ある日は魚たちの群舞、またある日は海獣による芝居、そして、またある日は蓬山への海底散策と、趣向を変えた太郎へのもてなしは尽きることなく催された。
 乙姫は怖かった。
 いつか太郎が竜宮での暮らしに飽き、自分の元を去ってしまうのではないかと。
 ――ずっと私の側にしてほしい。
 夜、臥所で一人になるときなどは、気づけばそのことばかりを念じている乙姫がいた。
 父である竜王は娘の身を案じて「かの者は人の子、想うほどに失望は大きなる」と諭すのだが、一途な乙姫には届かない。却って思いのままにならない我が身を厭わしく、恨めしく思うばかりだった。
 ――あの方を私の、私だけのものにしたい。
 美しい若者と日々過ごすうちに、乙姫は己の心が暗く捻れていくのをどうしようもなかった。
 その憂いを感じ取ったのか、乙姫に忠実な大亀はこう囁くのだった。
「あなたさまは四海を統べる竜王の娘、望んで手に入らぬものはありません。贅を尽くした宴、四海の珍宝珍味を施せば、貧しい人の子を得ることくらい容易いではありませんか」
 乙姫はただ深く頷いた。

 宴は三年ものあいだ続けられた。昼の催しは一度として同じものはなく、驚きと美しさを兼ね備えたものばかり。夜は乙姫自ら薄衣を纏っての酒宴である。
「時が経つのを忘れてしまいそうです」
 しかし日が経つに連れて、太郎の表情には憂いが混じることが多くなってきた。
 ある時、竜宮の中庭からふと日をふり仰いだ太郎が「浜では網を引いている時分だろうか」と呟いた。太郎は地上に思いを馳せていた。
 ――いけない。
 その夜、乙姫が太郎の歓心をひくために案内したのは竜宮の望楼にある四方四季の間――竜王が「何人も立ち入ること罷りならぬ」と厳命する秘所であった。
 東面の戸を開けてみると、海中の竜宮に居ながら、地上に咲く色とりどりの花が咲き乱れる春の庭に出た。
「これは……美しい」
 太郎は今までなく感激した様子で庭の風景に見入り散策した。
 次の日は南面の戸を開けた。緑鮮やかな夏の山、そのまた次の日は、西面、実り豊かな秋の田であった。
「いつまで見ていても、飽きません」
 いままでにない太郎の満ち足りた表情に、乙姫の胸には安堵の思いが広がった。
 また次の日、北面の戸を開けるとそこは北風に大波が押し寄せる冬の海だった。太郎は日の落ちるまでその浜に凝然と立ち尽くした。

「一目、老いた両親に会ってきたい」
 次の日、太郎からの暇乞いに乙姫は心を尽くして引き留めたが、若者の決意を翻すことはできなかった。
 ただ別れ際に大亀の背に跨る若者に乙姫は玉手箱を託し、涙ながらに言い添えた。
「決して開けないで」
 そう言添えれば、必ず太郎は箱を開けるだろうと分かっていたから。愚かな海神の娘がそうだったように。
 ――すべてを失ってほしい。なぜなら、あなたのすべてを私のものにしたいから。


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