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吉岡幸一さん

性別 | 男性 |
---|---|
将来の夢 | |
座右の銘 |
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このストーリーに関するコメント
17/04/09 まー
繰り返されるためか、ゴゴン、ガガン、ゴゴン、ガガンの文字が読んでいて不思議と心地よくなります。ねぼけてるわけじゃないですよ(笑)。
最初のゴゴンの後の“五月蠅いが、その五月蝿さが時々ふたりの距離を縮めてくれる。”というところなどがグッときたせいかもしれません。
17/04/20 吉岡幸一
まー様
コメントをいただきありがとうございます。
心より感謝します。
17/04/30 光石七
拝読しました。
“ゴゴン、ガガン、ゴゴン、ガガン”という電車の音の繰り返しが効果的ですね。
大事件が起こるわけではないけれど、細部まで丁寧に描かれていて、二人の関係が微笑ましくて、印象に残るお話でした。
17/05/02 吉岡幸一
光石七様
コメントをいただきありがとうございます。心より感謝いたします。
「だいぶ熱も下がったみたいね」
冷蔵庫で冷やしておいたタオルを小さく畳んで春男の額に乗せると、礼子は微笑んだ。
「ああ、冷やしすぎ」
不満そうに言ってはいるが、春男の目は笑っている。
風邪をひいて寝込んだとはいっても、二日目には熱も下がり食欲もある。体のだるさは残っているが寝込むほどではない。
なら何故寝ているのかといえば、礼子に看病されるのが嬉しくてわざと春男は起き上がらないだけだ。
付き合って三ヶ月、共に大学二年生、早くも同棲の話も出ている。
「おかゆ作ってあげようか」
「ハンバーグが食べたいんだけど」
「だめ。病気の時は消化にいいものを食べなくっちゃね」
春男は勢いよく布団から飛び出すと「もう治った」と言いながら礼子を抱きしめる。嫌よ嫌よと、はじめは体をよじるが次第に礼子の力は抜けていく。
窓の外からは絶え間なく電車の通る音が聞こえてくる。ゴゴン、ガガン、ゴゴン、ガガン。五月蠅いが、その五月蝿さが時々ふたりの距離を縮めてくれる。
「ねえ、一緒に暮らすんならもっと静かなところがいいな。朝は小鳥のさえずりで目が覚めるようなマンションとか。窓を開けたら公園が見えるようなところ」
「ここで一緒に暮らしたっていいじゃないか。家賃だって安いんだし、電車の音だってすぐに慣れるさ」
「電車の音に慣れるような生活はしたくないんだけど。家賃だって私が半分出すんだから、ここの二倍の家賃のところに住んだっていいじゃないの」
「そうかもしれないけど、引っ越すのって面倒だからな」
春男の腕を押しのけて礼子は立ち上がると、わざとらしくため息をついた。
ゴゴン、ガガン、ゴゴン、ガガン。電車が通っていく音が礼子のため息をかき消す。
窓は一年中閉められたまま、カーテンを開けても磨りガラスで外は見えない。すぐ側を電車が通っているのは赤い車体のシルエットが流れるのをみればわかる。上りの電車の音は大きく、下りの電車の音は小さい。
朝五時の始発から、夜十二時の終電まで休みなく電車は通り過ぎる。古びたアパートの一階は電車が通るたびに揺れている。そのたびに山積みされた本は揺れて畳に落ちそうななっている。
ゴゴン、ガガン、ゴゴン、ガガン。
「あんたは一生ここで熱をだして寝ていればいいのよ」
そう言いながらも服を着た礼子は台所に向かうと料理をはじめる。おかゆなのかハンバーグなのか春男は聞かない。黙って礼子の背中を眺めている。
大学に入学と同時に春男はここに引っ越してきて、後半月もすれば三年生になる。はじめは苦痛だった電車の音にも慣れた。
線路の向こう側は小高い丘になっていて、上には桜並木、そして病院が建っている。四月に窓を開けて外を眺めれば綺麗な桜が眺められる。引っ越してきた最初の年は窓を開けて桜を眺めた。だが桜の向こう側に見える病院が末期癌専門の病棟と知ってからは窓を開けていない。病棟の窓からはときどき顔を出している患者が見えていた。それが自分には関係がないことということくらいわかっていたが、二年前に癌で亡くなった祖母を思い出すのがまだ辛かった。
ゴゴン、ガガン、ゴゴン、ガガン。下りの電車が通っていく。
「はい、これでも食べて。お腹空いたでしょ」
礼子はテーブルに小さな土鍋を置くと、春男の腕をひっぱって起こす。
「なんだ、ハンバーグじゃないのか」
不満そうに言う春男の頬は緩んでいる。
布団から離れてテーブルの前に座ったそのとき、何かが激しく窓に当たり、硝子が飛び散った。布団の上には硝子の破片と三十センチくらいの材木。割れた窓の向こうに赤い車体が通っていく。通り過ぎた後には桜並木、まだ花は咲いていないが薄らと桜色に色づいている。癌病棟の窓から老人が心配そうにこちらを見ている。すぐに次の電車が通って桜並木と病棟の老人を隠す。
ゴゴン、ガガン、ゴゴン、ガガン。
目を見開いたまま見つめ合うふたり。言葉がすぐには出て来ない。
「やっぱり引っ越しましょうよ」
絞り出すように言って、しがみついてきた礼子の肩を抱きしめながら、春男は笑った。とくに可笑しなことはなかった。むしろ笑うような場面ではないこともわかっていた。しかし自然と笑顔になっていた。
「そうだね。引っ越しをしよう。また線路沿いの家がいいな。うるさいくらい電車が走るところが……」
春男の耳元でわざと大きくため息をつくと、礼子は箒を取りにたった。
ゴゴン、ガガン、ゴゴン、ガガン。ゴゴン、ガガン、ゴゴン、ガガン。
割れた窓からはいつにも増して大きな音が響いてくる。