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かめかめさん

http://ameblo.jp/kamekame1976/ ブログデシセイカツバクロチウ

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ふかふかマフラー

17/03/05 コンテスト(テーマ):第129回 時空モノガタリ文学賞 【 都市伝説 】 コメント:0件 かめかめ 閲覧数:885

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 その話を聞いたとき、不思議な気持ちを抱いた。それをよく知っているような気がしたのだ。デジャ・ビュという言葉が一番近いように思う。けれどそうではない。私が確かにどこかで経験したことなのだ。手に触れるほどに確かに経験したことなのだ。

 それは不思議な都市伝説だ。「ふかふかマフラー」というそうだ。夜道を歩いていると急に暖かくなり、気がつくと首にふかふかのマフラーが巻かれている。あまりに気持ちのいいふかふか具合いに、はずそうという気にもならない。家に帰りついて体が暖まり、嫌々ながらマフラーをはずそうと思うと跡形もなく消えているという。そうして、マフラーを失った悲しみに埋め尽くされるのだという。

 わけもなく、いつも、今だって、私は悲しみのなかにいる。毎日、楽しいこともある。嬉しいこともある。それなのに、どんなに美しい景色のなかにいても私の心は悲しみに満ちている。この気持ちを例えるならば、透明な水で満たされた、魚がいなくなってしまった水槽。それをただじっと見つめているのだ。私はいつも魚たちに置いていかれた空っぽの水槽を見つめているのだ。

 友人が花がしおれたように影が薄くなっていたので何かと聞くと、ふかふかマフラーにあったという。それはそれは幸せな気持ちだったと話す様子も悲しげだった。何を見ても何をしても、ふかふかマフラーの後ではなんのなぐさめにもならないという。その気持ちは私にはよく分かった。私は友人を見ると哀れみを覚えるが、何をしてやることも、代わりになる何かを与えることも出来ない。なにもなぐさめにはならないとよく知っていた。私自身もよく知っている悲しみなのだから。

 ふかふかマフラーの噂はとどまるところを知らないようだった。テレビ、新聞、ラジオ、ネット、あらゆる情報網で取りざたされている。よくある都市伝説とは違うのだ。実際に体験した者が大勢いて、その人達は皆、人が変わったように厭世的になるのだ。都市伝説は現実と認知され、事件に近い扱いになっていた。
 ふかふかマフラーは、恐らく日本人全てを包み込むだろう。優しく包み込み、寒々とおいていくだろう。私たちは本当は知っているのだ。産まれたときから悲しみの中に生きているということを。暖かな幸せはもう二度と取り返せないということを。誰だって知っている。なのに見ないふりをして心から笑うふりをして生きているのだ。

 ふかふかマフラーが日本人全てに訪れ、都市伝説がとうとう日本の日常になってしまった。もう悲しみに満たされていない人はいない。皆、一様に憂い顔で歩いている。もうすぐ娯楽という概念は消えるだろう。喜びや楽しみを欲する者はもういない。どんな感情も失くし、ただ一つ、悲しみだけが人間を支配する。
 道行く人の波を眺めながら、私は安寧を見つけた。それは救いの福音だった。もうこれ以上、悲しくなることはないのだと知ったのだから。

 ある夜、家に向かって歩いていた時のことだ。粉雪舞う寒い夜だ。ふと全身が暖かになったことに気づいた。まさか、と思った。恐る恐る首もとに手をやるとふかふかな感触があった。
 まさか、ばかな。もう都市伝説は終わったはずだ。これ以上の悲しみを抱えてしまったら、きっと私は生きてはいけない。
 だが、そうだ。ああ、幸福とは、こういうものであった。確かに私は知っていた。幸福に包まれた日々を過ごした遠い日を覚えていた。心の底から喜びが湧きあがる。けれど、同時に恐怖も感じる。この幸福が去った後の苦しみを、私は誰よりも知っているのだから。
 もう二度とこの幸福を手放したくはない。ならば、方法は一つだ。マフラーは暖かい場所につくまでは離れず私を暖め続けてくれる。私を何ものからも守ってくれる。
 幸福とともに朽ち果てても、マフラーを手放す気にはなれなかった。私はいつまでもいつまでも寒空の下、立ち続けた。


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