1. トップページ
  2. 空襲の夜に消えた地下鉄

冬垣ひなたさん

時空モノガタリで活動を始め、お陰さまで4年目に入りました。今まで以上に良い作品が書けるよう頑張りたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。エブリスタでも活動中。ツイッター:@fuyugaki_hinata プロフィール画像:糸白澪子さま作

性別 女性
将来の夢 いつまでも小説が書けるように、健康でいたいです。
座右の銘 雄弁は銀、沈黙は金

投稿済みの作品

5

空襲の夜に消えた地下鉄

17/03/13 コンテスト(テーマ):第129回 時空モノガタリ文学賞 【 都市伝説 】 コメント:8件 冬垣ひなた 閲覧数:1247

時空モノガタリからの選評

戦時中「軍が禁じた地下鉄への避難」を助けた人たちが大阪の地下鉄の職員の中にいたこと、そしてそれが戦後五十年もの間公式な史実として認められていなかったこと、知りませんでした。まさに「都市伝説」的な内容でありながら、事実だと後年に証明されたというのは、かなりレアなケースではないでしょうか。他地域への避難の禁止や消化活動の義務などの無謀な方針がとられる中で、そのように‘敵前逃亡’を幇助することは非常に勇気がいることだったと思います。そのことが長らく正式に認められずとも、助けられた人々の心の中に感謝の気持ちはずっと生き続けていたのでしょう。多くの人の人生がこのことによって激変したわけで、その価値は大きいと思います。丁寧に史実がまとめられているだけでなく、戦中と戦後の価値観の変化や一人の人間の人生を、千津子という人間の視点を通して生き生きと描かれていたのと思います。

時空モノガタリK

この作品を評価する

 アツイ、アツイヨゥ。タスケテ。至る所から呻く声が聞こえる。
「千津子……!」
 母の呼ぶ声がする。広い道路一杯に逃げ惑う黒い人波に押され、転んで倒れていた千津子は、ぐっと空を仰いだ。
 焼夷弾の火の滝で、夜空は真っ赤だった。大阪随一といわれる洒落た御堂筋の街並みを焼き尽くしながら、炎の壁が嘲笑うように人々を追い詰める。1945年3月14日未明、華やかだった大阪の中心街は、三〇〇機近くのB29による大空襲で、一転して地獄絵図と化し、火勢は増すばかりだった。


『東京と名古屋が米軍にやられたらしいぞ』
 不穏な噂の中、千津子が疎開先から大阪へ戻ったのは、国民学校の卒業式があったからだ。これからはお国の役に立てる。6年生の千津子は、軍国少女らしく卒業式の今日を指折り数えて待っていた。なのに……何もかもが火の海に消えていく。
「うちは家に戻る。火ぃ消さんと!」
「何を言うんや、千津子!」
「お父ちゃんも戦ってる!うちらが勝手に逃げたら、戦争に負けるやんか!」
「アホが!」、温和な母から頭に拳骨を食らったのは、この時が最初で最後だった。
「家失くしてもまだ足があるんや、走らんかい!」
 黒煙が吹き上がる家屋の傍の防火水槽に、黒焦げの死体が幾つも折り重なっている現実を見て、千津子は我に返る。
 ふらふらしながらも立ち上がる娘の腕を、すぐさま母の手が掴んで駆け出した。熱風に煽られて息ができない。
「こっちだ!こっちに逃げろ!」
 誰かの声を頼りに近づいてみると、燃える百貨店のそばに地下鉄の駅がある。
「心斎橋駅が開いている……?」
「でも、まだ夜中やで?」
 恐る恐る階段を下りると、中は明かりがついていて、広大な構内は地上の炎から逃れた避難者たちでごった返していた。午前四時を回る時刻に、地下鉄が営業しているなんておかしな話だと千津子は不思議に思ったが、その構内に轟音と共に明かりが近づいてくるのを見て声を上げた。
「地下鉄や!」、車体の行き先を見ると北の方へ抜ける『梅田』行きとある。
「助かった、梅田はまだ焼かれてないんやで!」
 開いた扉から、人々は我先に列車へ飛び乗った。
 列車が闇を走り出すと、母に抱き着きながら、千津子は急に身の縮む思いがした。実はもう自分は死んでしまって、この人たちも地下鉄もあの世へ向かっている幽霊で、朝になれば全部消えてしまうのではないかと恐ろしくなる。
 それでも母の胸は暖かかった。煤で黒くなった顔には安堵の表情があって、千津子を抱く手にも力があった。
「お母ちゃん……」
「なに?」
「うち、死にとうない」
 ガタンガタン。
 夜中の地下鉄はどこまでも走る。
 誰が、何のために?千津子は最後まで聞けなかった。
 どのぐらいの時間が経ったろう、軋む音とともに地下鉄が止まる。あの世へは行かず、約束通り梅田の駅に着いたのだった。
 しかし、列車を降りた千津子に、後ろを振り返る勇気はなかった。


 梅田はまだ火の手は回っておらず、母と千津子は親戚を頼って京都へ行き、そこで八月の終戦を迎える事となった。
 あの時救ってくれた地下鉄は、何だったのだろうか?
 戦後、大阪に戻った千津子は人々に聞き回ったが、夢でも見たのだと信じてもらえなかった。
 そしていつの頃からか、その話は噂から都市伝説へと変わってゆき、時ととも誰も思い出さなくなった……戦争の時代は風化して、千津子の心は穿たれたように辛かった。
 
 その都市伝説が事実らしいと、大々的な調査が行われたのは実に戦後五十年以上経ってからの事である。

 二十一世紀に入り、還暦をとうに過ぎた千津子は心斎橋駅に赴いた。
『あの地下鉄にお礼言わなあかんな』
 先日大往生した母が最期に言い残した言葉だ。
 公式の記録が残っておらず、多数の証言と推測に頼るしかなかったが、あの日は地下鉄の電気が終電後も通っていて、空襲の惨禍を見かねて、軍が禁じた地下鉄への避難を誘導し、命令に背いて列車を走らせた人々がいたこと、もう恩人である彼らの名前すら分かる手立てのないこと……調査で分かったのはそこまでだった。
 大都会に発展した街には戦禍の名残もない。しかし都市伝説のまま消えゆく所だったこの話は、新たに戦争の歴史としてのちの世に語り継がれるだろう。かつて千津子は逃げることを恥だと感じていた。今は全く違う。罰を受けるのを恐れず多くの避難者を救い、命の尊さを教えてくれた地下鉄に携わる人々に感謝は尽きない。
「生きさせてくれてありがとうなぁ」
 千津子の声にこたえるように警笛が聞こえ、この日何十本目かの列車が、ホームに滑り込む。
 ……幻ではない空襲の残像が今も赤黒く残る胸の奥底に、ひとすじの光が走り過ぎて、記憶を振り返る千津子の中に、あの古びた地下鉄がようやく頼もしい姿で蘇ったのだった。


コメント・評価を投稿する

コメントの投稿するにはログインしてください。
コメントを入力してください。

このストーリーに関するコメント

17/03/13 冬垣ひなた

≪大阪大空襲の救援列車≫
・登場人物はフィクションですが、第一回大阪大空襲(1945年3月13〜14日)に人々の命を救ったこの地下鉄の話は実話です。しかし、長い間都市伝説として放置されていました。というのも終戦時に列車の資料をすべて処分したため、公式な記録が一切残っていない上、助けた側の地下鉄職員が誰も名乗り出ることがなかったからです。始発前の職員用「お送り列車」という説が有力ですが、何故この日夜中に送電していたのか、どうやって組織的な救援活動を行えたのか、今も謎のままとなっています。
その後、この地下鉄のお話はNHK朝ドラ「ごちそうさん」にも登場し、全国的に知られるようになりました。

≪参考元≫
・エキサイトニュース
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20140307/E1394123050482.html
・朝日新聞
http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200912260039.html
・燃え尽きた・・・春 〜大阪大空襲から70年〜 (YOUTUBE)
https://www.youtube.com/watch?v=f8T3gfhr7t8
 
・画像はウィキメディア・コモンズからライセンスのもとお借りしています。
 左の画像は空襲後の大阪の街です(投稿者:あばさー様)
 右の画像は現在の心斎橋駅です(投稿者:L26様)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Midosuji_line_Shinsaibashi_station_platform_20161002.jpg?uselang=ja

17/03/30 泡沫恋歌

冬垣ひなた 様、拝読しました。

空襲シーンはリアルで迫力がありますね。
東京大空襲も大阪大空襲も本当にひどい有り様だったと聞いています。
大阪大空襲の救援列車の話は初めて知りました。
そんな不思議なことがあったんですね。奇跡のような都市伝説すごい! 感動しました。

17/03/30 冬垣ひなた

泡沫恋歌さん、コメントありがとうございます。

今回は自分もよく行く地域の話で、ここが戦禍に……と思うと、やっぱり辛い気持ちになります。
救援列車は、大阪大空襲のことを調べていて初めて知ったのですが、地下鉄御堂筋線は大阪の大動脈と呼ばれ馴染みが深く、その歴史も古いため、都市伝説化する土壌は昔からあったんだと思います。
都市伝説が事実だったと証明されたまれなケースですが、参考文献が本当に一冊もなく、ネットがなければ調べられなかったので、こうして書き残しておくことが出来て良かったです

17/04/02 光石七

拝読しました。
凄まじい空襲の中、心ある人たちが起こしたこんな奇跡があったのですね……
感動しました!

17/04/03 あずみの白馬

拝読させていただきました。
この話は最近知ったのですが、当時は地下鉄に逃げることは敵前逃亡とみなされていたと聞いています。
これがひとつの伝説となった今こそ、語り継いでいかなければならないと思いました。

17/04/05 冬垣ひなた

あずみの白馬さん、コメントありがとうございます。

焼夷弾の威力は動画サイトなどで見られますが、当時は防空法で逃げずに火を消すよう避難が禁じられていました。このため多くの人が無茶な消火活動を強いられ火災で亡くなりました。(『この世界の片隅に』で主人公のすずさんが焼夷弾の火を消すシーンがありますがあれは不発です)
加えて軍の物資を運ぶ地下鉄は軍の統制下にあり、地下鉄への避難も禁じられていました。事が明るみに出れば、やはり重罪に問われていたと思います。だから本当の話を聞いて誰も信じなかったのですね。
色々考えた末、一番感情の伝わりやすい小説の形にしました、こうしてお読み頂き感謝します。

17/06/14 滝沢朱音

入賞おめでとうございます!
うっかり読み損ねていました。遅ればせながら読ませていただきました。

「ごちそうさん」は私も見ていましたが、本当に衝撃的でした。
焦土と化した地の下で、生をもたらした救いの電車が走っていたのですね。
資料を深く読み込み、それをわかりやすい形で創作で表現される冬垣さんの姿勢に、
いつも頭の下がる思いでいっぱいになります。
こうやって小説の力で語りついでいくのって、とても大事なことですね。

17/06/15 冬垣ひなた

滝沢朱音さん、コメントありがとうございました。

実話をベースにした話は、お預かりしているのだという気持ちが強かったのですが、オフラインの友人を介し、今回この空襲に実際遭った方に作品を見て頂ける機会にも恵まれました。これからも丁寧に書くことは大切にしていきたいですね。
込み入った話をわかりやすく書くという点では、児童書を参考にしています。まだまだ至らぬ身ですが、これからも精進したいと思います。

ログイン